Paff(仮)
「あっ、ぼーっとしてる場合じゃないっ」
我に帰った僕は、歯磨きもそこそこに、朝食も食べずに家を飛び出した。
我が家があるアパートの団地から、僕の通う高校へはゆっくり歩いて15分、走れば5分の距離だ。だけどボクの学校は8時20分から朝のホームルームが始まってしまう。着替えや歯磨きで、家を出るとき時計は8時10分を回っていた。あと10分もない。
「ギリギリ行けるか?」
全速力で人気の無い住宅街の細い道を走る。少し危ないと思ったけど、車やバイクが来てもエンジンの音でわかるだろう。
「うわっ!」
そう思っていた矢先、すぐ前の曲がり角からセーラー服の女の子が飛び出してきた。僕は右足をつっぱってスピードを殺そうとしたけど、それでも止まれず、かえってバランスを崩してしまった。
「きゃっ」
小さく息を吸い込んだような声が聞こえた。その声がその人から発せられたと理解したのは、僕たちが衝突した後だった。
ズザァア・・・!
倒れる寸前で体をひねった僕は、どうにか顔面を地面にぶつけることは回避できた。それでもわき腹で3メートルくらい滑ったと思う。後にも先にも、僕の人生でこれ以上見事なヘッドスライディングは無いだろう。
「痛つつつつ・・・」
体を起こしながら、擦ったほうのわき腹を触る。血は出てなさそうだが、かなり擦りむいてしまったようだ。服の上からそこをおさえると、服が傷に触れて痛かった。
「ちょっと!どこ見て走ってんのよ!」
後ろから怒った声が聞こえてきた。
振り向くと、短い髪の、セーラー服を着た女の子が尻餅をついてこっちを睨んでいた。すごい形相だ。
「ご、ごめん。ケガはな・・・い・・・?」
僕は謝ろうとしたけど、そのあとの言葉は声にならなかった。
僕は気づいてしまった。彼女のスカートがめくれ上がっていることに。白と青の横縞パンツが、僕の視線を釘付けにした。輝くような空色とどこまでも澄んだ白のコントラストが、朝の日差しに光り輝いていた。
僕の視線の動きに気が付いたのか、彼女は目を下に向けた。
「!? キャアッ!」
彼女はさっきよりも遥かに大きな悲鳴を上げ、素早くスカートを戻した。みるみる顔が真っ赤に染まっていく。
「み、見たわね~・・・」
彼女は両手でスカートのすそを引っ張るように押さえつけて立ち上がると、震える声で言った。当然だが、相当怒っているようだ。
「い、いや悪気はなかったんだよ。急いでて前を見てなくて、それで・・・いや、パンツを見る気はなかったんだよ。決してわざとではなくて・・・」
「み、見たのね!やっぱり!」
「いやだからわざとではなくて、起き上がったらそこにパンツがあったというか、ほんとに、じ、事故なんだよ!」
あせりながら必死に抗議するが、言えば言うほど言い訳っぽくなってしまう。彼女はワナワナと体を震わせ、右手を振り上げた。な、殴られる!
「この、パンツの覗き魔っ!」
しかし彼女はその手で「ビシィッ」と僕を指差すとそう言い放ち、自分のカバンを拾って走り去ってしまった。
「の、覗き魔・・・?」
ア然とする僕を置いて、彼女はみるみる小さくなっていった。
「あれ?」
そこで僕は気づいた。彼女は僕とはちがう学校の制服を着ていた。セーラー服なんてここら辺ではまったく見かけない。なのに、彼女は僕が進もうとしていた方へ、つまり僕が通う学校へ向かう道を走って行った。うちの学校に用事でもあるのだろうか?
そんな事を考えていたら、自分が遅刻しそうだということをすっかり忘れていた。慌てて腕時計を見る。
現在、8時16分。
「や、やばい!」
僕は砂まみれになったカバンを拾い、彼女が走り去った方向へ全力で走り出す。
♪
午後になっても、天気は変わることなく快晴だった。ヒカリは窓側の一番うしろにある自分の席に座り、黒板の文字をノートに書き写している。ふと、目を窓の外に移す。ずっと黒板を見ていたからか、外の明るさに目が慣れるのに少し時間がかかった。
まだ冷たそうな3月の青空に、白い雲が点々と浮かんでいる。そんな空を見ていると、自然と笑みがこみ上げてきた。ただ空を見ているだけなのに、なぜこんなにうれしい気分になるのだろう。自分の事なのに、ヒカリはその答えを出す事ができなかった。
やがて授業終了のチャイムが鳴り、教室は本を閉じる音や文具をしまう音で一杯になった。
「ヒッカリぃぃーっ!」
そんな雄叫びを上げながら、クラスメイトの堀川マヤがドタドタとやってきた。
「なあに授業中に外見てニヤニヤしてんのよ。まさか、夢に出てきた男の子のことでも考えてたの?」
マヤは顔をニヤつかせて、ヒカリの肩を肘でつついてきた。
「ち、違うって!ただ、天気いいなって思っただけっ!」
「はぁ、眠れる王子サマ。いつか私の口づけで、その長い眠りから貴方を救い出して差し上げましょう」
ヒカリの反論を無視し、祈るように両手を組んだマヤは大袈裟にそう言う。
「うう~ホントに違うんだってばぁ」
「フフッ。ごめんごめん」
マヤはそう謝ると、今は空いているヒカリの前の席に座った。
堀川マヤ。
ヒカリの友人で、背が高く、黒くて長い髪が良く似合うキレイな女の子だ。男子だけでなく女子からの人気も高く、たびたびファンレター、もしくはラブレターをもらうことがあるらしい。ヒカリは登校してすぐに、彼女に今朝見た夢の事を話したのだった。
「そうだマヤ、今日は一緒に帰れる?」
うーん、とマヤは少し悩んで、
「ごめん、今日もムリ。どうも予算の集計が上手く行かなくってさぁ」
と申し訳なさそうに言った。
「そっか、生徒会長も大変だねぇ」
「まあね。けどあと少しで目の上のタンコブもいなくなるから、それまでの我慢ね」
フフッと不敵に笑う。
「先輩たちのことをそんな風に言ったらだめだよ」
一応、注意しておく。けど、これからの野望に燃えるマヤには聞こえていないようだった。
そんなおしゃべりをしていると、ヒカリたちのクラス担任がやって来た。帰りのホームルームが始まるようだ。
「ほらマヤ、先生来たよ。早く席に戻らなきゃ。山田君も困ってるよ」
マヤが座ってる席の主である山田君が、少し離れた所でウロウロしていた。不気味な笑みを浮かべるマヤは、相当近づき難かったんだろう。
「あっ、じゃあヒカリ、今日もゴメンね。一段落ついたら一緒に帰ろ!」
そう言うとマヤは、山田君を無視して自分の席に戻って行った。
ホームルームは2、3分で終わった。ヒカリは手早く帰り支度を済まし、すれ違うクラスメイトに「じゃあね」と挨拶してから教室を出た。
廊下にはまだ誰もいない。他の教室の前を通った時、その教室はまだホームルームをしていた。うちのクラスのホームルームはあんなに短くて大丈夫なのだろうか?とヒカリは思うが、早く帰れることに越したことはない。