和尚さんの法話 「冥土の住人」
『六道』
今回は、和尚さんが体験したことをお話したいと思います。
死後の世界、霊界ということを深く認識して頂きたいと思います。
今までにお話ししたことと重なることもあろうと思いますが、おさらいのつもりでお付き合い願いたいと思います。
霊だけでもよろしいのですが、冥土の住人とつけましたが、霊魂というのは、あの世の人ですから、あの世の方ですね。そういうことです。
我々人間には肉体というものがございますが、霊魂には肉体は無い。
肉体は無いけれども身体はある。
だから見える者には見ることができるわけです。
場合によっては写真にも写る。そういうものです。
和尚さんはいつも死後の世界ということを強調しますが、これは仏教の前提であろうと思うておりますが、死後の世界が無ければ仏教は勿論、一切の宗教は成立しないと、こういう信念ですね。
仏教というものはそもそも迷いの世界と、覚りの世界といいますが、救いの世界ですね。
救われない世界と救われている世界と、こういうふうにたてて、そして救われていない世界から、救われるべく世界へ行くにはどうしたらよいのかと、いうのがこの仏教です。
現在、我々が住んでいるこの地球上、これを仏教語では娑婆といいますが、あの世は冥土といいますね。
この娑婆というところは、我々人間にとって仏教的な建て前から、どういう場所なのか。
つまり、救われている場所なのか、救われていない場所なのかと、こう考えたときに、この世というところは、救われていない場所ですね。
皆さんもよくご存じのように、仏教は六道という言葉を使いますね。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。
この六つを六道といいまして、これは迷いの世界。こういうふうに決めているのですね。
この世だけではなくて、あの世にも救われていない世界があるわけです。
仏教的にいえば、あの世にも迷いの世界があるわけです。それが六道。
その六道をもうちょっと違う言い方をしますと、欲界、色界、無色界。
一番下が欲の世界で欲界。
その次が色の世界で、色形がある綺麗な世界で色界。
それから色も形も何もない無色界。こういう三つに分けるわけです。
これを三界といいます。その三界の中に六道が全部入っているわけです。
何回も申しますが、欲界がもう既に地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間。これが欲界。
そして天上界の一部分にも欲界があるわけです。
これは霊界ですよね。
地獄、餓鬼はあの世です。
畜生はあの世にもあるが、この世にもある。修羅はあの世ですね。
それから人間はこの世にもあるが、あの世にもある。
我々の、延長した世界があの世にもある。
それから天上界。これがあの世だけです。
ですから畜生と人間と除いたらみんなあの世ですね。
畜生と人間の一部分だけがこの世にあるだけで、全部あの世です。
而も、欲界には天上界の種類、これが六つ。
色界には十八天。無色界には四天。天上界は非常に多いですね。
十八天ある。三界は二十八天。
だから天人の数というのは、我々人間界の数より遥かに多いわけですね。
然しながら、その天上界を頂点として、迷いの世界だと、こういうふうにいわれているわけです。
だから冥界の住人は、欲界にも色界にも無色界にも充満している。
我々人間の数より遥かに多い。
浜の真砂の数ほどあるわけですね、霊魂の数の方が。
そういう霊界へ行ったりこちらへ出てきたり、またあの世へ行ったり戻ったり、これを無間の過去から繰り返してきているわけです。
これを仏教では無始以来といいます。
始めの無い始めからある。始めが無いというのです。
何処まで行っても何処まで行っても始めが無い。
その始めが無い始めからずーっと今日まで迷い迷い続けてきているのが我々です。
未だかつて三界を出たことがない。
この三界の世界を出たら浄土ですね。
阿弥陀経にも出てきますね、西方浄土と。
そして東西南北と上下。
その西方浄土が阿弥陀様の浄土というわけです。
このように、代表的な如来様や菩薩様の名前がお経に出てきて、そしてあとは恒河砂数の仏様と。
恒河の砂の数ということですね。
恒河というのはインドのガンジス河のことをいうのです。
絶えることの無い河だというのですね、そしてその岸の砂の数というのは数えることのできないほどの数ということです。
それほどの数の仏様が、この三界の外に浄土を作っていらっしゃるわけです。
西にはどういう仏様が、極楽だけじゃないわけですね。東にも南にも北にも上にもあり下にもありと。
そういう浄土へ行くと。
その浄土というのは、これは永遠の世界ですね。
