Paff(仮)
「そして今日、彼を救い出すことのできる人間が、やっと見つかった・・・」
それったまさか・・・。ヒカリは彼女が次に何を言うか予想ができた。
「あ、あの・・・」
ヒカリは恐る恐る彼女に尋ねる。
「今日見つかったって、もしかしてそれ、わたしのこと・・・?」
「そうよ」
実にあっさりした答えだった。
「ええぇぇーーーっ?」
予想通りだが予想外の展開に、ヒカリは叫ぶしかなかった。
「な、なんで私なの? 採用基準はなに?」
「そんなの簡単なこと」
「な、なに?」
仲介者の少女は、当たり前のように言った。
「あなたは、ここを見つけることができたでしょう?」
答えが簡単すぎて、ヒカリは彼女がなにを言ったか一瞬理解ができなかった。
「・・・それだけ?」
「それだけじゃない。私は昨夜、あなたの町の人間全員に魔法をかけた。あなたならもうわかるでしょう?」
「あ、あの夢・・・?」
魔法をかけられた覚えはないけれど、心当たりがあるとすれば、今朝に見た予知夢しか思いつかない。
「そう。私がかけた魔法は、彼を目覚めさせることができる人間にしか効力を発揮しない。その人間には、ここの光景が夢としてイメージされるわ」
「そ、それだけで私が選ばれたっていうの?」
「そうよ。・・・嫌?」
「嫌っていうか、急にそんなこと言われても・・・。ドラゴンがなんで眠っているかもわからないのに、できるわけないよ・・・」
しばらく二人は何も話さず、ドームの中は静寂に包まれた。
「涙」
「えっ?」
先に声を出したのは、自分を仲介者と呼ぶ少女だった。急に声を出すから、ヒカリはびっくりしてしまった。
「彼の涙は、彼の悲しい記憶が結晶となって流れ続けているの・・・。涙に触れれば、彼の気持ちが伝わってくるはず」
ヒカリはドラゴンを見る。涙は今も絶えることなく流れ続け、彼の顎から冷たい地面の上に滴り落ちている。
「彼を助けたいと思うなら、涙に触れて」
ヒカリは仲介者の少女を見つめた。彼女の赤い瞳は揺らぐことなく、ヒカリを見つめ返している。
「・・・・・・」
大丈夫。ヒカリは心の中でつぶやいた。ヒカリは膝をつき、人差し指を慎重に、涙の筋の真ん中くらいに向かって伸ばした。
「冷たっ」
ドラゴンの顔は思っていたより硬く、涙の冷たさびっくりした瞬間、ヒカリの中に何かが流れ込んできた。
それは冷たく重い記憶の断片で、無理やりヒカリの心の中に侵入してきた。
潮のにおいがする。
そこは薄暗く、生暖かい潮風が微かに入り込んできている。どこか別の洞窟の中みたいだ。
目の前に異国の青年が立って、なにか喋っている。その顔は悲しげで、つらそうだった。
口を閉ざすと、その青年は逃げるように走り出す。ドラゴンは急いで追いかけるが、すでに洞窟の外に青年の姿はなかった。
『待って!僕を一人にしないで!どうして僕をおいて行くの?ずっと一緒にいようって言ったのに!待って、ジャッキー!行かないで!』
数日後、洞窟の外に村の人がたくさん押し寄せ、皆恐ろしい形相でドラゴンを囲んでいた。
村人の一人がなにか叫ぶと、村人たちは手に手に石を持ち、投げつけてくる。胸に当たり、額に当たり、石の雨と村人の怒りは止むことなく続いた。
『やめて!石を投げつけないで!ジャッキーがいなくなったのは僕のせいじゃない!やめて!痛い痛い痛い痛い痛い痛い』
やっとの思いで逃げ出し、あの村と遠く離れた島国に流れ着いた。ひと気のない川沿いの雑木林の中で、ドラゴンは魔法で洞窟を作った。ここならもう人間に関わることもない。
『もうこの世界は信じられない・・・。こんな世界なら、夢を見ている方がいいっ・・・』
そして、ドラゴンは自分で自分に魔法をかける。寒く薄暗い洞窟の奥で。もう二度と目覚めないように、もう二度と、つらい思いをしないように。
ヒカリの意識が戻った時、指が涙から離れているだけでさっきと何も変わっていなかった。何分経ったのだろう?すごく長く感じたけれど、本当は一瞬だったのかもしれない。
「こ、こんな・・・」
今見た彼の記憶を思い出すと、大粒の涙がボロボロと出てきた。
「うっ・・・うっ・・・」
言葉が続かないヒカリに代わって、仲介者が口を開いた。
「彼は幼いころ、ここからずっと遠くの国で暮らしていたの。そこはここよりも暖かくて、人間の友達もいた・・・」
(あの人だ・・・)
ドラゴンの記憶に出てきた青年のことだと、ヒカリはすぐに気がついた。
「その友達と彼は、ずっと一緒に遊んでいたわ。友達を背中に乗せて色々なところへ行った。人々は驚き、王様たちは彼らにお辞儀をした。二人はとても楽しい日々を過ごしていたの。だけど・・・」
ヒカリはその続きを知っていた。彼の記憶を見てしまったから。
「ドラゴンは人間よりも成長するスピードが遅いの。彼よりも先に大人になってしまったその友達は、次第に彼のいる洞窟に行くことも少なくなった。そしてある日、友人が一ヶ月ぶりに洞窟にやってきたの。彼は友人の久しぶりの来訪にとても喜んだわ・・・。だけど、その日友達が洞窟に来たのは、彼に大事なことを伝えるためだった・・・」
ヒカリは仲介者の言葉を待った。もう涙は止まっていたけれど、時々しゃっくりが出てしまう。
「『僕には、愛する人ができた。今夜、その人と遠くへ行く。両親には伝えていない。もうこの村には帰ってこない。君とも、会うことはないだろう』そういうと友人は走り去って行った。ドラゴンは泣きながら呼び止めようとしたけど、ダメだった・・・」
話し続ける彼女の目に涙が浮かんでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「数日後、彼が住んでいた洞窟にたくさんの村人がやってきたの。その中には友達の両親がいて、こう言った。『化け物め。お前が息子を喰ってしまったのだろう!』と。彼が違うと言っても、聞く耳を持たなかったわ。まだ幼かったドラゴンは身も心もボロボロになって、尽きない暴力に耐えられず彼は逃げ出した。だけど、どこに行っても人間に見つかり、暴力を受けた。やっとの思いでここに洞窟を作った時にはもう死んでしまう寸前だったわ。ここで彼は自分自身に魔法をかけ、永遠の夢の世界に閉じこもってしまったの。『こんな世界ならずっと夢を見ているほうがいい』と・・・」
言い終わると、彼女は視線をドラゴンに移し、黙ってしまった。
「・・・そんなの・・・」
かすれた声でヒカリは言った。
「なに?」
仲介者は聞こえなかったようで、静かに聞き返してきた。
「そんなの間違ってる!」
ヒカリはドームに響き渡るほどの大きな声で、もう一度言った。仲介者は少し驚いたような顔でヒカリを見つめる。
「夢のほうがいいなんて、間違ってるよ。私がドラゴンを目覚めさせる。どうすればいいかはわからないけど、私ならできるんでしょ?それなら、私がやる!」
ヒカリは握りこぶしを作って言った。
「・・・フッ」