Paff(仮)
朝倉さんはそいつの股間を、目にも留まらない速さで蹴り上げた。
「おぅフッ!」
彼は変なうめき声を上げると、股間を押さえてプルプルと震えながらうずくまった。うぅ、見ているだけで痛そうだ。
「て、てめぇ!」
「なにしやがる!」
それを見たほかの4人は、不意打ちを食らったリーダーの仇を取るべく、朝倉さんに向かってこぶしを振り上げようとした。
「や、やばい!」
僕は走って朝倉さんの所まで行くと彼女の手を取り、そのままの勢いで子分たちの間を通って開けっ放しだった扉から校舎の中に入った。
「あ、おい!」
「待ちやがれっ!」
後ろに彼らの追ってくる声を聞きながら、僕は朝倉さんの手を引いて階段を駆け下りていた。ど、どこかにいい隠れ場所はあるだろうか?
「あ!」
階段を降りたところの、普段使われていない空き教室の扉が開いているのが目に入った。
「こっち!」
僕は朝倉さんを引っ張ったままその空き教室に入り、そのまま掃除用具入れに朝倉さんの体を押し込めた。
「ちょ、ちょっと!」
「静かに!」
口に人さし指を当てながら、掃除用具入れの扉を閉めた瞬間、子分の1人が空き教室に入ってきた。
「おいお前、転校生はどうした?」
「転校生?何のことですか、先輩?」
「お前が転校生を引っ張って、この教室に入っただろ?」
「何のことですか?この教室には誰も入ってなんかいませんよ。僕は先生に頼まれてこの教室を片付けていただけです。第一、先輩はその男子の顔をよく見ていたんですか?」
「いや・・・見てはいないが・・・」
「だったら変な言いがかりはやめてくだい。作業が進みません」
「そ、そうか。悪かったな」
そいつは怪訝そうな顔をしながらも、空き教室を後にし、やってきたもう1人に「この教室にはいない!アイツ等、どこ行きやがった!」と言って走って行った。頭が悪い先輩で助かった。
一応、教室の外の廊下を確認してみた。不良たちの声はもう聞こえなかった。空き教室や視聴覚室などの特別教室しかないこのフロアには、昼休みのこの時間、人の気配は全くなかった。
僕は掃除用具入れまで歩いていき、アルミの扉を軽くノックした。
「おーい朝倉さん。もう大丈夫そうだよ」
「・・・・・・」
返事がない。どうしたのだろうか。
「朝倉さん?開けるよー」
掃除用具入れの扉を開けると、その中には頭に埃っぽい雑巾を乗せ、逆さに入れられた箒の枝で髪をボサボサにしている無表情の朝倉さんが待ち構えていた。目、目が怖いです。朝倉さん・・・。
「し、閉めまーす・・・」
ギイと、ゆっくり扉を閉める。
「ちょっと待って」
「ヒ、ヒィッ」
朝倉さんの手が、閉めようとしていた扉を押さえる。彼女の背後に、黒い何かが漂っている。
「なんてところに入れてくれてんのよ!体がくっさくなるでしょ!」
閉めようとした扉を押しのけ、掃除用具入れに入ったまま朝倉さんはポカポカと僕を殴りつけてきた。
「い、痛いよ朝倉さん!だってこうしなきゃ逃げ切れなかったじゃないか!」
彼女は容赦なく僕を殴り続ける。そのたびに、掃除用具入れがガタガタと揺れる。
「うるさい!あんたなんかいなくても、アイツ等なんかわたし1人でやっつけられたのに、それなのにあんたが余計なことして、こんなところに詰め込んで・・・ってキャア!」
細長い掃除用具入れの中で暴れるものだから、掃除用具入れが朝倉さんごと倒れてきた。
「きゃあ!」
「朝倉さんっ!」
僕は咄嗟に掃除用具入れを支えたけれど、その中身までは支えられなかった。箒やチリトリ、雑巾、バケツetc…が僕の顔に当たり、僕はバランスを崩してしまった。最終的には朝倉さんも倒れてきて、もうダメだ!と思った時には、空になった掃除用具入れの倒れる向きを変えるので精いっぱいだった。
ガシャーン!
♪
ザバー・・・
ヒカリが湯船につかると、溢れたお湯が大きな音をたてて流れた。
ふうー。つい、長いため息が出てしまう。心地よい疲労感がヒカリを包んでいる。
顔を上に向けると、風呂場の天井が見えた。久しぶりにまじまじと見た天井は、まるで他人の家の天井のように感じられた。
そのまま目を閉じると、今日あったことが鮮明に思い出される。夕日に染まった川原。偶然見つけた洞窟。そこで出会った仲介者と呼ばれる少女。そして、傷つき、自ら永遠の眠りについたドラゴン。
そうだ、あのドラゴンは、長い間ずっとあの薄暗い洞窟で眠り続けているんだ。現実に生きることを諦めて。そう思うとヒカリは、数十分前のロールキャベツに浮かれてはしゃいでいた自分が嫌になった。あのドラゴンを救ってあげると決心したのに、なんで私はいつもこうなんだろう。楽しいことがあると、すぐに周りが見えなくなって、他のことが頭に入らなくなる。このことで何度も失敗したり、嫌なことがあったのに。
もう風呂に浸かってる気も失せて、さっさと体を洗ってヒカリは風呂場を後にした。
髪が生乾きのままヒカリはそのまま自分の部屋へ向かい、部屋に入るとそのままベッド倒れこんで目を閉じた。そしてドラゴンのことを思い出し、少し泣いた。どうやったら彼を救うことができるのだろうか。仲介者は私にしかできないと言っていたけど、こんな私にできるわけない。
やがて睡魔がやってくると、ヒカリはそれに抗うことなく、深い眠りに吸い込まれていった。
少し昔の頃の夢を見た。
夢の中の私は中学生で、今は昼休み。クラスメイトと机を向い合せて、給食を食べている。目の前にいるクラスメイトが、私に尋ねてきた。
「高良さんって、なんでいつもそんなに明るいの?」
「え?」
「そうそう。高良さんって、嫌なことがあっても全然気にしてないよね。昨日だって」
最初のクラスメイトの隣の子が話に割り込んでくる。
「高良さんがそんなんだから、男子たちがつけ上がるんじゃない。高良さんは、もう少し物事を深く考えた方がいいと思うよ」
「・・・」
私は答えることができない。彼女たちが私のことを心配してくれているのはわかる。でも、自分の性格が自分でもよくわかっていないんだから説明のしようがない。
別に男子にちょっかい出されることなんて、大したことじゃない。そりゃあ嫌な気分になるけど、そんなの通学路に咲いていたタンポポやきれいな雲の形を見つけたり、母さんの美味しいご飯を食べたら全部忘れちゃう。そして朝になったら、きっともっと楽しいことが転がってるんだ。落ち込んでる暇なんてない。
「ほんっと、高良さんって変な性格してるよね」
「その性格直した方がいいと思う。そんなんじゃ、いつか絶対に損するよ」
「・・・・・・」
どうしてそんなこと言うんだろう?私は彼女たちの言葉に大きなショックを受けた。それは昨日男子にちょっかい出されたことより、はるかに強く私の心に突き刺さった。
「ほら、少しくらい何か言ったら?」
「そんなんだから、高良さんって友達いないのよ」
「・・・・・・」