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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 剛史はリングをカードで支払った。
「美奈、迷惑でなかったら、受け取って」
 女の子が可愛らしいパステルピンクの袋に入れて渡したリングを剛史はそのまま美奈恵に押しやってくる。
「失礼ですけど、染谷さんに似てらっしゃいますね」
 もう一人の背の高い方の女の子が好奇心満々といった様子で剛史に訊いてきた。
「そうですか?」
 相変わらず剛史はつれない。
「本当に有名人とかじゃないんですよね」
「違います」
 剛史は辟易した顔で言い、美奈恵の手を引っ張った。
「行こう」
 剛史は美奈恵の手を放してくれない。
「そんなに強く掴んだら、痛いよ、剛史」
 しばらく手を掴まれたまま歩いていたが、堪えられなくなって痛みを訴えた。
「済まん。痛かったか?」
 剛史が我に返ったように美奈恵を見た。
「まったく染谷だか何だか知らないが、うっとしいな」
 先刻、若い女の子たちから質問責めされたことをぼやいているのだ。美奈恵は笑った。
「だって剛史って、本当に染谷君に似てるのよ。結構目立つから、仕方ないわね。まあ、良いじゃないの。若くて可愛い子にモテるんだから、悪い気はしないでしょ」
「ちっとも嬉しかねえや。何度も言ってるだろ、俺は惚れた女一人にモテれば、それで十分なんだ」
「それはお生憎さま」
 美奈恵は笑いながら言い、?それよりもお腹空かない??と剛史に問うた。
 丁度三年坂の途中で坂道は分かれ道に至る場所に来ていたので、二人はその分かれ道に入った。ここから先は二年坂と呼ばれる。
 二年坂沿いにも様々な店があった。二人は最初に眼に付いた小さな洋食屋に入ることにした。
 すぐに若い女の子が冷たいおしぼりと水の入ったグラスを持って注文を取りに来た。二人ともオムライスを頼んだ。
 咽が渇いていたのか、剛史は氷の欠片の浮かんだ水をひと息に飲み干した。
「もう十月だっていうのに、何でこんなに暑いんだ?」
 剛史が手のひらで顔の汗を拭いながら言う。
「本当ね。いまだに日中三十度近いっていうんだから」
 美奈恵も相槌を打ち、ひと口水を飲む。冷たい心地よい感触が咽を滑り落ち、生き返ったようだ。
「これ―、ありがとう。本当に良いの? 何だか申し訳ないみたい」
 まだリングのお礼をちゃんと言っていなかったことを思い出した。
 剛史は肩を竦めた。
「そんなにありがたがるほどのものじゃない。もっと、ちゃんとしたものを買ってやれれば良かったんだけど。一応、俺たち、夫婦だろ」
 その言葉は美奈恵の心を烈しく抉った。
「でも、これは契約結婚よ。本物の夫婦じゃないわ」
 刹那、剛史の瞳に酷く傷ついたような光が瞬いたのは気のせいだった?
「―」
 しばらく気まずい沈黙が二人の間を漂った。オムライスが運ばれてきて、二人はどちらからともなく銀のスプーンで食べ始めた。
 依然としてよそよそしい沈黙は続いている。美奈恵は何か悪いことをしてしまったような気持ちでよく味の判らないオムライスを食べた。
「偽物でも良い。せめて夫婦でいる間だけで良いから、そのリングを填めてくれないか」
 振り絞るような口調に、美奈恵は胸をつかれた。
「判った」
 小さな袋からビロードの箱を出し、買ったばかりのイルカの指輪を填めた。
「押しつけがましいかな、俺」
 ややあって剛史がポツリと洩らし、美奈恵はハッとした。
「そんなことないよ。ありがとう。大切にするね」
 たとえ、この契約が完了して、私たちが夫婦でなくなっても。その先はついに言葉になることなく胸の奥に消えた。
「それに、こっちのオルゴールも」
 美奈恵はもう一つの包みを開け、薄紫の小さなグランドピアノをガラステーブルに置いた。
「私ね、瞳を閉じては好きな曲なんだ」
 ピアノの蓋を開けると、曲が流れ出す。
「俺も凄く好きだ」
 剛史の直截な言葉に、思わず頬に朱が散った。
 馬鹿みたいと慌てて自分を叱る。剛史が好きなのは歌の方であって、何も美奈恵ではない。なのに、ここまで過剰反応する自分はどうかしているとしか思えない。
「面白いね」
「何が?」
「だってさ、小学生のときに剛史がプレゼントしてくれたオルゴール。あの曲は米米の歌だった。丁度、あの頃、米米のあの曲が大ヒットしたよね。それで、今度買ってくれたのは平井堅の曲だよ。見事にその頃に流行った歌が時代を象徴してるっていうか」
「そうだよな、考えてみたら、今時の小学生が米米を知ってるかどうかは疑問だよな。まあ、時の流れっていうか、そういうもんだろう」
「時間は流れてゆくんだものね」
 呟き、言い知れぬ哀しみが湧き起こってくるのを止められなかった。今も時間は流れて、いずれ明日はやって来る。明日はもう北の都市に向けて帰らなければならない。新幹線が新N駅に着いたら、二人の関係はそれで終わる。
 そこで美奈恵は自らに言い聞かせた。
 今は考えても仕方のないことをあれこれと思い悩むのは止そう。剛史との限られた時間を大切に―一生涯の想い出になるように愉しいものにしたい。
 三十分後、二人は店を後にした。店の出口には鈴が付いていて、客が出入りする度にチリンと澄んだ愛らしい音色を聞かせる。それに気を取られていたために、美奈恵は戸口の靴拭い用の分厚い敷物に足を取られてしまった。
「危ないっ」
 咄嗟に剛史が抱き止めてくれなければ、美奈恵は石畳の坂道の上でまともに転んでいたはずだ。抱き止められた美奈恵は我に返り、危うく呼吸が止まるところだった。
 あろうことか、美奈恵と剛史の顔が殆ど重なり合うほどに近づき、唇などは殆ど触れ合わんばかりだったのだ。
「―!!」
 彼から離れなければと理性はしきりに呼びかけるのに、身体はその場に縫い止められたかのように動かない。
 二人はかなり長い間、そのままの体勢で見つめ合っていた。通りすがりの観光客が抱き合う二人を興味深そうに眺めて通り過ぎるのにも気づかなかった・
 ふいに美奈恵の背に回された剛史の手に力がこもった。
―キスされる?
 予期せぬ展開に、美奈恵の頭は真っ白になった。
「―」
 スと顔が更に迫ってこようとした寸前、他ならぬ剛史自身が未練を振り切るかのように美奈恵の身体を向こうへ押しやった。
 その時、美奈恵の脳裏に今し方の光景と昨夜のホテルでの出来事が重なった。
 昨夜、チューハイを立て続けに三本も呑むという愚かしい失態を犯した自分は剛史の前で吐いてしまった。だが、肝心なのはその前だ。トイレで吐く前、自分の身の上には確か今と同じようなことが起こらなかったか?
 確か酔っぱらった自分を剛史がそっと引き寄せ、軽く啄むようなキスをした―。それとも、相当に酔っていたから、ありもしない妄想を抱いてしまったのだろうか。
 いや、と、美奈恵は思った。あれは確かに現実に起こったことに違いない。そこで、美奈恵は恥ずかしさに真っ赤になった。
 剛史と私がキス? ありえない。あってはならないことだ。結婚式のときのキスは、あれは事故のようなものだと自分に言い聞かせてきた。いつもと違う雰囲気に、剛史もまた戸惑って衝動的にしてしまったキスで、たいした意味はないのだと。