花の咲き誇る場所へ
アンリの言葉にニコラは大きく頷いて、小さな手で懸命に蓮華を摘み始める。その様子を見ていたアンリは自然とあどけない笑みを浮かべていた。
ニコラの摘んだ蓮華を、アンリは細い指で器用に編んでいく。死神の鎌を自分の座り込んだすぐ横に置いて、漆黒のローブをふわりと広げているアンリの隣に、たくさんの蓮華を手に持ったニコラが座り込んで驚いた。
「すごい!」
大きな青い瞳を輝かせて、ニコラはアンリが花を編んでいくのを見つめている。それにアンリはクスクス笑って、綺麗な青紫の瞳で少女を見た。
「そう?ニコラももう少し大きくなったら出来るようになるよ」
「アンリが教えてくれる?」
「…僕が?」
「うん。アンリが良い」
何をどうしたらこんな真っ黒で、人間からすれば妖しい自分をここまで気に入ってくれるのだろうか。不思議に思いながら、アンリは困ったようにニコラに言う。
「僕は、教えてあげられない。…ごめんね。仕事が、あるから」
あやふやな事しかいえなくて、アンリは言葉につまってしまう。実は死神だからもう会うこともないよ、とはっきり言えなかった。
「そうなの?」
少し残念そうに、アンリを見るニコラに心が痛んでしまう。
「でもさ、今日はいっぱい作ってあげる。腕輪とか、冠とか。他の花でも作ろうか」
気分を入れ替えるようにアンリは明るい声でニコラに言って、青白く、黙っていれば怖いくらいに整った顔にあどけない笑みを浮かべた。
「本当?じゃあママにたくさんお花あげられるね。春になったらお花が見たいってママ言ってたから喜ぶと思う」
「そう?じゃあ僕も頑張ろうかな」
にっこりと二人は笑い合って、咲き乱れる花の中で楽しげに飾りを作り始めた。
赤や黄色や紫の、様々な花飾りがいくつも出来上がる。その間にもアンリとニコラはなんでもない話をして、時にはおなかを抱えて笑うくらいにはしゃいだ。
いくらか時間が過ぎた頃、両腕いっぱいにその飾りを抱えたニコラが立ち上がったアンリを見上げて、無邪気な笑顔を見せた。
「こんなにたくさんありがとう。アンリ」
青い瞳が幸せそうに微笑んで自分を見上げてくる。アンリはその瞳を見下ろして、少女の頭をふわりと撫でて微笑んだ。
「どういたしまして。僕も楽しかったよ。ありがとう、ニコラ」
綺麗な青紫の瞳が癒されているアンリの心を移している。温かな風が、温かな二人の間を通り抜け、周りに咲いている花々を揺らした。
「じゃあ私ママのところに行くね」
「うん」
「アンリ…また会える?」
ニコラの問いかけに、アンリは僅かに眉根を切なそうに寄せる。それから微笑んで、もう一度ニコラの頭を撫でた。
「いつか、また会えるよ」
アンリの顔をじっと見つめていたニコラがその言葉に微笑んだ。邪気のない純粋な笑顔に、アンリは少しだけ心が痛んだ。
「絶対だよ?」
「うん。約束ね」
アンリが最後にギュッと、小さなニコラを抱き締めて約束をする。初めて会った少女との時間はあっという間に終わった。
静かな真っ白な部屋の中に、アンリは姿を現した。ふわりと音もなく、漆黒のローブを少しばかり冷たい風に躍らせて、誰にも見えないように結界を張って。
ピッ……ピッ……ピッ……。
間隔の空き始めた電子音が響く白い部屋。いくつかの管のついた身体の横たわるベッドと、シンプルなカーテンの閉じられたその部屋の中の人物は、今人生を終わらせようとしていた。白い顔の金髪の女性。顔立ちの優しげなその女性はまだ若く、あまりにも綺麗だった。
