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りんごの情事

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 そして日曜日。
 仁田村からの希望で、今日はプレーンとココア味のクッキーを作った。材料は仁田村が持ってきてくれたが、來未は加藤風子をはじめとする高校の友達にもクッキーを渡そうと考え材料を買い足した。
 來未にとって料理の時間は至福の時間である。料理は楽しい。中でもお菓子作りや手間暇かけて作る料理作りはなんとも言えない高揚感がある。福井の高校では家庭部に入っていろんな料理を作っていたが、残念ながら北澤高校には家庭部のような部活が存在しないのだ。もしあったら來未は入部していただろう。
 クッキーをラッピングして紙袋に入れて、來未はムサシを散歩に連れだした。
 日曜日の夕方は何となく静かな気がする。明日から始まる一週間に備えて人々は英気を蓄えておくのだろうか。「暖かい日」から「暑い日」に変わりつつある最近だが、もうじき「蒸し暑い日」が続くことになるだろう。
 河川敷へ向かう途中に通る公園の入り口の叢には、大きく肥えた猫がどっしりと構えていた。
夕暮れを迎えて子供たちがいなくなった公園を狙って、人々が自分の目の前を通り過ぎるのを眺めるのが楽しいのだろうか。來未はしゃがんで猫の様子を眺めてみた。ムサシも猫に興味を持って、鼻をふんふんと鳴らしながら近づいていくが、鼻が猫につくかつかないかの距離まで近づいた途端、猫はフーと声を荒らげ飛びかかってきた。ムサシはびっくりしてすぐさま來未の後ろに隠れた。
 來未はくすりと笑いながら、猫に別れを告げ、河川敷へ向かった。
 河川敷にはまだ明吉は来ていなかった。携帯を開いてみるとちょうど17時になったところだった。明吉から「17時過ぎに河川敷につく」というメールを貰っていたので、もうすぐ明吉もやってくるだろう。
 数分後、明吉はやってきた。相変わらずTシャツにハーフパンツのラフなスタイルだ。
「來未、本当に来たんだな。」
「ええ、だってこの前約束したじゃないですか。ちゃんとクッキーも持ってきましたよ。」
 そういって來未は明吉にクッキーが入った紙袋を見せる。
「うわぁ、本当だ。クッキーも作ってくれたんだ。夢みたいだ。」
「この前はプレーンだけだったんですが、今日はニタさんリクエストでココア味もありますよ。はい、どうぞ。」
 來未が差し出した紙袋を、明吉は「ありがとう」と言って、恭しく受けとった。喜びに耐え切れないのか口元が至極緩んでいる。そして、すぐに中身を取り出す。明吉には可愛すぎるラッピングに包まれた小袋だ。
「食っていい?」
「はい、どうぞ。」
 明吉は來未から許可を得ると、丁寧に袋を開け、プレーン味のクッキーを1つを頬張る。明吉は來未の手作りのクッキーをしっかりとよく噛んで味わった。もぐもぐして、ごくんと飲み込むと、明吉は一言「うまい!」と言った。
「やっぱ市販のクッキーじゃなくて、手作りクッキーだよな。本当にホッとする味。最高だな。來未、ありがとう。これ、ルームメイトに自慢するわ。でも、ココア味も食べとこう。」
 そう言って明吉は小袋からココア味のクッキーを探し出し、嬉しそうに頬張った。そして「やっぱりうまい!」と声をあげる。
 來未は明吉にここまで喜んでもらえるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。作ったものを褒められるのは普通に嬉しい。
 ふと、來未はこの前の風子との会話を思い出した。明吉の弱点を聞かねばならない。
「明吉さん、このまえ、うちの野球部のマネージャーの子が、明吉さんの弱点を知りたいって言ってたんです。明吉さんの弱点、ありますか?」
「随分直球な質問だな。弱点か…。考えたことなかったな。」
「そのマネージャーの子が明吉さんのこと目の敵にしてて。甲子園ではなく、打倒榎本明吉なんですよ。」
「まぁな、この前來未のところぼこぼこにしちゃったもんな。そりゃぁ目の敵にされるわな。」
 明吉は、「弱点か」と呟きながら、ムサシを見つめる。ムサシも嬉しそうに明吉を見つめ返すが、明吉は自分の弱点とは何かということで頭がいっぱいだ。
 來未も自分の弱点とは何か考えてみた。確かに突然聞かれてもすぐには浮かばない。が、來未はふと大崎のことを思い出してしまい、悲しい気持ちになった。弱点など、聞かない方が良いのかもしれない。
「明吉さん、無理に、とは言わないです。よく考えれば政宗さんもいるんで、政宗さんに客観的にみた明吉さんの弱点を聞いてみます。」
「え、兄貴に聞くの?それは困るな。」
「そうですか?」
「ううん、なんつーか、うん。」
 明吉はそう言い濁しながら、口を閉ざす。そしてしゃがんでムサシを抱きよせながら
「もしかすると、俺の弱点は兄貴かもな。」
と呟くのだった。
「兄貴だけには勝てないんだよね。勉強も、生き方も、恋愛も。俺さ、実は兄貴に負けないように勉強も頑張って結構上位に入ってるんだけどさ、基本的に試験とかで1位を取っちゃう兄貴の弟だとそんなこと、大したことじゃないんだ。ちゃらんぽらんに見えてああいう見てくれだろ。女の子からも人気でさ。俺が兄貴に唯一勝てるのが野球ぐらい。」
 明吉は自嘲気味に一気に話す。常に明るくさわやかな明吉の意外な顔だ。
「でも、兄貴は俺のこと可愛がってくれるし、頼りになるし、自慢の兄貴だから、嫌いじゃないんだ。だからこそ、弱点なのかもしれないけど。」
 明吉が政宗をこのように評するのは意外だった。來未が知る政宗はちょっと変わり者のフリーターとしての政宗だ。仁田村からもぼろくそに言われているのを耳にする。明吉がライバル視するほどの相手だが、それ以上に兄として好きであるから明吉の弱点たる所以なのかもしれない。
「ま、マネージャーちゃんには悪いけど、俺の弱点は自分の兄貴って伝えといて。まぁ、兄貴がいる以上、野球に関しては常に上を目指し続けるけどな。野球でしか勝てないから。」
「でも、野球にひたむきになる明吉さんはすごいと思います。」
 それに比べて來未には、何もないのだ。熱中するべき趣味も夢も。保健委員会は良い暇つぶしにはなるが、正直なところすごく楽しいとは思えない。大崎の件で、仁田村が來未に気晴らしをもたらしてくれなかったらどうなっていただろう。きっと來未は今でもあの時のことに衝撃を受けたままで落ち込み続けていただろう。
「なんだか私の周りはキラキラした人ばかりです。風子もいっつもマネージャー頑張ってるし、龍君も明吉さんに負けないくらいサッカーを頑張ってる。ニタさんや天花さんも、芸術に生きててかっこいいし。」
 明吉は意外そうな表情で來未を見つめる。そして、立ち上がって、來未の頭をぽんぽんとなでた。
「來未、なんか焦ってる?というよりなんかあった?」
 ふと來未は明吉を見上げる。頭を押さえつけられて、視界が前髪で遮られているが、明吉と目が合うと明吉は不思議そうな表情を見せた。が、すぐににっこりとほほ笑んだ。來未はその笑顔に安堵感を覚えた。兄がいたら、こんな感じなのだろうか、と一人っ子の來未は想像した。そして來未はゆっくり首を横に振り、明吉の手を振りほどく。
「いいえ、大丈夫です。確かに「なんか」はありました。でも。」
作品名:りんごの情事 作家名:藍澤 昴