不死の世界です。
この三界は死の世界ですね。言いかえると輪廻の世界。三界の中を上へ行ったり下へ行ったり生まれ変わり死に変わりしているわけです。
場合によっては地獄にも落ちる。
或いは善いことをして天上界へ生まれる。
また慢心を起こして地獄へ落ちる。
或いは人間界へ落ちる。
或いは犬猫のような畜生に落ちる。
あちらへ行ったりこっちへ来たりくるくると輪のように廻る。輪廻といいます。
それを迷いというのです。或いは救われない境遇ですね。
この三界を出るには如何にすればいいのか。それが宗派ですよね。
昔の偉い坊さん方は自分の縁のある教を求めて、自分はこの教によってこの三界を出ると。
法然上人は、浄土教によって、この三界から出ようと。
或いは弘法大師は、大日経とか、真言三部経とか、そういうお経に従って三界を出ようと。
このように如何にして三界を出るかと、いうことを説いてあるのが仏教です。
そして最後は自分も浄土の主に成ると。
『霊魂』
そして自分に縁のある者を自分の浄土へ救うていくと、そういうことです。
みんな仏に成らねばならんし、成れるのだと、いうのが仏教の教えですね。
そこで我々は霊魂というものを信じている人は信じているのですけれもど、ちょっとなかなか信じ難いのですね。
ご自分が体験でもしたらもう即座に信じると思うのですけど、然し体験が無いと、よほど前世からの因縁が深くないというと、少々話しを聞かれても、或いはテレビを見られても本当かな、どうかな、というような疑問が残るのですね。
和尚さんがああいうテレビを見てもあれが全部正しいとは言えないそうですが、正しい部分が十分あるそうです。
霊魂が存在するということは十分証明されている映像が出てきているそうです。
私も霊の姿を実際に見た経験がありますので信じています。
和尚さんの体験の話しを以前にもご紹介をしましたが、始めての方もございますので、お話しします。
和尚さんが、京都の寺へ来たのが昭和の十三年で、寺へ来て一番最初の法事で、そのために印象が強く残っているそうです。
昭和のその頃というのは、戦争で法事どころではなかったという時代ですね。
そこへきてその寺には住職がいなかった。戦争に行っていましたからね。
そのため先祖の法事が出来ていなかったのですね。
或る檀家さんが、法事をお願いしたいといってきたのですね。
今回は、和尚さんが体験したことをお話したいと思います。
死後の世界、霊界ということを深く認識して頂きたいと思います。
今までにお話ししたことと重なることもあろうと思いますが、おさらいのつもりでお付き合い願いたいと思います。
霊だけでもよろしいのですが、冥土の住人とつけましたが、霊魂というのは、あの世の人ですから、あの世の方ですね。そういうことです。
我々人間には肉体というものがございますが、霊魂には肉体は無い。
肉体は無いけれども身体はある。
だから見える者には見ることができるわけです。
場合によっては写真にも写る。そういうものです。
和尚さんはいつも死後の世界ということを強調しますが、これは仏教の前提であろうと思うておりますが、死後の世界が無ければ仏教は勿論、一切の宗教は成立しないと、こういう信念ですね。
仏教というものはそもそも迷いの世界と、覚りの世界といいますが、救いの世界ですね。
救われない世界と救われている世界と、こういうふうにたてて、そして救われていない世界から、救われるべく世界へ行くにはどうしたらよいのかと、いうのがこの仏教です。
現在、我々が住んでいるこの地球上、これを仏教語では娑婆といいますが、あの世は冥土といいますね。
この娑婆というところは、我々人間にとって仏教的な建て前から、どういう場所なのか。
つまり、救われている場所なのか、救われていない場所なのかと、こう考えたときに、この世というところは、救われていない場所ですね。
皆さんもよくご存じのように、仏教は六道という言葉を使いますね。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。
この六つを六道といいまして、これは迷いの世界。こういうふうに決めているのですね。
この世だけではなくて、あの世にも救われていない世界があるわけです。
仏教的にいえば、あの世にも迷いの世界があるわけです。それが六道。
その六道をもうちょっと違う言い方をしますと、欲界、色界、無色界。
一番下が欲の世界で欲界。
その次が色の世界で、色形がある綺麗な世界で色界。
それから色も形も何もない無色界。こういう三つに分けるわけです。
これを三界といいます。その三界の中に六道が全部入っているわけです。
