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アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一

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護衛任務


 大沢由美香は英語教師である。
 幾つかのスポーツで全国レベルに有る桜丘学園のOGでも有る彼女は、バドミントンの元オリンピック選手で、数年前に怪我が元で実業団を引退。
 当初、本人はコーチの職を求めていたのだが、二十代半ばと若すぎる彼女に、実業団での指導者としての職はなく、中・高等教育の英語教員免許を持っていたことと、恩師の勧めがあって、現在は母校のバドミントン部の副顧問とコーチを兼任している。
 尤も、プレイをやめたことも有って、学生たちから見れば、現在の彼女は完全に『ちょっと美人めの英語教師』にしか見えないというのがもっぱらの評判だが。
 因みに、生徒たちは『持ち上がり組』を中心に、密かに『由美香ちゃん』と呼んでいる。
 彼らの年頃で、下の名前で呼ばれるというのは、ある種親近感の証でも有る。
 つまり、大沢教諭とは人柄も含めてそういう人物だった。
「……で、藤井君が平家さんを送っていくことになった、と」
「えぇ、まぁ、行きがかり上」
 大沢教諭は複雑そうな表情を浮かべると、恐らく授業の準備をしていたのであろう、ノートを閉じてメモ帳を取り出した。
「まぁ、君たちの言う通り、『ちょっと不安』とか『気がする』っていう程度では私たちも動きにくいのは確かなんだけどね。……とはいえ、バド部の送迎もあるから、センセの車じゃ『どっちを優先するか』って話に転化されちゃうと困るわね。……基本的に部活動の時間になったら、責任は顧問の先生になっちゃう訳なんだけど」
「『責任』とか『担当』なんて狭い了見で括っちゃうような先生じゃないと信じてるから、『こうすることになった』って報告しておくんですけどね」
「また、そうやって藤井君はあっさりとセンセを持ち上げるし」
 『めっ』とメモ帳で軽く叩くような仕草をするその姿は、『学校の先生』というよりは『近所のお姉さん』のそれに近い。
 この辺りが、彼女の人気の原因だろう。
「コーラス部の先生には相談したの?…えーっと、荻野先生だったわよね?」
「するにはしたんですけどね…」
 コーラス部担当の荻野教諭に事情を説明したところ、『危険を感じるのなら、明るいうちに帰っても構わないわよ』と、根っこから居残り練習そのものを否定された。
 ついでに言われたのは『そういう怖いことが有るのなら、担任の先生に相談して、居残りなんかせずに早く帰りなさい』ということだ。
 実に正論で有る。
 危険に遭遇しないためには、危険な場所に近付かない、危険な時間にはそこに居ないということが最適な対処法だ。
 『学校に行かない』という方法はこの場合不可能なのだから、『帰宅の時間帯をずらす』と言うのが、至極真っ当な方法であるのは間違いない。
 但し、その手法には大きな弱点も有るのだが。
「荻野先生は『危険だと思うなら、早く帰っていい』って…」
「なるほど、それも一つの考え方よね。でも、あたしの所に来たということは、それは嫌なのね?」
 平家の言葉を受けて、大沢教諭は確認する。
 平家はいつものように、小さく頷いた。
「で、次善の策が藤井君ってわけか。空手部の一年が亜紀…じゃないや、芹沢先生に掛けあってるのは見たから、良い事だなーとは思ってたけど。空手部で平家さんのご近所といえば、平田君が一番なんだろうけど、確かに、現状としては平田君を使うわけには行かないものね…。アタシの頃は『遅くまで練習するなら近所に下宿しろ』って言われてたけど、中途半端な距離に実家が有るとそういうわけにも行かないしねぇ」
 そう言われてみれば、桜丘学園は部活動がそれなりに盛んにも関わらず、あまり学科は分けられていない。
 その上、寮も存在しない。
 その部分を『アインシュタイン・ハイツ』のような場所に頼って、地域経済の活性化に貢献しようという共存共栄型の経営方針なのだろう。
 そういう生徒を抱えている都合上、恐らく教師側に課せられているガイドラインとしては『そういう生徒は早く帰す』のが最優先で、『教員が自宅まで送る』というのは次のラインなのだと推測出来た。
「アタシはまだ、コーラス始めたばかりですし。折角始めたのなら、練習もきちんと、皆と一緒がいいなって思ってるんです」
「まぁ、ヨーイドンで初心者から始めるような部活動だと、その分、練習が出遅れちゃうしねぇ…。うーん、まぁ、そういう事なら仕方ないかー」
 平家のアピールを受けて、大沢教諭が『已む無し』と言った感じで答える。
「良いんですか?」
 祐一が問いかけると、大沢教諭は困ったような表情を見せながらも、頷いた。
「だって、ダメって言ったってやっちゃうんでしょ?センセも学生時代、そういうの覚えがあるから、生徒にダメって言えた義理じゃないんだわ。その代わり、危険を感じたり、何か有ったら必ず先生に連絡すること。誰が言い出したのかは知らないけど、あたしに切り出された時点でやられちゃったわ。上手くやったわね」
 大沢教諭の困り顔の横で、平家が祐一の肘を突っついてくる。
 祐一はそれに気付かぬ振りをした。
「ちょっとそれでいいかフジさんに相談してみようかなーっと。…そうそう、その間に、ちょっとご両親と幾つか確認したいことがあるから、平家さんは、連絡取れる?」
 大沢教諭が、平家と祐一のやりとりを見て『こいつか』というような表情をしながらも、直ぐに自分のするべき事を始める。
「母なら、自宅にいると思いますけど、一応携帯の方がいいですか?」
「そう。じゃぁ、携帯電話の番号教えてもらえる?あ、藤山せんせー」
 大沢教諭は手早くあずさから聞いた番号をメモしながら、他の教諭との会話が終わったらしい藤山教諭に声を掛ける。
「なんですか、大沢先生」
「あ、実は平家さんなんですけど……」
 声を掛けられて歩み寄ってきた藤山と大沢、二人の教諭が平家の話であれこれと事情の説明を始めた。
 祐一は何となく、『頼り甲斐が有るな』と感じた。
 頼れる相手がいるのなら、有効に使うのが祐一の主義で有る。
 桜丘学園での人間関係は、どうやら『当たり』を引いたらしい。
 そんな事を考えながら平家の方を見ると、平家は何処か浮かない表情で俯いていた。
「…どうかしたのか?」
「ううん、大したことじゃないの…。何か、色々と申し訳ないような気になっちゃって。藤井くんも、何だかごめんね」
「別に、三年間ずっと居残りするわけでもないんだろ?俺は別に構わないさ。どうせ部活にも入ってないわけだし」
 所詮クラスメイト程度の関係とはいえ、知っている人間が困っているのにそ知らぬ顔をし続けるのも、道義的に問題が有るだろう。
 祐一は、出来る範囲のことはしておく気でいた。
「うん、藤井くんはやっぱりいい人だね。本当にありがとう」
「…あぁ、そうだ」
「え、何?」
「携帯の番号、教えておいてくれ。これを機に購入することにした」
「えっ、持ってないの?」
「あぁ。小学校時代は田舎だったし、海外にいた頃は規格そのものが違うからな。持っている必要を感じてなかった」
 嘘である。
 単に祐一は、『学校用の携帯』を持っていないに過ぎない。