Paff(仮)
それは、洞窟だった。ヒカリが立っている所とはちょうど向かい側の壁に、ぽっかりと口を開けている。ヒカリは引っ張られるように、ゆっくりとその洞窟に近づいた。
「あっ」
ヒカリはあることに気づき、立ち止まる。
「今日の夢と同じ・・・?」
ヒカリが今見ている光景は、今朝ヒカリが見た夢とまったく同じ光景だったのだ。一面土の壁に囲まれた場所、ぽっかり空いた洞窟。そしてヒカリは制服姿で洞窟の前に立っている。ここまで一致するという事は、あの夢は予知夢というものなのだろうか?もしそうだとすれば、ヒカリはそのまま洞窟を進み、その奥を目指す。そして、そこで眠る男の子に・・・。
「いやいや、ありえないからっ」
恥ずかしくなって、自分につっ込みを入れる。そう。冷静に考えれば、洞窟の奥で男の子が眠ってるなんてありえない。そんなことは物語の中だけだ。
「・・・・・・」
だけど、本当に男の子が眠っていたら?暗くて寒い洞窟の中にずっといたら、風邪をひいてしまうかもしれない。そう思うとヒカリは、洞窟の奥を確認せずにはいられなくなった。
「・・・・・。よしっ」
ヒカリは意を決し、洞窟に足を踏み入れた。あくまで確認のためだ。そう、一応だ。
カツン、カツン、カツン、カツン・・・。
暗くて肌寒い洞窟の中は岩が敷き詰められているようで、固い靴音が洞窟の中にこだまする。転ばないよう、右手を洞窟の壁に当てながらゆっくり進んでいく。奥は暗くて何も見えない。ずいぶん長く洞窟は掘られているようだ。
夢が正しければ、奥の方から黄緑色の光が見えてくるはずだ。ヒカリは洞窟の中に目を凝らし、歩き続ける。
さらに奥に進むと、やはり黄緑色の光が見えた。淡く、弱々しい光だった。進むにつれてその光は強くなり、お日さまのような暖かさを感じられるほどになっていた。
まるで、あたたかい水の中を歩いているみたい。とヒカリは思った。それと同時に、夢の中の自分も同じふうに思っていたということも思い出した。本当にあの夢は予知夢だったとしか考えられない。この長い洞窟の終着地にはあの男の子が眠っていて、ヒカリの事を待っているのだろうと、ヒカリは確信した。
ついに、洞窟の終わりが見えてきた。黄緑の光が絶え間なくあふれ出ている。中の様子はわからない。ヒカリは躊躇うことなく、しかし慎重にその中へ足を踏み入れた。
そこは夢と同じドームのような空間で、洞窟と同様、石が敷き詰められている。そして、その中心で光の源が横たわっていた。
「なによコレ・・・」
そこで眠っていたのは、男の子でも人間でもなかった。
ウロコに覆われた体、長い首と尻尾、四肢の先には鋭いかぎ爪、そして何より、大きい。
「きょ、巨大トカゲ?」
いや、違うか。言ってからヒカリはすぐに否定した。「それ」には大きさだけでなく、普通のトカゲには無いものが付いていた。「それ」の背中には、折りたたまれた木の枝のような細長い棒が二本あり、その棒からは布のようなものが垂れ下がっている。翼だ。さらに頭には尖がった二本の角がうしろに伸びている。ヒカリは「それ」を絵本で見たことがある。
「それ」は、どこからどう見てもドラゴンだった。
「ドラゴンって・・・、そんなのホントにいる訳ないじゃん」
今の自分の考えを打ち消そうと、ヒカリは呟いた。しかし、ドラゴンは確かにヒカリの目の前に存在している。
ドラゴンは長い体を丸め、死んだように動かない。ドラゴンのお腹がゆっくり上下している事と、その全身から黄緑色の光が発せられている事で、ドラゴンが生きているということを実感できた。
ヒカリは息を呑み、ドラゴンに近づこうと足を踏み出した。
「っ!」
足を出した時に落ちていた小石を蹴ってしまい乾いた大きな音がして、ヒカリは身を固めた。恐る恐るドラゴンに目を向けたが、ドラゴンは相変わらず眠り続けている。
「ふう・・・」
安堵のため息をつき、ヒカリは慎重に、今度は足元にも気を配りながらドラゴンに近づく。
ドラゴンの寝息を感じられるくらい近づいても、ドラゴンは眠ったままだった。ヒカリはドラゴンの顔をよく見ようとしゃがみ込む。
「あれ?」
ドラゴンの顔から一筋、水が流れたような跡があるのにヒカリは気づいた。というか、今も流れ続けている。その水の筋は、ドラゴンの閉じられた両目から出ているようだ。
「・・・泣いてるの?」
ヒカリは小さな声でドラゴンにそう訊ねた。もちろん、返事はない。
「そう。彼はずっとここで泣いているの」
「うわっ」
後ろから発せられた声に、ヒカリは驚いて立ち上がった。そして振り向くと、ドームの入り口、今まさにヒカリが歩いてきたところに一人の少女が佇んでいた。
「だ、誰?」
「彼には以前、とてもとても悲しいことがあったの。そして彼は現実の世界で生きることより、夢の中で生きることを選んでしまった・・・」
ヒカリの問いかけを聞こえていないかのように無視し、その女の子はこちらに歩み寄ってきた。近くで見る女の子は、すごくキレイだった。短い銀の髪、肌は透き通るように白く、ドラゴンを見つめる大きな瞳は燃えるような赤色だ。その不思議な少女は真っ白なワンピースに身を包んでいる。
「あなたは誰?」
もう一度、ヒカリは同じ質問をした。すると女の子はヒカリに視線を移し、少し考え込むとそう答えた。
「・・・私に名前はない」
彼女の声は感情がないように真っ平らで、またその顔からも表情が読み取れなかった。
「・・・・・・」
ヒカリは次の言葉が見つからず、沈黙に耐えかねて下を向いてしまう。
謎の少女はドラゴンに視線を戻して、こう続けた。
「私はママに【仲介者】として創られた。彼を見守り、彼を救うことのできる者を見出すことが私の使命」
「ママ?」
「ママは、地上からはるか上空にある空間からこの世界を見守っているの・・・。ただ見ているだけ。だけどママがあまりに可哀そうに思ったことがあれば、そのときは私のような使者を送り、ママの意思を伝える。人間だけでなく、他の生き物にも。たとえば、そこのドラゴンにも・・・」
「・・・んーと・・・」
ヒカリはまだドラゴンが本当に存在するということを信じ切れていないが、もうそんなことを言っていられる状況ではなくなってきたようだ。ヒカリは自分を落ち着かせるためにも、この状況を要約してみる。
「つまりあなたは、別の世界からそのママって人のメッセージをドラゴンに伝えるためにここにやって来たってことね?」
「・・・間違いじゃないわ。でも正解でもない。そんなこと今は関係ないの・・・」
彼女は相変わらず無表情に答えた。
「どういうこと?」
「ママはただ、このドラゴンに目を覚ましてほしいだけ。夢から離れ、現実をしっかり受け止めてほしいだけなの」
少し目を伏せ、彼女はそう言った。その瞳はどこか寂しげだった。彼女はそのまま話を続ける。
「彼の目を覚ますことができるのは、私でもママでもない。それができるのはたった一人だけ・・・」
すると彼女は顔を上げ、ヒカリをじっと見つめた。