りんごの情事
「それはただの言い訳に過ぎないわ。ゴキブリが出てきたら、もう全部あんたのせいなんだから。忙しくても、ちゃんと片付けなさいよね。」
黙々とゴミを捨てていくアリス。まるで母親のように、手慣れた様子で政宗の部屋をか片付けていくが、はたとその手を止める。
「ちょっと、なんで私があんたの部屋を掃除しないといけないわけ?もう私はここの住人じゃないのに!てゆーか、来客があるって知ってるなら、少しは片付けておいてよね。」
「ははは。なんか、アリスが来るって聞いたから、片付けないでおいた。」
その瞬間、政宗の眼前に3週間前に発売された週刊誌が飛んできて、政宗の顔面に勢いよくぶつかった。政宗は突然のことでびっくりしたが、目の前のアリスを見ると、その表情は怒りに包まれているようだった。
「このダメ男…。今までは、ゴキブリを繁殖させないためにも、あんたの部屋の片づけを定期的に私がやって来たわけだけど…。私はあんたのお母さんじゃないの!」
政宗には目の前のアリスが、まるで鬼のように見えた。これは尋常なことではないと察知した政宗は、すぐに立ち上がって、いそいそと部屋の片づけを始めた。アリスは、ゴミ袋をその辺に放置すると、さっきまで政宗が座っていたベッドに腰をかけて、政宗が部屋を片付ける様子を眺めていた。
部屋は1時間ぐらいで綺麗に片付き、客人に茶を振る舞えるほど落ち着いた状態になった。
政宗はお茶を淹れ、自分とアリスに振る舞った。
「で、仕事はうまくやってんの?」
お茶をすすりながら、政宗が尋ねる。
「う〜ん、まぁ、ずっと研修が続いててね。最近、やっと配属先も決まったところ。なんか、仕事らしい仕事はしてないような気がする。でも、それでも毎日刺激的で、充実した毎日は送ってるような気がするよ。」
「へぇ、そりゃ、いいことだ。で、いつまでいるんだ?」
「明後日まで。明日は大学の時の友達と会って食事会をするけどね。」
「そっか。で、彼氏はできたのか?」
「は、また馬鹿なこと言って。それよりも、政宗はいつ落ち着くのよ。まだフリーターなんてやってるの?」
「あぁ、まだしばらくは。」
「そうなんだ。政宗が何考えてるのかはよく分からないけどさ、政宗はポテンシャルを秘めてる人だから今のフリーターでいる状態はもったいない気がするんだよね。」
「心配してくれてるのか。ありがとう。」
にっこりとほほ笑む政宗。政宗はやっぱりつかめない。どちらかと言えば日本人顔寄りで、金髪碧眼。口を開けばごく普通の日本語を話す。でも、自分達とは何かが違うと感じさせる雰囲気を彼はどこかにひそめている。
「そうだ。2階に、女の子が引っ越してきたんでしょ?龍がよくご飯ごちそうになってるって。」
「あぁ、來未ちゃん?來未ちゃん、素朴でかわいいからなぁ。もう龍も明吉もメロメロで。」
「なに、明吉も?」
「あぁ。天花が言ってた。明吉、來未ちゃんとどうしてもお話ししたくて、こっちに来たんだとよ。龍んちにマリカしに行くって口実を作ってさ。」
「へぇ、そんなことがあったの。あの野球少年が…。遊びに誘っても、『今日、野球の練習あるから!』の一言で、りんご荘には全然寄りつかない子だったのに。」
「まぁ、あいつ、昔はアリスのことが好きだったけどな。」
「え、何それ、初耳なんだけど!」
「俺らが付き合っちゃったから、きっぱり諦めたんだって。『兄貴にアリスはゆずってやる。だから、幸せにしろよな』って。」
「えー、それは初耳だったわ。あんたら兄弟間でそんなやり取りがあったんだ。」
「ま、結局俺らは別れたわけだけど。」