その部屋の中に何人かの人間がいる。皆それぞれに疲れきって悲しくて、どうにもならないその状況を受け入れなければいけないという思いと、でもできないといった思いのない交ぜになった表情で、ベッドの中の女性を見つめていた。白衣を来た人間は数人、その様子を見て何か話をしている。その間にも。電子音はますます間隔をあけて音を出す。ベッドの女性は体の生理的な反応としての呼吸しかしていない。その綺麗な顎が、かくり、かくりと動く。吸えない酸素を取り込もうと、最期の反応を示していたのも、なくなってくる。
やがて何もかもを止めた女性の心臓の動きを知らせるアラームが響き始めた。それに見守っていた人間達は涙を零して、声を抑えようとしても出てしまう泣き声を、代わりのように部屋の中に響かせた。
白衣を来た人間が女性の心音を確認し、目の辺りに何か光を当てている。それがすむと、一言二言言って、女性に取り付けられていた機材を外して、部屋を後にした。
アンリはその様子を無表情に見ていたが、一度女性に頭を下げ、それから綺麗な唇から不思議な言葉を紡ぎ始めた。アンリの言葉に導かれるように、女性の体からいくつもの赤い流線が天に昇るように揺らめいた。そこにアンリは両手で重量のある死神の鎌を振るう。横から祓われた鎌に、赤の流線がふつりと切られ、空中で集まり球体に変わっていく。赤から虹色に変化しながら集まるその様子を、アンリはあどけない笑みを浮かべて見ていた。そしてそれを歓迎するかのように、鎌に絡みつく薔薇の蔦が大きな真紅のバラを咲かせていく。
やがて、完全な球体になったそれが、アンリの差し出した掌に吸い寄せられてくる。キラキラと輝くその球体は、たった今この世と離れる事になった女性の魂。
「お疲れ様でした」
アンリは優しく言葉をかけて、その魂を綺麗な手で撫でて微笑む。その死神の耳に、小さく聞き覚えのある声が聞こえた。
「ママ…?」
アンリは青紫の瞳を見開き、部屋の片隅から聞こえてきた声に視線を流す。
そこにはニコラがいた。大人たちに隠れるように、小さな身体を震えさせて、大きなマリンブルーの瞳に涙をためて、アンリと一緒に作ったたくさんの花飾りを抱えたまま。
「ニコラ…」
息を飲んだアンリが結界に包まれていて、ニコラには聞こえないが声を零す。虹色の魂とニコラを交互に見ながら、アンリはあまりにも悲しい神の悪戯に、形の良い唇を噛んだ。
母親が苦しそうじゃなくなったと、笑っていたニコラの顔が思い出される。苦しくなくなったんじゃない。それを感じなくなっただけだ。意識が落ち込んでいったのだろう。何も感じなくて眠っているだけだったはずだ。
しかしそれを幼いニコラが理解できるわけがない。苦しそうな顔をしていた母親が、穏やかに眠ってしまえば、単に治ったのかと思ってもおかしくはない話だ。
幼すぎた。あまりにも、ニコラは幼かった。
何が起きたのかも知らされていなかったのか、ニコラは大きな瞳を見開き、亡骸となった母親を見ている。その愛らしい瞳にますます涙をためて、震える足でベッドまで近づいて、目を閉じている母を見つめた。
「……ママ?お花もって来たよ」
アンリと一緒に摘んだ、アンリが作った花飾りを、ニコラは母の胸の上に置いた。何も反応を示さない腕には腕輪、指には指輪、頭には冠。質素な病院のベッドの上で、ニコラの母は愛娘の愛で華に囲まれた。
その悲しい愛しい様子を見て、アンリは黙って微笑んだ。宝石のように輝く青紫の瞳にうっすらと涙を浮かべて。
そのまま立ち去ろうとしたとき、母を見つめていたニコラの視線がふと上を向いた。
「…………」
「…………」