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煌く夢に神の抱擁

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「私もね、お母さん苦手だったんだ」
「……苦手?」
「うん。私とは血のつながりのないお母さんだったから余計かもしれないけどね。優しかったんだけど、でも私の一番深いところまでは来てくれなかった。どこかで線を引かれているように、いつも感じてたの。子供の頃は好きになってほしくて、可愛がってもらいたくて必死だったけど、大きくなってしまうと、そんなことばかりに眼を向けてなくてもっと自由になりたいと思うようになった。だから好きな歌を生きていく方法に選んだの」
 長身のアンリを見上げてアディーは笑った。長い睫毛に彩られた愛らしい瞳がふんわりと笑みの形に変わるのが、アンリには綺麗に見えて、そしてどこか悲しそうにも見えた。
「お母さんとお父さんは、今こうしてアディーが頑張ってることは知ってるの?」
「うん? ……そうね。楽しみにしてくれてたわ」
 アディーの瞳の中に暗いものが一瞬して吹き上がり、揺らめいた。
「じゃあ今度は、頑張らないとね」
 アンリがそっと アディーの照明を受けて煌く金色の髪をふわりと撫でた。ほっそりとした死神の手が髪をするりと滑ると、アディーがくすぐったそうに笑った。
「アンリって、死神らしくないよね」
「そう、かな?」
 髪を撫でてくるアンリを、アディーがおかしそうに見上げて楽しげに笑うのが、アンリにはまぶしく見える。どこまでも純粋な笑顔を向けられた死神の顔も、楽しそうに笑みの形に変わった。
「なんだかのんきだし、それにすごく優しいもの。話に聞く死神ってもっと怖いし気味が悪いものだと思ってたわ」
「気味が悪いって……そんなことないよ?まぁ、のんきだとはよく言われるけどさ」
 やや不満げに言うアンリの顔が子供のように見えて、アディーがますます声を抑えながら笑った。
 こうしてみると本当に普通なんだよなぁ。この子。でも、歌うとまた声が変わって雰囲気も変わるのが不思議。
 アンリは目の前で笑っているアディーをニコニコしながら眺め下ろした。頭の中にはいつの間にかまた、喝采を受けて歌声を披露するアディーを想像しながら。
 そのうちアディーがまた練習を再開し始め、アンリは邪魔をしないように劇場を後にした。
 帰り際。アディーがアンリになぜここにやってきたのかと問いかけた。そもそも死神がそこらじゅうに実はいるのかといったことを聞かれたことがきっかけだったのだが。
 アンリはあまりはっきりと本当のことを言えなかったので、仕事だよとだけ答えた。この街で大量の死者が出るなんてことは、住んでいるアディーに言えば気を悪くするかもしれない。それに、アディーがその死者の中に入っているわけでもないのだから、とアンリは思っていた。
 しかしアンリの仕事は死に行く魂の回収。それを知っているアディーは、誰かが死んでしまうことを少しだけ悼んだような表情を見せた。
 それから、ふと笑って、
「私が死ぬときは、アンリが迎えに来てくれる?」
 と冗談っぽく笑った。
「僕が迎えに来るのなら、契約してもらわないとだめなんだよ。今度する?」
 冗談めかしたアディーの言葉に、アンリもまた冗談っぽく答えて、互いに笑顔で「また明日ね」
 と、声を交わした。


 外はまだ日が高く、アンリが町を見下ろすように空に姿を現して、陽射しの強さに目を眇めた。
 他の人間たちには、アンリのその姿は見えない。結界を張っているアンリがふわりと漆黒のローブを風に躍らせて、長い睫毛を伏せがちにした宝石のように綺麗な瞳をじっと街に注いだ。
「今夜……だっけか」
 今夜。
 起こることを考えながら、顔色に似合わない妙に血色の良い唇から言葉がポツリと零れた。


   ***


 それは、漏電がきっかけだった。
 古い劇場の建ち並ぶ一角で、小さな火花がきっかけの火は瞬く間に大きくなり、その建物を飲み込んだ。ひしめき合うようにして並んでいる劇場やレストランなどの施設が次々に炎の中に取り込まれて、まるで生き物のように赤い熱を持った化け物に変わる。
 人々は逃げ惑い、そして消火は難航した。
 決して広くはない通りの小さな劇場から吹き上がった炎に、消防車は入り込めず、人の手によって何とか火を消そうと足掻いてるが、賑わいが一番大きくなる時間帯の火事は、あざ笑うかのように大きく大きくなっていく。辺り一帯に叫び声や怒号に近い声が溢れ、避難を誘導する人たちの声がかき消されていく。
 煙がいくつも上る夜空を、アンリは空に身を漂わせて黙って眺めていた。透き通る宝石の瞳に浮かび上がる紅蓮の炎が様々なものを焼き尽くし、そのおぞましいほどの匂いが高い鼻梁を掠めていく。普段あどけないほどの表情を浮かべているアンリの顔には、何の感情も読めない仮面が張り付いていた。
 死神の仕事は「その日死に行く魂の回収」。
 それがアンリの仕事であり死神のできるただ一つの仕事である。どんなときも、どんな綺麗な魂も穢れた魂も、それを器となる身体から切り離して回収するときには、自分が持てる最大の慈愛を持ってあたる。それくらいしかできないのだから。
 しかし、何の罪もない人間が苦しみ、無常にもこの世から切り離されることは、アンリとて楽しいはずもない。争いや不慮の事故などのときは、いつも思う。
 せめて常世へと導くことが癒しになれば。
 自身は永く、気の狂いそうな時間を持つ神。決して人間のことを理解できるはずもないのだが、それでも、何とかしてその心に寄り添える立場でいたいと、青い死神が心を痛めた。
「こんなところにいたのですか」 
 漆黒のローブがふわりと風に踊ったとき、背後から抑揚のない声が聞こえた。それに振り返ることなく、アンリがのんきな声で言葉を返した。
「ん? まぁね。僕は監視するだけの立場だしね。下に降りていく必要なんてないもの」
 振り向かずに答えたアンリのすぐ横に、雪のように白いローブを着たユリが並ぶ。真紅の鎌を手にした死神が、藍色の瞳にアンリと同じように燃え盛る炎を映しながら。
「立場、と仰るわりには……苦しそうな顔をなさっていますね」
 ちらりとその瞳を動かし、ユリはアンリの端整な横顔を見つめた。二人の眼下に広がる光景は先ほどからますます勢いを増した炎で街の1/3ほどが被害を受けているようだ。
 ひしめき合う建物と狭い通りばかりの一角から出た炎が、水を得た魚のように街を飲み込んでいく様子を二人は黙って見下ろしている。アンリとユリ以外の死神がそこかしこに出現し、息絶えた人間から魂を回収している様子まで、それぞれに煌く瞳に映し出された。
「それにしても、何人回収するの?」
 アンリがふと、ユリに問いかけた。
「何人って……ご存知ないのですか?」
「うん。あんまり興味なかったから。人数までは把握してない」
 のんびりとした口調で言ったアンリに、ユリが思わず眉根を寄せた。何かにつけてあまり興味のない自由なアンリの性格を思えばこれも当たり前なのだろうが、生真面目なユリにはそれこそ理解できないことだった。眉間の皺を隠そうともしないままにユリが大きくため息をついた。
「まぁ、ここは私の管轄なので、あなたはそこまで知らなくても良いのかもしれませんが……ざっと250ほどです」
作品名:煌く夢に神の抱擁 作家名:なぎ