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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 それでもまだ多少のふらつきが残っている身体で美奈恵はユニットバスになっているトイレの側の洗面台の鏡を真剣に覗き込んでいた。
 思わず吐息が洩れてしまう。
―なんて酷い顔。
 泣いたせいで眼は紅く充血し、腫れている。それに、はっきりとは憶えてないけれど、何か酔っぱらって剛史にさんざんなことを言いたい放題言ったような―気もする。
「ああ、これでもう剛史と顔を合わせられない」
 呟いた背後で、いきなり声が降ってきた。
「大丈夫。こんな酔っぱらうと質の悪くなる女、俺以外の男は誰も貰っちゃくれないから、諦めて俺の女になるしか生きる道はないってことだ」
「な、何ですって?」
 剛史の突然の出現に愕くよりは怒りが先に立った。
「失礼ね。私が一体、何をしたっていうのよ」
 何をしたどころか以上のことをしてしまった。剛史に投げつけた言葉はむろん憶えていないけれど、彼の前でみっともなく吐いてしまったことは忘れようにも忘れられない。なかったことになど、できないのである。
 あれを思い出すと、怒りにも見る間に萎んでしまう。美奈恵はしゅんとした。
「ごめんね。昨夜は何だか迷惑かけちゃったみたいで。汚かったでしょ」
 眼の前でさんざん吐いた末、美奈恵は剛史にお姫さま抱っこでベッドまで連れていって貰った。挙げ句、そのまま朝まで爆睡したのだから、笑おうにも笑えない話である。
「さあ、そんなことがあったっけ」
 剛史は空惚けて肩を竦め、さっさとバスルームから出ていった。
 それから後も彼が美奈恵に昨夜の出来事を持ち出すどころか、触れることもなかった。美奈恵としては思い出す度に恥ずかしさに消えてなくなりたいほどの想いになったのに、剛史は何もなかったような態度を貫いた。思いがけない彼の優しさに触れ、美奈恵はまた涙が出そうになったのだった。
 
 美奈恵の具合もかなり落ち着いた頃を見計らい、二人は揃って外出した。まず昨日は拝観できなかった箇所を近くから回る。手始めに国立博物館、三十三間堂。
 三十三間堂はここで神事としての流鏑馬が行われることで、あまりにも有名だ。
「馬に乗って走りながら的に矢を当てるなんて、まさに神業としか言いようがないよな」
 美奈恵の話に剛史もいちいち頷きながら、並んで歩く。こうしていれば、傍目には仲睦まじい夫婦か恋人に見えるのだろうか。ふっとそんなことを思い、美奈恵は慌てた。
―馬鹿ね、何を考えているの。剛史と私はただの幼なじみじゃないの。
 三十三間堂の次は智積院を訪ねた。智積院は国宝の襖絵が知られている。見かけによらず(と言ったら、剛史には失礼だと怒られた)歴史や古美術に興味のあるらしい剛史は随分と熱心に見学していた。ここで少し時間を取り、出てきたときには既にお昼は過ぎていた。
 この界隈は東山七条になる。智積院を起点に緩やかな坂がずっと続いていて、坂道の両脇には私立の女子校が中学・高校・短大・大学と並んでいる。京都でも名が通っている幼稚園から大学まで一貫して揃っている学園である。
 幼稚園と小学校以外は完全な女子校だ。美奈恵はこの学園に幼稚園から短大までずっと通った。両親が亡くなったときはN市の公立保育園に通っていたが、水無瀬家の祖母に引き取られてからは私立の名門幼稚園に通わされたのだ。
 剛史との出逢いはその幼稚園においてだった。この坂は上の大学まで続いている。朝夕、登下校の時間になると、中学生、高校生、大学生と坂は大勢の通学生で埋まる。それが皆、女の子ばかりなので、通称?女坂?と呼ばれていた。
