アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一
一人暮らし
藤井祐一。
身長百七十センチ。
体重六十五キログラム。
何処にでもいそうな普通の新高校生だ。
で、問題は、『どうして高校生が一人暮らしを』ということになるが、そこはまあ、今後のために黙っておくことにする。
昨今は、高校生でもそれなりの事情というものがあるのだ。
実家は地方にある旧家で、典型的な田舎暮らしをしてきた。
簡単に言うと、野生児だ。
高校入学の際に用意してきた経歴は、以上になる。
はっきり言ってしまえばこの設定はすべてが事実ではない。
趣味は昼寝。
特技は周囲に埋没すること。
と、言えば聞こえは良いが、それはまた同時に『意図的な没個性』という意味でもある。
特技でそんな事を言ったら逆に浮きかねないので、粗がでない程度に『昔からやっているサッカーゲーム』を趣味と特技いうことにしようと思っている。
「準備は概ね整った。かな」
周囲から浮かない程度の格好をするには、周囲の同年代の格好を真似して、やや地味にマイナーチェンジすることだ。
祐一の顔立ちは年齢の割にやや精幹で、場合によっては『濃い』ように見られることもあるため、私服は敢えて地味な格好、それでいてワンポイントだけ明るい色を使った格好をするように心がけることにした。
例えば、靴は白。
パンツはジーンズ一辺倒になるが、代わりにパーカーは白やグレー系統を選ぶ。
できるだけ、難しい顔をしない。
鏡に向けて笑顔の練習をするほどではないが、無愛想に見られない程度に注意をしないと、『怖い人』のような浮いた扱いを受けるかも知れない。
必要な家具と情報収集のためのノートパソコン、TV、偽装用のTVゲーム(因みに、持っているソフトは前述のサッカーゲームの最新作一本のみ)以外、殆ど余計なもののない部屋で、祐一が真っ先に取り出したものは『特定の周波数を拾う装置』だった。
所謂、盗聴電波の探知装置である。
水道周りと電気周りを特に念入りに再確認した後、今度は天井のフックにワイヤーを芯にしたロープを引き、ぶら下がる。
うん、コレも問題ない。
「…さて、コレで何日逃げおおせるかな」
入学式まで後数日。
出来れば三年間、逃げおおせたいものだが。
買い物のために玄関を出ると、ドアを開けた目の前で、先日見かけたアッシュグレイの猫が寝そべっていた。
「よぉ、猫。また会ったな」
祐一が声を掛けると、猫は耳だけこちらに向け、関心がないように大きく伸びをした。
「縄張りから出てけってか。悪いな、まだ暫くは邪魔するよ」
猫のことはよく分からないが、関心がないように伸びをした時点でこちらの存在を認めている事に他ならない。
その上で、如何にも邪魔そうな態度をとると言うことは、やはり自分の存在は猫にとっては警戒の対象なのだろう。
鍵を閉めて、念のため髪の毛を一本、折ってから挟んでおく。
「…ふぅ、めんどくせぇ」
「ナァゥ」
呟きながらため息をついた祐一は、足元で一声気怠そうに鳴いた猫に軽く手を挙げて挨拶してから、階段へ向かった。
さて、かの猫を懐柔して自分の居場所を確保するためには餌を用意する必要があるだろうが、住人の誰かの飼い猫かも知れない猫を、普通に餌付けなんかしていいものだろうか?
――― 一時間後。
悩んだ末に猫缶を買わずに駅前のコンビニから帰宅した祐一は、自室の前の光景に愕然とする羽目になる。
『猫(敵)』はよりによって、自分が挟んだ髪の毛を取り外すべく、祐一の部屋のドアにジャンプを繰り返していたのである。
やはり、懐柔と躾が必要なようだった。
作品名:アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一 作家名:辻原貴之