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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 油量をマックスにして熱いシャワーを頭から思いきり浴び、美奈恵は水滴ではないものが頬をつたうのを感じていた。

 翌朝はまだ早朝にホテルをチェックアウトした。JR京都駅まで市バスを利用し、そこから先は新幹線で新N駅まで向かった。
 新N駅到着は昼前、荷物を提げてタクシーに乗り、自宅近くのN駅前で降りる。タクシーに乗車中にメールが入った。スマホは壊してしまったので、今も相変わらず二つ折りケータイを使っている。
 車窓越しに見憶えのある馴染んだN町の家並みがひろがっている。美奈恵はそれを見るともなしに見ながら、ケータイを開いた。
 新着メールをクリックすると、祖母の弁護士からだった。極めて事務的なもので、用件は二人が京都行きの新幹線に乗る間際に市役所に提出した婚姻届が無事に受理された確認が取れたこと、更に今日付で指定の美奈恵の口座に約束の財産がすべて振り込まれたことを知らせるものだった。
 やはり美奈恵の目論見が当たったのか、婚姻届そのものを弁護士が見ることはなかったようである。仮に見ていたなら、肝心の花婿の名前が祖母の知りもしない男のものと入れ替わっていることに気づいたはずだ。
 美奈恵はケータイを閉じると、眼を瞑った。シートに背をもたせかけ、深い息を吐いた。
 終わった、すべては終わったのだ。
 隣に座る剛史がちらりと美奈恵を見たが、美奈恵は真っすぐに前を見据えたままだった。
 新幹線に乗ってからというもの、二人は殆ど口をきいていない。ホテルを出た瞬間から、美奈恵は一切の私情を殺した。夢は終わったのだから、これからは私情はかえって邪魔になる。剛史には約束の報酬を支払い、これで綺麗に別れるつもりだ。
 タクシーが停まった。美奈恵はドライバーに料金を払い、タクシーから降りた。続いて剛史が降りてくる。
 美奈恵はできるだけ冷静に見えることを祈りながら、彼と対峙した。
「お疲れさま。本当に色々とお世話になったわ。祖母の弁護士から電話があったの。婚姻届けの確認も取れたし、財産の方も今日付けで私の口座に振り込まれたそうよ。あなたのお陰で、すべては上手くいった。約束どおり、報酬はあなたの口座に本日中に振り込むから。後はこれから離婚届を出せば、それですべて終わり。あなたが面倒なら、ここからは私ひとりでやるから」
 離婚届は予め、二人の署名も済ませ必要事項はすべて記入していた。もちろん、挙式前に書いたものだ。そのときはまだ剛史とこんな関係になるとは想像だにしていなかった。
「ありがとう。二度と逢うこともないと思うけど、元気でね」
 美奈恵は彼に背を向けた。とうとう彼はひと言も言わなかった。新幹線に乗ってからの皆恵の態度はあまりにも不自然だった。鋭い彼が美奈恵の変化に気づいていないはずはなかった。
 だが、それならそれで好都合だ。別れ際に愁嘆場を演じるのは好きではなかった。
 なのに、何故、こんなにも辛いのだろう。涙が溢れて止まらないのだろう。
「教えてくれ。美奈は俺を利用しただけなのか?」
 美奈恵は両脇に垂らした拳を握りしめた。さもなれば、泣き叫んでしまいそうだったからだ。
「昨日の夜、お前は俺に言った。幸せだと。あれもすべては嘘だったのか、俺に抱かれたのも契約結婚を無事に完了させるためだったっていうのか?」
―そんなはずがないじゃない。
 そう叫びたい。今すぐに剛史の胸に飛び込んで思いきり泣きたい。