「一時期はあんたが格好良く見えた時期もあったんだけどね。でも、やっぱ良く分からないのよ、政宗は。」
アリスはお茶を飲み、ふう、とためいきを吐いた。政宗は、表情一つ変えることなく微笑みを湛えており、ただアリスを見つめている。
出窓から差し込む西日に透き通る政宗の金髪。日本人とも外国人とも言えないようなその顔の作りに映える青い瞳。政宗が纏う言葉に出来ない違和感は、時々妖艶な雰囲気を漂わせる。
「ま、良い友達として、これからも仲良くやって行きましょ。永遠に。」
と、言ってアリスはにっこりとほほ笑んだ。すると、政宗はアリスから視線を外して、小さく「ふふふ、ま、そうだよね。」と呟いた。テーブルの真ん中にあるかりんとうに手を出すと、思い出したように言葉を発した。
「あ、そういえば、噂の來未ちゃんが晩ごはん振る舞ってくれるって。今、昔野と買い出しに行ってる。仁田村もご飯の時間までには帰ってくるらしいから、夜は昔野のところに行こうぜ。」
「そう、じゃぁ、帰ってきたらお手伝いに行きましょうよ。」
「アリスはお掃除専門な。台所には立ち入り禁止だぞ。」
「失礼な。玉子焼きくらい作れるようになったんだからね。」
「あぁ、それならおれも作れる。」
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「おいしい!來未ちゃん、あなた本当良いお嫁さんになれるわよ!」
アリスは筍ご飯に舌包みを打つ。
夜、昔野の居間にりんご荘の皆が集まって、食事をとっていた。昔野と來未と仁田村とアリスと政宗が集まっている。昔野の居間のテーブルは長方形なので、仁田村と來未が長辺に一緒に座っている。來未の隣にはアリスが座っており、その向かいには昔野が座っている。
久しぶりに大勢で食事を取るのは久しぶりだ、とアリスは感じた。しかも手料理である。なんとも心が温かくなってくるではないか。
噂の新居者である栗山來未も素朴で大人しくてとてもいい子だ。こんなにおいしい料理が作れるのだ。確かに弟の龍の胃袋を掴まずにはいられない。缶ビールも飲んで、アリスは上機嫌だった。
「いやぁ、でも、くーちゃんはニタの嫁だから。もうニタは沢山くーちゃんのご飯を食べてるからね。」
「なにそれ、ニタ、來未ちゃんのこと、くーちゃんって呼んでるの?じゃぁ、私もくーちゃんって呼んでいい?」
アリスは隣の來未と腕を組んで、体をくっつける。來未は少し戸惑った様子で、「ああ、はい。」と答えた。
「う〜ん、でも、もしくーちゃんが龍と結婚したら、私、くーちゃんのお姉さんになれるんだよね。どう?くーちゃん、うちの龍、どう?」
「待て、アリス、うちの明吉だって負けてないぞ。くーちゃん、どうだ、明吉は。アリス、そしてお前は俺と結婚すれば、くーちゃんがお前の妹になるぞ。」
不敵な笑みを浮かべる政宗。
アリスは、酔いのせいか判断が鈍りその手もあったか、というような表情をしたが、すぐに政宗の頬をひっぱたいた。パチンと良い音が鳴り響く。
「くーちゃんが妹になるのはいいけど、あんたと結婚なんていやよ!仕事も決まってないのに!冗談じゃないわ!」
と、アリスは啖呵を切ると、一気にビールを飲み干す。
仁田村はお腹を抱えて笑い転げた。來未以外は皆お酒を飲んで、ほろよい状態だ。昔野も、缶ビールを1本開けて、あんなに眠たそうにしている。
「…あれ、そういえば、灰冶は?ゴールデンウィーク中だから、灰冶も仕事休みじゃないの?」
「あ、灰冶にーやん誘うの忘れてた。多分、にーやん、休みだよ。政宗、呼んできてよ。」