アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一
変革 −二年前−
目が覚めると、世界には虹と数列、文字が並んでいた。
瞬間、頭を押さえる。
押さえた頭には、当然のように包帯が巻かれていた。
(そうか…多分あの瞬間)
記憶に有る限り、少年は両親とともにある中東の国が主催したパーティに参加していた。
本来子供の参加などご法度の筈なのだが、その日偶然居合わせた主催者側の重鎮に同世代の子女が居たため、相手をするために呼び出されたのだ。
彼らと意気投合し、『ファーイーストの神秘の武術が見たい』という要望に答え、祖父に仕込まれた古武術の型を幾つか披露して喝采を浴びたり、ふざけてその辺りに有った西洋甲冑の兜を被らされたりしている所で、事件が起こった。
突然闖入した何者かに、相手をしていた主催者側の子女が銃で狙われたのである。
反射的にそれを庇った少年は、そこで意識が途絶えた。
(何故生きてる?)
疑問を感じたが、それは今はどうでも良く思えた。
なぜなら、それ以上に自分の視界がおかしかったからだ。
(何だこの映像。どこかの歌手のPVでも見せられているのか)
少年が見たことの有る歌手のPVで、洗面台に流れて渦を作る水流に合わせて歌詞が流れる、という演出の映像を見たことが有る。
現在の状況は、それにやや近い。
ただ、そこにある世界のあらゆるものに、あらゆる色、文字、言葉が混じって見えている。
それが異常な状態であることは、考えるまでもなく明らかだった。
(抑えろ、抑えろ、何か、おかしいだけだ)
無意識下に有るものを『抑える』ように、本能が命じた。
幸いにして、その映像を『視るか視ないか』を意識的にコントロールすることが出来るようになるのにさして時間はかからなかった。
体感時間にして三日ほど苦しんだような気がしたが、実際の時間にして、数分と言ったところか。
要は『一般的な認識』と『自分の認識』と言う世界があるということを理解すればいいだけだったのだが、それを理解するまでに頭の中に様々な映像や幻聴や思い出の風景が重なり『走馬灯というのはこういう物なのか』と思いすらした。
(死ぬ…。いや、死んだのかと、思った…)
時間の概念が変容したようにすら感じられ、『なにがどう見えた』という風にすら形容し難い、歪み、留まり、極彩色で、夢幻のような世界の広がる時間に少年の感覚が追いつくまでに、少年が覚悟した『死』の回数は、数え切れない。
それでも、その時間と世界に少年の感覚が追いついたとき、変容したように感じられていた時間と世界は『少年自信が歪めていた』のだと気付いた。
(世界が…『視える』)
妙に身体が軽い。
少年は近くにあったデスクに手を掛け、起き上がろうとした。
しかし、さして力を込めていないのにも関わらず、木製のデスクは軋んだ音を立てると、少年が触れた部分には当たり前のように自分の指の跡が穿たれた。
(…痛い)
指先がひどく痛む。
痛覚には何ら変化がないらしい。
だが、明らかにおかしな点があった。
肉体の制御が利かないのだ。
(体が軽すぎる…)
体調によってその日の肉体感覚に変化があることは、少年とて理解している。
しかし、気絶から目覚めたばかりで、しかもどのくらいの時間気を失っていたのかさえ理解していない少年の身体が、これほど軽く感じられることなど、あるのだろうか。
今までの人生で最好調の時ですら、ここまでの感覚を味わったことは無かった。
身体が、感覚を通り越して動く。
要は、『力が入りすぎ、動きすぎる』のだ。
(先刻のと、なにか関係があるのか?)
こうして自らの変化をもう一つ認識した少年だったが、その直後、変化に気付いて飛び込んできた医師の話を聞いて、更に驚愕することになる。
(文字…色…光…それと『曲線』?)
医師の身体がそのように“視える”。
正確には『そのように視ることも出来る』。
感覚的な表現になるかもしれないが、アレに似ている。
漫画を買った時、たまに凝った装丁の本が有る。
表紙の上に透明なシートや薄い紙が貼ってあって、それを重ねてみた時と、表紙本体を見た時で別の絵が浮かび上がってくる、アレだ。
輪郭や全体像そのものは変わっていないのに、『そう視ようと思ったとき』或いは『気を抜いた時』に、ふと『シートを被せたような世界』に切り替わるのだ。
『そのように視よう』とした時には、自由にその視界で視ることが出来る。
医師の姿を何度も確認しながら、少年はそれが自在に扱えることを理解した。
そこからは、『変化した世界』の連続だった。
ドイツ人の専門医が入って来て通訳を介してしてくれた説明が、通訳の説明より先に理解できてしまったのが一つ。
更に、それを語っている時の医者の『感情』の流れが“色彩”として視える。
不安、心配、回復したことへの喜び、自分の努力が成果になったことへの自信。
それらの流れが渦になって、様々な色彩として流れている。
少年には、ドイツ語で会話する医師と通訳の感情の流れ、通訳がそれをどうやって伝えればいいかと考えている思考の回転している様が“色彩と動き”ではっきりと視えた。
因みに、少年はドイツ語を習得していない。
少年の母親は半分ドイツ人の血が入った人間だが、ドイツ人である母方の祖父に会ったことも無かったし、ドイツ語は欠片も分からない筈だった。
ドイツ語を理解できてしまったが故に、結局二度説明されることになったが、少年が目覚めたのは『神の起こした奇跡の一つ』らしい。
包帯の巻かれた頭部は開頭手術されたそうで、銃弾と、その時被っていた兜の破片が山ほど詰まっていたらしい。
『可能な限り』取り除いたが、それでも探知機に映らないほど微細な残留物が残っていることが分かっていて、意識を取り戻すことは九十パーセント以上の確率で無いだろうと思われていたことも解った。
道理で、カテーテルなど挿入されているはずだ。
ここに至って、ようやく少年は自分のおかれている状況を考える余裕が生まれた。
カテーテルに波形検知器、点滴。
完全に脳死状態の人間扱いである。
人工呼吸器だけは、例の感覚が有ったときに混乱して振りほどいてしまったようだが、ベッドの端に転がっていた。
要するに、それをモニター室で確認したので医師が飛んできたわけだ。
それから、喉をガーゼで軽く湿してから、言語能力のテストが行われた。
流石にアレだけのことが有った後なので、声が出るか不安はあったものの、言語能力は無事に発揮された。
取り敢えずその日はそこまでとなり、点滴が交換され、看護師が体を拭いてくれた。
食事ができるかどうかは、翌日以降に確認することになりそうだった。
作品名:アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一 作家名:辻原貴之