アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一
夕刻 −平田家の兄弟−
平田優は、どういう訳か祐一にもよく懐いた。
『兄が気を許して近くにいる』ということも有るのだろうが、子供に過剰に構いたがる他のクラスメイトに較べて、完全放置で危ないことをしないように目だけを離さないと言う祐一のスタイルが気に入ったようで、昼休みの中頃に祐一が学食から戻ってからは、健とともに祐一の制服の裾を握っていることが多くなった。
自分が祐一の自宅であるハイツの猫と同じ扱いを受けていることに優本人は気付いていないだろうが、『危ないことをしそうだ』と言う点においてはハイツの猫よりもコチラのほうが危険度は高い。
午後の授業と帰りのホームルームを終えると、『ゆーたん』とこちらに駆け寄ってきた優に合わせて、平田兄弟と一緒に帰宅することになった。
まぁ、いい。
話が有るといえば有る。
昇降口近くのトイレで優に用を足させてから靴を履き替えると、そこにはランドセルを置いて足をぶらつかせ、二人で石蹴りに興じる少女が待っていた。
「姉ちゃーーーー」
靴を履き替えた優が二人に突進する。
小学生と思われる二人の少女は、幼児の突進を受け止めるとコチラの方へ視線を向けた。
「明日香!遥!」
「兄貴、遅い!」
「ごめんね、お兄ちゃん。ハルちゃんが待ちきれないって…」
「アッちゃんだって、マーを兄貴に任せるの心配だって言ってたじゃん!」
「でも、先に帰れって言われてたのに…」
チラチラと健の様子を伺いながらやり取りする二人の頭を、健が撫でた。
「あー、もう、どっちでも良いよ。藤井っち、これ、俺の妹。双子なんだ、ほら、挨拶」
「平田明日香です。五年生です」
「遥」
健に促されて、少女たちが祐一に挨拶する。
ペコリと頭を下げたのが明日香で、ぶっきらぼうに続いたのが遥。
容姿は似ているが、タレ目の明日香に対して遥はツリ目。
…優はおめめパッチリ…あれ?
この兄弟の容姿は、何処に基準があるんだろう?
「ふぅん、元気な遥ちゃんに、しっかり者の明日香ちゃんね。俺は藤井祐一、お兄さんのクラスメイトだよ」
言って、二人のランドセルを持ち上げる。
『あっ』
二人が同時に反応した。
「行こう。どうせ平田も俺も駐輪場なんだし、優くんとお前の荷物も有るだろ?妹さんの荷物は俺が運んでやるよ」
幸いにして、祐一の通学用自転車には前カゴがついている。
この人数になってしまえば自転車は押して帰るしか無いし、特に不都合はないだろう。
「あっ、駐輪場までは、自分で持ちます!」
「大丈夫、盗んだりはしないから。代わりに、優くんと手を繋いであげるといいよ。お姉ちゃんと会えるのを待ってたみたいだから」
明日香がそう答えるのを、祐一は頭を振って否定した。
いつの間にか優は、双子のスカートの端を、片方ずつしっかりと握りしめている。
祐一の制服も優の手で皺になっていたが、おしゃれにも目覚め始める頃の『女の子』のスカートが皺だらけになってしまうのは些か可哀相だ。それならば、手を繋いだ方がいいに決まっている。
双子はお互いに顔を見合わせると、ユニゾンで『ありがとうございます』と礼を言った。
そういえば、先日ハイツの花見で、下のフロアに住んでいる双子と会話する機会があったが、204号室の常磐桜と虹、彼らもよくユニゾンしていた。双子ってのはやっぱりユニゾンするものらしい。
「さぁ、ここからだと帰り道は遠くなるし、ゆっくり歩こうか」
―――約一時間後。
歩き疲れた双子と優は自転車の前部に取り付けられたチャイルドシートと後部のサドルに分乗し、祐一と健は自転車を漕いでいた。
かなり離れた公立の小学校から歩いてきたと言う妹たちは、長距離の移動と長い待ち時間も有って『それ以上歩けない状態』になってしまい、已むを得ず一人ずつを祐一と健の自転車に分譲したのだ。
どちらの自転車に乗るかで双子が何故かジャンケンをしていたが、仕方あるまい。そりゃ普通に考えて、会ったばかりの男の運転に身を委ねるのは心配だろう。ジャンケンの結果、何故か勝った筈の遥が祐一の後部座席のサドルに収まっているが、恐らくそちらより、優を前に載せてる分ハンドル操作が危うい健の運転を避けたかったという意味らしい。
危険なので、祐一自身の鞄はカゴに詰め込み、ランドセルを背負った遥がサドルに横座りになっている。
健は序盤こそ『しょうがないなぁ』と言って足取りも軽く三人乗りをしていたが、次第に息が荒くなり、そろそろ限界を迎えそうである。
なるほど、コレを避けたかったわけですね。
流石の元空手チャンピオンとやらも、幼児を前に、小学校五年生を後ろに乗せての三人乗りは厳しいらしい。
最近はっきり目にする機会が増えた電動アシスト付きでも無いようだし、致し方ない。
祐一が健のために休憩を取るか考えていると、たまたま近くに中華屋の看板が目に入った。
「平田、飯食っていこうか」
「飯ぃ?そんな余裕、財布のどこに…」
「あぁ、兄貴!マー、マーが危ない!」
遥が完全に波打っている健のハンドルに注意を促す。
当の優は非常に楽しそうだが、傍から見ていると危険この上ない。
「実は俺も少し危ないし。このままじゃお前のハンドルミスから連鎖的に全員交通事故だ。財布に余裕が無いならここは俺が出すから、休憩していこうぜ、な。遥ちゃん、悪い。降りて降りて」
「ほーい」
軽々と祐一の腰に回していた腕を解いて着地した遥に合わせて、全員がストップする。
健の自転車から先ず明日香が降りて、それに合わせて健が足をついた。
「ばーっ…ばーっ…」
健の呼吸には既に濁点がついている。腕がプルプルと震えていた。
「呼吸に濁点付くほどキツイならもっと早く言え、バカ」
「す、…スマン」
健に代わって、幼児用ヘルメットを被った優の座席ベルトを外して、子供用シートから降ろしてやる。
「マー、『ありがとう』は?」
「ありあとう」
明日香に促された優が、『が』と『あ』の中間の音で例を言ってにっこり笑う。
「はい、良く出来ました」
遥が優の頭を撫でる。
「どういたしまして。明日香ちゃんも遥ちゃんも、お疲れ様。さ、入ろう」
『はーい』
祐一が開けた中華料理屋の引き戸に、双子が良い返事をしながら入っていく。
「おい、晩飯前だぞ!」
「お父さんはいらないってメールが有った。母さんは夜勤」
息も絶え絶えの健に、明日香が振り返って答える。
「なら丁度いいじゃん。俺もどうせ一人暮らしだし、ちょっと早いけどこのまま晩飯にしちまおうぜ。俺も誰かと一緒に食った方が、一人よりマシだし」
「でも、財布が」
「大丈夫だって。俺、今月だけは余裕有りそうなんだ。敷金とかそういうので、多めに貰ってるから。ホームシック気味の俺に手を貸すと思ってさ」
まるっきりの嘘だが、こうするのが平田のためでも有るだろう。
明日香や遥も乗り気のようだし。
「すまん、じゃぁ、借りとく」
「いいっていいって、ホント気にすんな」
健の肩を軽く叩くと、明日香と同じ様に振り返った遥が軽く祐一に『しな』を作る。
「じゃぁ、アタシたちが歓待するってことで」
作品名:アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一 作家名:辻原貴之