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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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―私は剛史がいてくれれば十分なんだから。
 過ぎゆく夏を惜しむかのように蜩の鳴き声が降り注ぎ、夏の盛りを象徴する太陽のような向日葵の花が大輪の花を咲き誇らせていたある日のことだった。 
 美奈恵と同様、剛史もあの日のことを思い出しているようだ。剛史が微笑んだ。
「美奈恵が俺一人で良いって言ってくれた時、凄く嬉しかったんだぜ」
「そうだったの?」
「流石にあのときは恥ずかしくて口には出させなかったけどな」
 剛史がそこで思い出したようにくすくすと笑った。
「谷山はお前のことを好きだったんだ」
「えー、まさか。それはないでしょ」
「いや、もう十年近く、いや八年くらい前になるかな。あいつと偶然、ばったりと新京極で出くわしちまってさ。あいつも大学に入ってね、かなり羽目外してたようだけど、俺の勤務先の近くの飲み屋で少し一緒に呑んだんだ。その時、あいつが何かそんなようなことを言ってたよ。美奈に惚れてたから、お前が俺ばかり庇うのが面白くなかったとか」
「そうなのかな。何か今いちピンと来ないけど」
 美奈恵が複雑そうに言うのに、剛史は笑いながら美奈恵を見た。
「お前を良いと思ってたヤツは附小には他にも一杯いたんだぞ」
「また冗談よね? 剛史の悪いところは人をそうやって、からかってばかりいるところだよ」
「馬鹿言え、こんな話を冗談でできるか。それにしても、お前、全然気づいてなかったのか?」
 美奈恵が頷くと、剛史は豪快に笑った。
「鈍い女だな」
「失礼ね」
 美奈恵は軽く剛史を睨んだ。剛史の整った顔からふっと笑みが消え、真顔に戻った。
「まっ、鈍いのは今もまったく変わっちゃないが」
 剛史の眼がこれまで見たこともないように優しく細められた。
「まあ良いさ。そこがお前の魅力なんだから」
 流し目を寄越され、美奈恵は耳まで染まった。
「や、止めてよね。そういう営業用の口説き文句はお客さんに言ってあげて。歓ぶと思うから」
「俺はもうホストじゃないよ」
「それは判ってるけど! とにかく私には止めて欲しいの」
 美奈恵がまだ頬を紅くしたまま口早に言ったまさにその時、女坂の上方から二人の小学生がゆっくりと降りてくるのが見えた。あの制服は間違いなく附小の児童だ。この辺りは普段、殆ど小学生が通ることはないのに、珍しい。
 小学校二、三年生くらいだろうか。まだピカピカ光るランドセルを背負っているのは男の子と女の子だった。
 会話の端々から、二人は何かアニメの話に夢中になっているしい。愉しげに笑いさざめきながら、美奈恵と剛史の側を通り過ぎていった。
 剛史が大きなランドセルを背負った小さな後ろ姿を見送りながら言った。
「あの頃から長い年月が経ったな」
 美奈恵も彼に倣って立ち止まる。小学生たちが坂を下りて智積院の角を折れて見えなくなっても、二人はまだその場に立ち尽くしていた。
「本当ね、もう二十年も経つんだもの。私たち、あまりにも遠くに来てしまった。帰りたいわ、あの頃に」
「らしくねえぞ」
 え、と、見上げた美奈恵の瞳に剛史の爽やかな笑顔が一杯に映る。
「あの頃のお前はいつも向日葵みたいに輝いて笑ってたじゃないか。俺はそんなお前の笑顔が好きで、見てられないほど眩しかったんだ。いつまでも過去に拘っていても、何も生まれない。今の自分をきちんと見つめなきゃ。ましてや、お前には夢があるんだろ?」
 現実―、そのひと言は美奈恵に重くのしかかった。確かに現実から逃げていても意味はない。では、今の自分の現実は?