 下校の時間には丁度、智積院の塀沿いに派手なスポーツカーが停まっていることがある。そういう車は大抵は彼女を迎えにきた彼氏の愛車だと、行き来する女子学生たちは知っていた。
 今、剛史と美奈恵は二人並んでその懐かしい女坂を歩いていた。
「凄く不思議よね」
 美奈恵が呟くと、剛史が眼を瞠った。
「何が?」
「剛史とこうして女坂を歩くだなんて」
 剛史が笑う。
「まあ、俺は男だし、附小(附属小学校)までしかここは通ってないから、あんまり通ったことはないよな」
 ちなみに、附属小学校は中学・高校・大学とは少し離れているので、女坂を利用する必要はあまりないのだ。
「美奈、あのときのことを憶えてるか?」
「あのとき?」
 美奈恵は首をひねった。
「あのときと言われても、色々あったから、どの『あのとき』かは思い出せないわ」
「まあ、俺たちの付き合いも半端じゃなく長いからな」
 剛史も納得顔で頷く。附属小学校は二クラスしかないので、二年に一度クラス替えが行われても、一学年のほぼすべての子はお互いに顔見知りにならざるを得ない。美奈恵は何と六年間の中の四年間、剛史とは同じクラスだった。
 剛史の瞳がふっと遠くなる。
「ほら、お前のバースデーのとき。谷山とかが来てて、結構大変なことになっただろ」
「ああ、あのときの話ね」
 美奈恵は小さく頷いた。
 あれはもう十八年も前のことになる。当時、美奈恵と剛史は附属小学校に通う四年生になっていた。
 その日は残暑の厳しい夏の終わりの一日で、長かった夏休みもそろそろ終わろうとしていた。美奈恵の誕生日パーティーが水無瀬家でごく内輪に行われた。招待されたのは仲良しの友達が総勢十人。もちろん、剛史もいた。
 しかし、谷山荘一郎という隣のクラスの男子がやって来て、剛史を指さして言ったのだ。
―竹井が何でこんなところにいるんだよ。帰れよ。
 もちろん、美奈恵はすかさず言った。
―剛史君は私が呼んだのよ。
―何で竹井なんか呼ぶんだ?
 不満そうな谷山君に美奈恵は胸を張って言った。
―だって、剛史君は私の大切な友達だもん。
―俺、悪いけど、帰る。竹井の顔なんて見たくねえからよ。
 谷山君はそう言って帰ってしまった。他の子たちも皆、それぞれ顔を見合わせて
―ごめんね、美奈ちゃん。私も用事を思い出したから、帰る。
 女の子たちも男の子も皆がそそくさと帰ってしまい、誰もいなくなった。
―良いもん、皆、帰りたければ帰れば良いよ。私は竹井君一人がいてくれれば良いんだから!
 逃げるように谷山君の後を追う仲?たちに、美奈恵は悔し紛れに言った。
―ごめんな、美奈。俺のせいで折角のお前の誕生日が台無しになって。
 背後から剛史が心底申し訳なさそうに言うと―。美奈恵は小さな肩を震わせて泣いていた。
―本当にごめん。俺のせいだよな。俺、今からでも谷山を呼び戻してくるよ。俺がいなくなれば、あいつが戻ってくるだろうし、他の連中もきっとまた来るよ。
 谷山君は身体も大きくて学年でも目立つ存在だ。どの子も谷山君に遠慮して、帰ってしまったのは判っている。
 踵を返そうとした剛史に、美奈恵は鋭く言った。
―余計なことをしないで。
―でもそれじゃ、お前が。
―良いの、私が泣いてるのは皆が帰ったからじゃない。何で谷山君があんな酷いことを言うのかなと思うと、悔しいの。
―美奈は俺のために泣いてくれてるのか?
―当たり前じゃない。剛史と私は友達だもん。
 結局、十歳を迎えるバースデーは剛史と二人きりで祝うことになった。それでもまだ剛史は何度かは他の子を呼んでくると言ったのだが、美奈恵は頑として聞き入れなかった。