和尚さんの法話 「冥土の住人」
それで家の人に聞いたけれども、弘法大師の信仰はしていませんということです。
ではあなた方の親はどうですかと。親も信仰は無かったとのこと。
では家の何処かで弘法大師の仏像とか掛け軸は見たことはありませんかと。
ですが、それも覚えが無いと。
いうことで、また家を見ておきますとのこと。それから和尚さんがその家に毎月参るようになった。
ところが一向にそれらしきものは無いのですね。
『法然上人の霊』
それから何年かたったんです。
その頃は、その家の長男はまだ小学生の小さい頃でしたが、その子が大きくなってきて、自分の部屋が欲しいということになったのです。
そのお家は旧家でして、昔は医者だったのですね。
その昔は家に門番がいたんですが、今はそこが物置になってあるのですが、そこを勉強部屋に使いたいということになって、畳も入れ替えて大掃除になったわけです。
そこに古い箪笥があって、その箪笥の上の戸棚を開けたら、弘法大師のぼろぼろになった木像が入っていた。
それを見て、いつも和尚さんが弘法大師のことを聞いていたのは、このことだったのだなと。
ところが、これは今まで見たことがなかったというのです。
ところが自分の家の箪笥の中に入ってある。他人事だとは思えないわけです。自分たちには覚えがなくても、先祖の誰かが弘法大師を信仰していたのだなと。そうしか考えようがない。
兎に角、弘法大師さんが出てきたのだから。
だから和尚さんが観た姿は、妄想じゃなかったのだということです。
弘法大師は、霊魂ですからあの世で、縁のある人をこうして護っているのですね。
それから、和尚さんが京都の寺へ来てすぐの頃、近所の子供を連れて夕方になると、知恩院へ行って円山公園を通って、時々散歩に連れてったそうです。
知恩院の正面のお堂の前で手を合わせて、子供たちにも一緒に手を合わせて拝みなさいといって一緒に拝んだそうです。
一番大きなお堂ですから、和尚さんは、そこは阿弥陀様をお祀りしてあるとばっかり思っていたのですね。
本堂ですからね。和尚さんの常識では、境内の中で一番大きな建物は本堂ですね。
そこにはその宗派の御本尊様がお祀りしてある。というのが普通のように思っていたのです。
ですから知恩院へいくと、一番大きな建物は、ここには阿弥陀様がいらっしゃると思って合掌したところが、黒い衣を着た坊さんが座っているのが見えるそうです。
それでおかしいな、如来様でなければならないのだがなと。それが何遍行ってもそうなんですね。
毎日行ったわけじゃないけど、時々近所の子供を連れて、何時行っても黒い衣を着た坊さんが座ってあるのが見えるので、不思議だなあ、これは妄想かなあと。
なにか他に意味があるのだろうかと。
と、思っていたところが、その後、浄土宗の人に聞いたら、あの大きいお堂には阿弥陀様ではなくて、法然上人を祀ってあると。
阿弥陀堂はその脇にある小さいお堂ですと。
和尚さんは、大きいお堂は阿弥陀様がいらっしゃると思っていたので、阿弥陀様のつもりで拝むのですけれども、観させて頂くのですが、阿弥陀様のお姿でなければならんのに、黒い衣を着た坊さんが見えたのですね。
然し、浄土宗のお坊さんに聞く機会があってお聞きしたら、大きいお堂には法然上人がお祀りしてあると。そうすると、あの黒い衣を着た坊さんは、法然上人だったのだということです。
和尚さんが、その大きいお堂に法然上人が祀ってあると思って黒い衣を着た坊さんが出てきたら、暗示でね、ところが和尚さんは全くそういうことは思っていなかったわけですから。
阿弥陀様だと思い込んでいたのですから。
そうすると法然上人も霊魂ですから、この世に実在した人物ですから、ちゃんといらっしゃるわけです。
霊魂は極楽にいらっしゃるけど、通力がありますからすぐに飛んで来れるのです。
電気よりも早いというのですから神通力というのは。
それから、和尚さんが若いころに他のお寺から来てほしいというので、布教に行っていたそうで、何年か続けて行っていたそうです。
そのときに或る、一箇寺で、始めて行ったわけですよね。
和尚さんは、始めて行ったときはそこのお寺の御本尊様にご挨拶するんだそうです。
その御本尊様は、普段は秘仏のように扉が閉まっていたそうです。
挨拶をすると、確かに阿弥陀様が見えたそうですが、ところが、その阿弥陀様は正面から挨拶をしているのに、どういうことか、横を向いていたそうです。
『阿弥陀様』
それで和尚さんは、これはどういうことかと恐れいったそうです。
つまりお叱りを受けたと思ったんだそうです。
おまえのようなものは家へ来るのではないと、いうようなお叱りを受けた気持ちになったのですね。
横を向かれたと。
それで他の坊さんも大勢来ていて、法要ですからね、お手伝いに来ているわけです。
そこでたまたま、そこの御本尊の阿弥陀様の話しが出てきたのです。
そこの阿弥陀様は、なにか由緒のある阿弥陀様で、時々美術研究家という、信仰ではなくて彫刻がどうの、歴史がどうのというそういうことを調べる方々が、見せて頂きたいということで時々来るというのです。
本当なら本尊は秘仏で見せないのですけど、学問のためになるだろうし、後世のためにもなるというので見せるのだけれども、秘仏ということで伝わってきているので、正面は開けないのです。
横側を開けるのですね。
横側を開けるようになってあるから、だから横顔なのだなとわかったのです。
それを聞いて和尚さんは胸のつかえを下したのですね。
お叱りじゃなかったのだと。
ここの阿弥陀様は横から見ることになっているのだと。
この話しから阿弥陀様の実在ということにつながっていくと思うのです。
『霊いろいろ』
それから別の話しになりますが、和尚さんの寺の向かいのお家のお婆さんがまだ御存命のときに、息子さんを連れてきて、その息子さんの相談に乗ってやってほしいと、仕事のことだったように思うということです。
二人と向かい合って座って話しをしていると、その息子さんの後ろに霊魂が二人出てきたのですね。
一人は女性で一人は男性の霊。
その霊は二人ともそこの家を守っている、という感じがしたそうで、ときに女性の霊がその家を守っているという感じがした。
その女性の霊は、乳飲み子を抱いていたので、その霊は乳飲み子があるときに死んでいるのですね。
おそらくこれは親子に違いないと思ったのですね。
それで相談事が済んだので、その後ろにいる霊のことを話したのですね。
男の霊はこういう人で、女の霊はこういう人でこんな性格ではなかろうかと。
するとお婆さんは、その男の霊はこの子のお父さんじゃないかなと、そしたらその男の子も、僕もお父さんやなと思うて聞いていたと。
顔立ちがこうで歳かっこうはこうでという話しからお父さんやなと思ったと。それでその男の霊はお父さんだということで話がついたわけです。
ところがその女性の霊がわからないのですね。
お婆さんも知らない。息子さんもわからない。
作品名:和尚さんの法話 「冥土の住人」 作家名:みわ