 今のこの剛史との愉しいひとときは、いずれ終わる。彼との関係は婚姻届けを提出するまでの期間限定の契約結婚なのだから。改めて突きつけられた現実を何故か、美奈恵は認めたくないと思った。
「そうよね。現実はきちんと認めなきゃ、ね」
 剛史とのこの時間は所詮は、契約の上に成り立ったものでしかないことを。彼は幼なじみのよしみで、美奈恵の夢の実現に協力してくれているのに過ぎないことも。どれも眼を背けては通れない現実なのだ。
 でも、せめて今だけは彼と二人きりの時間を愉しみたい。それくらいは良いでしょ、ね、剛史。
 美奈恵は心の中で剛史に呼びかけた。それから心の中のもやもやとした想いをふりはらうように勢いよく言う。
「私ね、今でも誕生日に貰ったプレゼントのオルゴール、大切にしてるのよ」
「あのときの? へえ、まだちゃんと動くのか?」
 それは剛史も愕きだったらしい。眼を丸くしている。
「随分と物持ちが良いんだな、美奈は」
「だって、私にとっては特別な宝物だったんだもの」
「そっか」
 何故かとても嬉しそうな剛史を訝りつつも、美奈恵は続けた。
「あの年、流行ったよね。米米クラブ」
「うん、やっぱり、そういうのを女の子にはプレゼントするのがステータスかなと思って小遣いはたいたんだ」
 小学四年だった剛史がプレゼントしてくれたのは美奈恵の手のひらに載るくらいの小さな真四角のオルゴールだった。夕陽の色を閉じ込めたような温かみのあるオレンジ色で、四つ葉のクローバーのついた上蓋を開くと、米米クラブの?君がいるだけで?が流れてくる。
 当時、その歌はドラマの主題歌として大ヒットを飛ばした。
「♪例えば君がいるだけで心が強くなれること」
 ふいに剛史がその歌の最初のフレーズを口ずさんだ。
「♪何よりも大切なものを気づかせてくれたね」
 いつしか美奈恵も剛史と一緒に小さな声で歌っていた。
 しばらく小さな声で歌ってから、剛史が美奈恵を見た。
「こういうのって良いよな」
「同じ時代、同じ時間を共有できたって、幸せよね。だからこそ判り合えることもあるっていうか」
 そこで剛史がふいに口をつぐんだ。思いつめたようなまなざしで宙を見据えている彼がまるで突然、遠い人になったように見えた。
「剛史、どうかした?」
「なあ、美奈、俺と美奈って、これからも同じ時間を共有できないのか?」
「剛史、何言って―」
「俺たちは昔、同じ教室で同じ時間を過ごした同級生、ただそれだけの関係なのか? これから先はもう同じ時間を過ごすことはできないのか」
 美奈は微笑んだ。
「剛史と私は昔も今も親友だよ。ずっとこれからも同じ時間を過ごせるのに、何で、そんなことを言うの?」
「違う、そうじゃない!」
 剛史が叫ぶように言い、美奈恵を見つめた。
 烈しいまなざしは燃えるような焔を秘めているようで、やはり、今の剛史はいつもの彼とは違う。
「剛史、何か怖いよ。いつもの剛史と違うみたい」
「俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだ。俺は俺は―」
 剛史はうつむいた。
「ごめん、大きな声出したりして。でも、俺は」
 剛史はまたも口ごもり、小さく首を振った。
「―美奈恵が好きだ」
「私も剛史を好きよ」
 さらりと言った美奈恵を剛史はまた先刻より烈しい眼で見た。
「だから、俺の言うのはそういう意味じゃない」
 剛史の瞳から急に烈しさが消えた。
「もう、良いよ」
 剛史は呟くと、足早に歩き始めた。それから剛史は殆ど口をきかなかった。
 何かに怒っているのであろうことは察せられたけれど、彼が何を怒っているのか美奈恵には皆目判らない。
―変な剛史。