りんごの情事
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翌日、來未はいつもよりちょっとオシャレをしてホテルを出た。
大崎とは、図書館の近くの公園で待ち合わせをしている。暑いので、近くのファミレスに避暑することになるだろう。
5分ほど歩くと來未は後ろを振り返った。
2,3メートル程後方に明吉の姿があった。明吉は來未が振り返るのに気付くと思いだしたように電柱の陰に隠れた。
來未は思わず笑ってしまったが、振り返って真顔に戻り、携帯電話を開いた。
『隠れたりすると、余計怪しいですよ。あと、ちょっと近いと思います(笑)』
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見慣れた街を歩く。
東京と違って、着くかどうかの不安感はない。來未はほっとするような安心感に包まれている。空気も來未にあっているような気がした。
目的の公園にはホテルから20分程あった。約束の時刻まであと5分。少々早く着いてしまったが、大崎は既に到着していた。久々にみる大崎の姿。
「ひさしぶり。」
「うん。ひさしぶり。元気だった?」
「うん。來未は?」
「ここまで来るのが疲れた。電車で来たの。」
「は?電車?」
「うん。8時間くらいかかった。」
「8時間?まじで?いつ来たの?」
「昨日。」
「昨日?誰んちに泊まったの?」
「ホテルに泊まった。」
「へぇ。」
二人はなんとなく歩み出し、大きな噴水の前まで来た。
そして、大崎は噴水のヘリに座って、來未に隣に座るように促した。來未はにっこりほほ笑んで首を横に振り、しゃがみこんだ。大崎は少し残念そうな表情を見せた。
「東京、どう?」
「人が沢山いるよ。すっごく都会。今住んでるアパートがね、みんな個性豊かで良い人達なんだ。だから、結構すぐに慣れた。携帯も、同じアパートのお姉さんといっしょに買ったんだよ。」
「お姉さん?」
「うん。美大生で、凄くお世話になってる。ちょっと変わった性格をしているけど、凄く良い人なんだ。」
「へぇ。向こうで楽しくやってるんだな。」
「まぁね。最初は突然過ぎてどうしたらいいのか分からなかったけど、色んな人に包まれてたら、楽しくなった。皆で甲子園を観に行ったりしたんだよ。大崎は、どうなの?」
「俺?んー、まぁ、特に、変わらねーや。結局サッカーも予選大会で駄目だったし。まぁ、仕方ねーし、次だな。」
「そっか。ざんねんだったね。」
大崎は、來未から目を逸らし、申し訳なさそうな表情でポリポリと後ろ頭をかいた。
來未は微笑みを湛えたまま、そんな大崎を見つめる。
周りは油蝉やみんみん蝉が命をかけて鳴きしぐれ、夏の暑さを演出する。日差しも痛いくらいに暑い。ただ噴水の流れ出る音と飛び散る水しぶきが涼やかで、まだかろうじてこの場にいることが出来る。
さらに暑くなったら、近くのファミレスに移動するつもりであった。
「大崎、多々良さんとはどうなったの?」
表情を変えずに、來未はごく自然な様子で大崎に尋ねた。大崎は、一瞬驚いた表情で「は?お前、何言ってるんだ?ちょっと意味わかんねぇ。」と動揺してみせる。
「ゴールデンウィーク、多々良さんと一緒に東京に来てたの、見かけたよ。東京に来るなら、声かけてくれれば良かったのに。」
大崎は何も言わなかった。蝉がうるさいな、と來未は思った。
「教えて。大崎、今、多々良さんと付き合ってるの?」
いつもと同じように落ち着いた様子で、來未は大崎に問いかける。問いかけに応えるのは、水のざわめきと蝉しぐれ。來未は大崎から答えを得たところで、全てが解決するわけではないことを知っていた。只今の大崎との会話は水のざわめきと蝉しぐれとの会話と同等であり、意味がない。それでも、來未は大崎とのセッションを続ける。
「私が引っ越す前も、多々良さんだったよね。きちんと本当のことを言ってくれればいいのに、どうして大崎は隠すの?どうして何も言ってくれないの?」
來未は、微笑みを湛えたまま、大崎から目を逸らさない。
しばらくは蝉と噴水が返答をしていたが、やがて大崎はぼそぼそと口を開いた。
「多々良とは…、もうなんでもねぇよ。」
周りの音と相俟って大崎の声は聞き取りづらく、來未は思わず顔を横に傾けた。
「お前が思っている通り、多々良とはお前が東京に行ってから付き合ったよ。東京の大学見学にも行ったよ。だから、メールとか電話とかもあんまり返さなかった。多々良はお前と違って素直で明るくて、めっちゃ俺に甘えて来たよ。本当に可愛かった。」
やっぱり、そうなんだな、と來未は思うと同時に、めまいがしてきた。暑さで頭が湯立って来たのだろうか。
「本当はさ、今日も一緒に花火に行く予定だったんだけど、お前に会うって話をしたら、すっげー怒って、別れるってなったんだよ。あいつ、とにかく可愛いんだけど、時々ヒステリーなところがあるんだよな。お前は落ち着いてて理解あったのにな。」
暑い。
來未は汗が頬を伝うのを感じた。
じわりじわりと暑さが体力ともう一つの何かを奪って行っているようだ。
「でも、おれはお前に会いたかった。だから、あいつと別れたよ。お前の声や顔、その立ち振る舞いをもう一度見たかった。そして、出来ることなら、やり直したいとも思ったんだ。」
暑い。
來未は鞄からハンカチを取り出し、落ちてくる汗を拭いた。大崎がこちらに視線を合わせてくるが、來未は意図的にその視線を外した。
來未は多々良さんのことがあまり好きではなかった。福井にいたころから、多々良さんは大崎のことが大好きで、彼女である來未のことを目の敵にしていた。多々良さん側の女子グループから陰口を言われていたこともあった。
しかし、これではあまりにも多々良さんが可哀そうではないか。
元カノに合わせてもらえないから、というのが別れの理由だなんて、多々良さんがあまりにもかわいそう過ぎる。それよりもなによりも、あの男は來未がまだ自分のことが好きだと思いこんでいることが、酷く腹立たしく感じられた。
「來未、今日はいつまでいるんだ?もしいけるんなら花火、一緒に見行こうぜ。また、お前といっしょに花火を見たいんだ」
來未は大崎を一瞥する。
大崎ははにかんだ笑顔で來未を見つめている。きっと來未が断ることなど考えていないだろう、と容易に察することのできるほどの屈託のない表情だ。
「大崎は多々良さんといた方が良いよ。今からでも謝って、多々良さんと花火に行きなよ。多々良さんの方が、大崎に合うと思う。きっと、私よりも多々良さんのほうが、大崎のこと、好きだよ。」
「は?來未?」
來未は暑さでめまいがするのと大崎に対する落胆とでがっくりと項垂れた状態で話を続けた。
「私、大崎のこと好きだったけど、うん、もしかすると今でも好きなのかもしれないけど、でも、よりを戻したら、きっとまた同じ気持ちになると思う。大崎はきっと、また多々良さんのことが恋しくなって心はきっと多々良さんに戻ると思う。知ってる?浮気相手って本命の相手の足りないところを好きになるんだけど、本命が持つ良さには敵わないんだよ。浮気相手は所詮不足分。本命がもっている良さには勝てないんだよ。私はね、多々良さんみたいに大崎の好みのタイプじゃないの。」