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アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一

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「あぁ、空手部の男子がコーラス部の一年生を送っていくことになってるんで、部活をやっていなくて近所に住んでいる自分がその間に出来ることといえば、そのくらいでして。夕飯の邪魔にならない程度の、軽食です」
 祐一は床に一旦置いたタッパーウェアを入れたバッグを、持ち上げて見せる。
「なるほど。大沢先生の仰る通り、君は若いのに、しっかりした子だね」
「過大評価されがちなのが、目下の悩みです」
 祐一は健一の言葉に苦笑を返して肩を竦める。
 その表情を見た健一もまた、苦笑した。
「……時に、意地悪な質問かもしれないが、いいかな?」
「なんでしょう?」
「君は自転車で娘を送ってくれたそうだが、相手がスクーターや自動車で襲いかかってきたらどうするんだい?」
「ルートは確認してあります。車道と歩道……この場合『自転車共有歩道』のことですが、それの分かれている道から、車歩道共通路になっているこのお宅まで、あまり離れていませんから、徒歩の場合でも狙ってきそうな場所は数カ所です。近道をしようと思えばもっと危険な場所がありますが、危険が有ると分かっている以上、遠回りにはなりますが、お送りするときにバス通りから離れる必要は無いと考えています。学校から出てバス通りに出るまでと、バス通りを離れてお宅のある位置までの数百メートル程度。自転車ならどちらも数分です。スクーターや車で襲ってくるのなら、歩道に上がってくれば無差別攻撃になりますから、そんな事をする相手なら、当初の『付けられている』相手とは別物の仕業でしょうね。そんな心配よりは、雨降りの時にバス停でバスを待っている間に襲われる心配をした方がいいと思います。まぁ、そういう時は自分が手前側に立っておくつもりです」
「藤井くん、そんな事まで考えてたの?」
 流れるように答えを返した祐一の言葉に、あずさが驚愕の視線を向けた。
「……平家を安全に家に送り届けるのが、俺の引き受けた仕事なんだ。当たり前だろ」
 祐一は、セルフディフェンスは常識の範疇で育ってきてしまった所為か、いつの間にかこの手の質問や、安全確保に対する思考には慣れていた。
「でもでも、アタシは『付けられているような気がして怖かった』だけで、全く実害は出てないんだよ。それがこんなに大騒ぎになっちゃって申し訳ないと思ってるの。気のせいかも知れないんだし」
 あずさが『そんな大袈裟な』という風に両手を振って恐縮する。
 そんな娘の様子を見て、健一の方がため息をついた。
「実害が出てからでは遅いし、付き添いは居るに越したことがない。だから先生や藤井君が付き合ってくれてるんだろう。あずさはもう少し考えて物を言いなさい」
「……はい。ごめんなさい、お父さん」
 健一に嗜められて、あずさが頭を下げる。
 祐一には、あの平家が、家の中では随分萎縮しているように見えた。
 そんな祐一の思索を他所に、健一はあずさに確認する。
「それで、『怖い思いをした』というのは本当なんだな?」
「……はい。それは、確かに」
 あずさが小さく、頷く。
「……本来なら、私かまどかがするべき仕事なんだが、まどかがアレだからな。……確かに、明良のことも放置はできないのも事実なんだが」
 健一が自らの力の及ばなさを悔やんでいるかのように、小さく呟く。
 健一の言う『まどか』とは、平家の母のことだろう。そして、『アレ』とは、恐らくあからさまに弟の明良優先で、あずさのことが目に入っていない様子のことだ。
 祐一も違和感を覚えてはいたが、平家の母は事情を説明されているにも関わらず娘の身を大して案じもせず、送ってきた祐一に対して今のところ礼の言葉も無い。
 現時点でも明良優先で、危険な目に遭うかもしれないあずさのことは二の次のように見える平家の母の様子は、まるで『娘のことなどどうでも良い』と思っているかのようにさえ映った。
「朝練の方なら、私が送ってやることが出来るんだが、何分私の仕事は上がり時間の方が見えない仕事でね。帰宅時の迎えについては、頭の痛いところだな。まどかに、明良とあずさの両方を迎えに行かせるわけにも行かないし……」
「まぁ、そこで僕の出番ということになるんでしょう。若しくは、平家さんに居残り練習を諦めてもらうか、という話ですね。でも、この数日付き纏われていたというのが『あの時間に帰宅している高校生』という無差別の相手ならともかく、万が一『平家さんを狙って』付き纏っていたと言うことなら、帰宅の時間を早めることは根本的な解決策にはなりません。僕が一番気にしているのは、実はそこです」
 当初から気になっていたことだ。
 『練習を諦めて明るいうちに帰る』という手法は、『特定の時間帯に遭遇する相手』を待ち伏せして狙ってのことだとしたら大いに有効だが、『特定の相手』を狙っている場合にはあまり効果がない。
 それが、先程少しだけ語った『弱点』だ。
 実は『付き纏い』は、『昼間に帰っているときは人が多かったために気付かなかった』だけで『人通りの減る時間に帰っていたから気付いた』ということがよくある。
 『練習を諦めて明るいうちに帰れば事が終わるのか』というのは素人ではなかなか判断出来ない部分だ。
 健一は、祐一の言わんとする事に同意を示すと、腕組みして項垂れる。
「……確認してみたい気持ちが無いといえば嘘になるが、我が子の事となるとそんな悠長な確認作業はしたくないものだね。……あずさ、心当たりは無いのか?」
「………………分かりません」
 かなりの間をおいて、あずさは頭を振る。
 あずさとしては、確かに考えたくも無い可能性だろう。
 しかし、祐一には平家の言葉に小さな違和感が有るのが『視えて』いた。
「今日は、特に『付けられている』という感じは無かったんだね?」
「はい。少なくともアタシは気付きませんでした」
「藤井君は?」
「同感です。でも、今日に限って言えば、普段徒歩で帰っている相手を付けようとして、『足がなかった』という可能性も充分にあると思います。僕らは自転車でしたから。……明日以降、相手も足を用意しない保証はどこにもありませんから、暫く様子を見ないと何とも言えないと思います」
 祐一の言葉に健一は大きく頷くと、目を伏せて二度、三度と繰り返し頷く。
「……藤井君は随分落ち着いているね。何か、似たような件を経験したことがあるのかい?」
「数年ですが、海外生活の経験が有ります。セルフディフェンスの考え方はその頃に」
 祐一はごく普通に、当たり前のことを答える。
 健一は再び、二度三度、大きく頷く。
「……なるほど。ここはこちらから頭を下げてお願いするのが良さそうだね。この件に関しては、私が考えていたよりも、君はあずさの事を親身に、しっかりと考えてくれていて、加えてその為の知識も有る。その上、ウチの人間の方も、時間の都合も合わない。この上は、藤井君の迷惑を承知で、あずさの付き添いをお願いしても、構わないかい?」
 その口調は穏やかでありながら冷静で、自分の判断に自信を持っているようだった。
 祐一の事を決して軽く見ていないことが『視える』。
 つまりそれは、決断を下したものが発する『色』だ。