「そうよ、あなたの言うとおりだわ。私はあなたを利用したの。契約結婚が上手くいかなかったら、祖母の財産を貰い損ねるから、あなたとも寝たわ」
 剛史が近づいてくる。
 美奈恵は悲鳴のような声で叫んだ。
「来ないで」
 顔を覗き込まれたら、真実は呆気なく露見してしまうだろう。
「美奈、俺の顔を見ろ」
 だが、力では敵わないことは判っている。剛史は美奈恵の身体をあっさりと向きを変えさせ自分の方に向かせた。
「美奈、俺は誰よりもお前ってヤツを知ってる。お前は自分の計画のために他人を利用したり、ましてやそのために好きでもない男と寝るような女じゃない。何で、そこまで頑なになるんだ? 自分を追いつめる?」
 美奈恵は大粒の涙を流しながら言った。
「そんなのはあなたの買い被りよ。私は計算高い女だから、平気で誰でも利用するし、誰とだって必要なら寝る。そういう女なんだから」
「嘘付け。なら、何故、俺が抱こうとした時、最初は抵抗したんだ? 手段のために俺と寝たのなら、お前はむしろ思う壺だったんじゃないのか?」
「―」
 美奈恵は嫌々するように頭を振った。
「祖母を裏切れないの」
「お前のお祖母さん?」
 剛史の訝しげな声音に、美奈恵は諦めの境地で頷いた。ああ、万事休す。叶うことなら、剛史にはこれ以上、余計な負担をかけたくはなかったのに。
 美奈恵は自分が築いていた壁が脆くも崩れ去るのを感じていた。
「私は剛史が好きよ。愛している。でも、祖母を裏切れないわ」
 剛史は昔から勉強は嫌いだけれど、頭の回転は速かった。すべてを察したようである。
「つまり、俺では水無瀬家のお祖母さまに婿として納得して貰えないと?」
 美奈恵は途方もない脱力感を感じながら、頷いた。
 剛史が笑った。美奈恵は愕いて彼を見上げる。
「もっと素直になれよ。お前は何でも一人で背負い込みすぎる。そして、傷つくんだ」
「私は別に傷ついてなんていないもの」
 美奈恵は心から溢れそうな何かを必死で堪えて意地を張り通す。
 剛史がまた一歩美奈恵に近づいた。
「来ないで。それ以上近づいたら、人を呼ぶわよ」
「呼びたければ呼べば良い」
 剛史は言うと、美奈恵のすぐ側まで歩いてきた。駅前の舗道に立つ二人の側をたくさんの通行人が急ぎ足で通り去ってゆく。
「俺は美奈のためなら、何でもする覚悟はできてる。二人でこれからまた京都に行ってお祖母さまにお願いしよう。お祖母さまだって、きっと二十七年前の美奈のご両親のことについては後悔しているはずだ。俺たちが心をこめて誠心誠意頼めば、きっと認めてくれる」
「もし、認めて貰えなかったら?」
 美奈恵は涙を溢れさせながら剛史を見つめた。
 剛史がそんな美奈恵の弱々しい視線をしっかりと受け止め力強く頷いて見せる。
「そのときはお祖母さまに訊ねるよ。俺のどこが気に入らないのか、どこを直せば水無瀬家の跡継ぎとして認めて貰えるのか。大学に行けというのなら、行く。まずは高卒の資格を取らなきゃいけないだろうけど、それでも良い。お前のためなら、俺は何だってやる」
 そんなに優しくしないで。優しくされたら、私はきっと剛史に縋ってしまう。その優しさに甘えて離れられなくなる。
 すすり泣く美奈恵を剛史は静かに抱き寄せた。
「お前は何でも自分で抱え込んで解決しようとする。これからは俺がその荷物の半分を持ってやるからさ」
「それって」
 美奈恵は涙に濡れた瞳で剛史を見た。
 そんな彼女を見返す剛史の視線は何故か眩しいものでも見るかのようで。
「ああ、昔っから、お前ってヤツはとことん鈍いな」
 長い前髪をくしゃりとかき回し、彼はもどかしそうに言った。
「プロポーズだよ、プロポーズ。俺と結婚してくれっていってんの」