何回も申しますが、欲界がもう既に地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間。これが欲界。
そして天上界の一部分にも欲界があるわけです。
これは霊界ですよね。
地獄、餓鬼はあの世です。
畜生はあの世にもあるが、この世にもある。修羅はあの世ですね。
それから人間はこの世にもあるが、あの世にもある。
我々の、延長した世界があの世にもある。
それから天上界。これがあの世だけです。
ですから畜生と人間と除いたらみんなあの世ですね。
畜生と人間の一部分だけがこの世にあるだけで、全部あの世です。
而も、欲界には天上界の種類、これが六つ。
色界には十八天。無色界には四天。天上界は非常に多いですね。
十八天ある。三界は二十八天。
だから天人の数というのは、我々人間界の数より遥かに多いわけですね。
然しながら、その天上界を頂点として、迷いの世界だと、こういうふうにいわれているわけです。
だから冥界の住人は、欲界にも色界にも無色界にも充満している。
我々人間の数より遥かに多い。
浜の真砂の数ほどあるわけですね、霊魂の数の方が。
そういう霊界へ行ったりこちらへ出てきたり、またあの世へ行ったり戻ったり、これを無間の過去から繰り返してきているわけです。
これを仏教では無始以来といいます。
始めの無い始めからある。始めが無いというのです。
何処まで行っても何処まで行っても始めが無い。
その始めが無い始めからずーっと今日まで迷い迷い続けてきているのが我々です。
未だかつて三界を出たことがない。
この三界の世界を出たら浄土ですね。
阿弥陀経にも出てきますね、西方浄土と。
そして東西南北と上下。
その西方浄土が阿弥陀様の浄土というわけです。
このように、代表的な如来様や菩薩様の名前がお経に出てきて、そしてあとは恒河砂数の仏様と。
恒河の砂の数ということですね。
恒河というのはインドのガンジス河のことをいうのです。
絶えることの無い河だというのですね、そしてその岸の砂の数というのは数えることのできないほどの数ということです。
それほどの数の仏様が、この三界の外に浄土を作っていらっしゃるわけです。
西にはどういう仏様が、極楽だけじゃないわけですね。東にも南にも北にも上にもあり下にもありと。
そういう浄土へ行くと。
その浄土というのは、これは永遠の世界ですね。
不死の世界です。
この三界は死の世界ですね。言いかえると輪廻の世界。三界の中を上へ行ったり下へ行ったり生まれ変わり死に変わりしているわけです。
場合によっては地獄にも落ちる。
或いは善いことをして天上界へ生まれる。
また慢心を起こして地獄へ落ちる。
或いは人間界へ落ちる。
或いは犬猫のような畜生に落ちる。
あちらへ行ったりこっちへ来たりくるくると輪のように廻る。輪廻といいます。
それを迷いというのです。或いは救われない境遇ですね。
この三界を出るには如何にすればいいのか。それが宗派ですよね。
昔の偉い坊さん方は自分の縁のある教を求めて、自分はこの教によってこの三界を出ると。
法然上人は、浄土教によって、この三界から出ようと。
或いは弘法大師は、大日経とか、真言三部経とか、そういうお経に従って三界を出ようと。
このように如何にして三界を出るかと、いうことを説いてあるのが仏教です。
そして最後は自分も浄土の主に成ると。
『霊魂』
そして自分に縁のある者を自分の浄土へ救うていくと、そういうことです。
みんな仏に成らねばならんし、成れるのだと、いうのが仏教の教えですね。
そこで我々は霊魂というものを信じている人は信じているのですけれもど、ちょっとなかなか信じ難いのですね。
ご自分が体験でもしたらもう即座に信じると思うのですけど、然し体験が無いと、よほど前世からの因縁が深くないというと、少々話しを聞かれても、或いはテレビを見られても本当かな、どうかな、というような疑問が残るのですね。
和尚さんがああいうテレビを見てもあれが全部正しいとは言えないそうですが、正しい部分が十分あるそうです。
霊魂が存在するということは十分証明されている映像が出てきているそうです。
私も霊の姿を実際に見た経験がありますので信じています。
和尚さんの体験の話しを以前にもご紹介をしましたが、始めての方もございますので、お話しします。
和尚さんが、京都の寺へ来たのが昭和の十三年で、寺へ来て一番最初の法事で、そのために印象が強く残っているそうです。
昭和のその頃というのは、戦争で法事どころではなかったという時代ですね。
そこへきてその寺には住職がいなかった。戦争に行っていましたからね。
そのため先祖の法事が出来ていなかったのですね。
或る檀家さんが、法事をお願いしたいといってきたのですね。
作品名:和尚さんの法話 「冥土の住人」 作家名:みわ