Paff(仮)
階段を下りてすぐの出口から外に出る。ヒカリが通う学校は一足制なので、いちいち靴を履き替える必要が無い。外に出ると、太陽に温められた爽やかな風が、ヒカリを撫でる。
「んんっ」
校舎の中と外の光の差で、目の奥がかゆくなる感じがした。ヒカリは足を止めて、それが治まるのを待つ。
「ふう」
やっと治まってから、ヒカリは駐輪場に向かい再び歩き出した。駐輪場はたくさんの自転車でごった返していたが、ヒカリはすぐに自分の自転車を見つけ出す事ができた。
鞄を相棒のカゴに入れ、ダイヤル式のカギの番号を合わす。慣れたもので指の一ひねりでチェーンを外すと、ヒカリはまず相棒を自転車の列から引き出し、それからサドルにまたがった。
「よいしょっ」
ペダルに力を込め、ヒカリは走り出す。この時間帯は閉めきりの通用門を通り過ぎ、少し先の正門から学校の外に出た。学校の前は車の通りが多く、しかも細い道路なのでヒカリはしっかり左右の確認をしてから門を出る。門を出てすぐに左へ曲がるのはいつもヒカリが使っている帰り道だが、今日のヒカリはまっすぐ家に帰る気は少しもなかった。こんなに良い天気の日に、何もしないで家に帰るなんてもったいない。それに、今日は朝から何か良い事が起こりそうな予感がするのだ。ヒカリはハンドルをいつもとは逆の方向へ傾け、ペダルに力をこめた。
「フンフンフフ~~ン♪」
熱唱に近い鼻うたを歌いながら、ヒカリは夕日に染まる川沿いの道をすべるように走っていた。この川は学校から自転車で20分くらいの、都と県の境目になってる大きな川だ。校歌にもこの川の名前が出てくる。
今日はこの川の上流の方向へ、もうかれこれ一時間くらい走っているだろうか。こんなに遠くまで来るのは初めてだ。そろそろ帰らなければと思うのだけど、何かもったいない気がしてそれができなかった。
もう少し、もう少しだけ進もうと自転車をこいでいるうちに、すっかり太陽は傾いてしまった。西の空に集まった雲の隙間から、夕日が漏れている。
今日の空は、朝から本当にキレイだ。自転車で走りながら空を見上げていると、暗くなり始めた青空に吸い込まれそう。ヒカリは両手をハンドルから離し、腕を一杯に広げた。向かい風が髪を揺らし、空を飛んでいるようだ。
視線を前に戻すと、前方から雑木林が近づいてきた。道はその中へ続いている。この雑木林を抜けたら引き返そう。とヒカリは決めた。
雑木林の中へ入ると、道の左右に植えられている木の枝が絡み合って、空を隠してしまっている。
「うわーっ、木のトンネルっ」
つい、そんな台詞が出てしまう。本当にトンネルみたいだったから仕方ない。枝々の間から、夕日が細い筋になってトンネルの中に差し込んでいる。ヒカリはできるだけ長くこの中にいたくて、スピードを落として進んだ。
すると右側、川があるほうとは反対側の雑木林に、人が一人通れるくらいの細い道があった。その道は雑木林の奥まで続いている。ヒカリは相棒を止め、その道の奥を見つめる。
「・・・これは行くしかないっしょ!」
ヒカリは相棒から降りて、邪魔にならないよう道の端に移動させてからカギをかけた。ひと気はまったく無かったけど、一応、用心のためだ。
鞄を持って、ヒカリはズンズンその狭い道を進む。木々の間から夕日が入り込んで、雑木林の中は思ったより明るかった。
ふと顔を上げると空に三日月が浮かんでいた。その月は寝転がっていて、まるで皿のようだ。今みたいな月を「受け月」と呼ぶのだと、誰かが言っていたのをヒカリは思い出した。受け月に願いをかけると月が満ちていくにつれて願いへの想いも満ち、ついには願いが叶うというのだ。
どんな願いをかけようか?そんな事を考えて月を見上げながら歩いていたから、ヒカリは数メートル先の異変に気づかなかった。
「っ? きゃーーー!」
♪
「はあ、はあ・・・」
肩で息をしながら、僕は自分の席に腰掛けた。教室のスピーカーからは、ホームルーム開始のチャイムが鳴っている。ま、間に合った・・・。
「おす。ギリギリだったなぁ」
前の席に座る、僕の数少ない友人の田村マサムネが、体をひねってそう言った。僕の苦労を労うつもりはないらしく、その顔にはむしろ面白がっているような笑みが浮かんでいた。
「まあね。朝から色々あったんだよ」
「ふーん。まさか、曲がり角で美少女とぶつかりでもしたのか?それでその子のパンツを見ちゃって、『パンツの覗き魔』とかって言われたんだろ」
「え?なんでわかったの?」
「そりゃあだって、『思春期男子に聞きました!遭遇したいハプニングランキング』のダントツ一位じゃねぇか。・・・ってマジかよ!マジでそんなことがあったのか?」
「そうなんだよ。ふぅ、朝から散々な目に遭ったよ」
「いやまさか、そんなこと本当に起こるわけがない・・・。ハハハ、朝から冗談はよしてくれよ。なあ?冗談なんだろ?そうだと言ってくれぇ!」
マサムネは身を乗り出し、鼻息を荒くして聞いてきた。朝っぱらから暑苦しいやつだ。ただでさえこっちは汗だくなのに。僕は面倒くさくなって、適当に答えた。
「本当だよ。あー。朝からほんっとにラッキーだった」
「まさか・・・」
マサムネはがっくりと脱力し、机と睨めっこしてなにやらブツブツ言い始めた。
「そんなバカな・・・本当にそんなこと起こるわけ・・・いやしかし・・・ランキング第一位だぞ・・・」
だからなんなんだ、そのランキングってやつは。まったく、女の子のパンツを見たって、ラッキーとはぜんぜん程遠いことなのに。僕は親友の落ち込みように呆れながら、下敷きで火照った体を冷ますのに専念していた。
ガララッ
すると、教室の扉が勢いよく開き、担任の先生が入ってきた。
「みんな、おはよう。遅れてすまない」
先生はそう言うと、ちらりとドアの向こうを見た。外にいる人とアイコンタクトをとっているようだった。あれ?教室の外に誰かいるのか?
「早速だけど、みんなに新しい仲間を紹介する。こんな時期だけど、親御さんの仕事の都合で今日からこの学校に通うことになった。おーい、入ってきてくれっ」
ザワザワと教室が騒がしくなる。誰だろう?こんな時期に。前の席のマサムネも突然の転校生に興味津々なようで、「おい、どんなコだろうな?転校生って」と興奮気味に聞いてきた。どんなコって、まだ転校生が女子だとは決まってないだろ。
カツ、カツと靴音を響かせて教室に入ってきたのは、セーラー服を着たショートカットの女の子だった。教室中の男子から、「おぉ~」と小さく歓声が上がる。
「あれ?」
なぜだか、僕は彼女に見覚えがあるように思えた。しかも、そんなに昔のことではない。つい最近、どこかで会ったことがあるような・・・。僕が下敷きをパタパタさせながら、このデジャブのような感覚について考えていると、その転校生は自信ありそうに胸を張って教壇の中央に向かって歩いていた。短い髪が、肩の上で小気味良く揺れる。