和尚さんの法話 「冥土の住人」
今までは子の寺には住職がいなかった。そこへこんど新しい住職が来たということで、なにがなんでも先祖の供養をしたいということで、法事があって、本堂でお勤めをしてお墓でも拝んだ。
和尚さんの体験では、本堂で現れる場合もあるし、お墓で現れることもあるそうですし、そして法事をしたときに、法事をしたその本人がでてきることもあるし、法事した方が出てこないで、そうではない別の先祖が出てくる、いろいろ様々だそうです。
其の時は、お墓で回向をしているときに、その石碑の傍に霊魂が出てきた。
その霊魂というのは、テレビでも解説者が言うには、おかしいなというのがあるが、丹波哲郎さんは、死んだら皆二十歳くらいになると云いましたが、あれは違いますね。
それから或る方は、あの世でも歳をとっていくと、そういうふうに説明する方がいらっしゃるが、そうじゃないですね。
死んだら、例えば三歳の子供が死にますね。
百年たったら百三歳の老人になるのかというと、そうじゃないのです。
百年たっても三歳です。
あの世へ行きますと、一般的な事を云いますと、三歳で死んだら何時までたっても三歳で、それは霊魂というものは変化しないということです。
肉体的な変化はしない。肉体こそ生まれたときから今日までこうして老人になって変化していきますね。
ところがいったん霊魂が肉体と別れてしまうと、霊魂は霊界へ行ってしまうと肉体の影響は受けないですね。
だから霊魂はそこでストップします。
だから霊魂が現れたときに、この人は幾つくらいで死んだ人だろうなと、見当がつくわけです。
それは私たちがお互いを見て、この人は幾つくらいだなというのと同じことです。
ですから、歳はこのくらいで、背丈はこれくらいでとか、性格だって気難しいとか、気長そうだとか、ということくらいは顔を見ればわかりますね。
頭も禿げているとか、髪が長いとか黒いとかね。
和尚さんはそういう霊を見たらそのとおりに言ってあげるそうです。
するとそれは私の誰誰だと言うわけです。
それでそのときも、お墓で回向をしているとき現れた霊は、この法事をしているその人だなと思ったそうです。
それは施主のお父さんだったんです。
見えた霊のことを、背恰好はこうで、歳はこうで性格はこんな性格でと言いますと、施主はなんで私の父を知っているのかというわけですね。
びっくりしたような顔をしてね。
それはそうですよね。
施主とさえその日、始めて顔を合わすのですから、その亡くなったお父さんを知っているわけがない。
和尚さんは、そのときの歳が二十三歳だったそうで、その亡くなったお父さんというのは、三十三回忌ですから、和尚さんが生まれるまえに亡くなっているわけです。
だから施主に貴方のお父さんを知っているわけはないですよと。
では、なんで親父を知っているのですかと。
と、いうことは和尚さんの見た霊の姿はあっているのですよね。
するとやっぱり、和尚さん、霊魂はあるんですかと聞くわけです。
霊魂はあるのですかと、いうことは半信半疑でやっているのですね。
法事というのは冥福を祈っているわけです。
冥福とは冥土の幸福を祈っているのがお勤めなのです。
枕教からはじまって、お葬式から中陰から百箇日、場合によっては月参り、それから一周忌、三回忌とありますよね。
これはどれも冥福を祈る儀式ですね。
だから霊魂があってのお勤めですよ。
もし、霊魂が無いというならそんな必要は無いわけですから。
それからいろいろと他にも和尚さんが霊魂を見たお話しはございますが、檀家さんの家を毎月、月参りしますね。
その始めて行った檀家さんの月参りだったそうですが、そこで回向をしますと、弘法大師が出てきたそうです。
こういう場合は、和尚さんの経験から言いましたら、弘法大師を信仰しているに違いない。
『弘法大師の霊魂』
現在しているか、かつてしているかどっちかだと。
つまり、護ってくれているのです。ご縁があるのですね。
お勤めが終わってから、奥さんがお茶を出してくれまして、そのときちょっとお伺いしますけど、お宅は弘法大師さんを信仰しているのですかと。
和尚さんの寺は浄土門ですから弘法大師は関係ないですね。
ですが、個人的に信仰をしているのかもしれないですからね。
ですが弘法大師が出てきたということは、これは弘法大師を信仰しているのちがいないと思ったわけです。
ところが、そこの奥さんがおっしゃるには、いいえ、とおっしゃった。
弘法大師の信仰はしておりませんと。
そうしましたら、始めての月参りなので、そこの御主人が挨拶に出てきてくれまして、奥さんがご主人に、和尚さんが誰か弘法大師を信仰していますかと聞かれたのですが、誰もしていませんねえ、とこういわれたのです。
すると御主人が、お前はそりゃ知らんなと。
だが自分も弘法大師は、信仰はしていない。
だけど、親が非常に弘法大師を信仰していたと言うのです。
奥さんがお嫁に来るまえに親は亡くなっているので知らなかったのですね。
毎月、二十一日の弘法大師の縁日には、提灯を吊って、そして縁のある人がその家に集まって数珠繰りをしたり、和尚さんをお迎えして話しを聞いたりして、毎月やっていたというのです。
それは奥さんが来るまえまでに親父は死んでいるから知らないのだと。
親父が死んで、自分は信仰が無いのでそれで終わってしまっているけど、その縁で弘法大師は今もその家を護ってらっしゃるというわけです。
弘法大師は霊魂といってはもったいない。
けれども霊魂にちがいない。歴史上の人物ですからね。
弘法大師は死ぬときに、私は死んだら、兜率天へ行くとおっしゃった。
だが、まだ仕事が残っているから、この世へ戻ってくると。
で、兜率天には弥勒という方がいらっしゃるのですね。
それはお釈迦様のお弟子さんだったのですね。
お釈迦さんが、弥勒よ、汝はあの世へ行って、五十六億七千万年の後にこの世へ出てきて、次の仏と成るべき者だと。お釈迦様が申し送った人なのです。
その弥勒という方は兜率天という天上界にいらっしゃる。
その兜率天という天は、この世に出て来られる仏様が、最後に居らっしゃる場所なのです。
だからお釈迦様も、この世へ来るまえは兜率天にいらっしゃって、そしてこの世へ出てきているのですね。
この世で仏様に成るお方は兜率天にいらっしゃって、そしてこの世へ出てくる。
弘法大師は、私が死んだら兜率天の弥勒菩薩の元へ往生していくと。
そして五十六億七千万年たったら、弥勒菩薩についてこの世へ生まれてくると。それまでの間は、あの世からお前たちの審不審をあの世から観察しておるぞと。
こういう遺言を残しておるわけです。
御遺言には、本年三月二十一日、虎の刻、閉眼すると。
こういう遺言を残してあるのですね。
ですから自分が死ぬ時刻まで分かっていたのですね。
そして閉眼の後は、弥勒菩薩の元へ行くと。
もうひとつ弘法大師の話しがありますのは、これは和尚さんの和歌山の寺の檀家さんで、そこもやはり和尚さんが始めて参りに行って、弘法大師が出てきた。
作品名:和尚さんの法話 「冥土の住人」 作家名:みわ