Paff(仮)
彼女の目は涙で一杯だったけど、それでも笑ってこう言った。
「おかえり」
ああ、戻ってきてよかった。と僕は思った。
「・・・た、ただいま」
♪
「ほら、こっちこっち」
「え・・・でもいきなり外は・・・」
「何言ってんの。ずっと洞窟の中だったんだから、外の空気吸わなきゃ。すっきりするよ」
その後、ヒカリはドラゴンを洞窟の外から出そうと、車のバック誘導よろしく洞窟の外へ、後ろ歩きでドラゴンを先導している。出口が近いようで、洞窟の中が明るくなってきた。
「ほら、もう少しだよ」
「う・・・うん」
やがて、ヒカリとドラゴンは洞窟の外に出た。いつのまにか雨は止み、夕日が雑木林の中に降り注いでいた。濡れた草木が夕日に反射し、きらきら輝いている。
「うわぁ・・・」
ヒカリの口からそんな声が漏れる。ドラゴンを見ると、まだ明るさに慣れていないようで目を細めていた。ずっと寝ていたんだから無理も無いか。ドラゴンの目の前に立ち、ドラゴンが光に慣れるのを待つ。
やがて、ドラゴンの目が完全に開かれる。ヒカリは両手を広げて言った。
「どう?これが外の世界だよ」
ドラゴンはヒカリから目を外し、周りを見渡した。
「きれい・・・」
ドラゴンの口からそんな呟きが漏れる。
「でしょ?」
ヒカリはうれしくなって、笑みがこぼれた。
「あ、そうだ。ねえ、ドラゴン」
ヒカリはあることを思いつき、きょろきょろと辺りを見渡しているドラゴンに声をかけた。
「な、なに?」
ドラゴンはしどろもどろ返事をした。まだ会話するのに慣れていないんだろう。
「空飛ぼうよ」
「うん・・・。って、ええっ?」
「空だよ空。君の背中に乗って、空飛んでみたいの」
「で・・・でも、僕・・・」
「いいじゃん少しくらい。何のために翼があるのよ」
嫌がるドラゴンを無視して、ヒカリはドラゴンの背中に飛び乗った。
「じ、じゃあ行くよ・・・」
「レッツラゴー!」
ドラゴンは大きく翼を広げると、一回、二回と羽ばたいた。するとドラゴンの体がふわりと浮き上がり、あっという間に高度を上げていった。
「うわぁ・・・!」
ドラゴンの首にしがみついているヒカリは、驚きの声を上げた。洞窟のある雑木林がどんどん小さくなっていく。川の上流の方までずっと見える。ヒカリの通う学校も見える。夕日に、町のなにもかもが染まっている。見上げると雨上がりの空がどこまでも続いている。すがすがしい風がドラゴンとヒカリをなでた。
「すごいっ!」
ドラゴンが言った。
「飛ぶのがこんなに気持ちのいいことだったなんて知らなかった!」
「前から飛べるんじゃなかったの?」
「昔はまだ翼が小さくて飛べなかった。だからずっと海を泳いでたんだっ」
「だからさっき乗り気じゃなかったんだ」
「・・・うん。でもすごい!風が気持ちいい!」
「この世界には、君の知らない楽しいことがたくさんあるんだよ」
ヒカリはこの二日間で、本当にそのことを実感していた。ドラゴンが本当に存在しているなんて知らなかったし、仲介者のこともそうだ。この世界には、まだまだヒカリが知らない、楽しいことがたくさん眠っている。今のヒカリには、心からそう信じられた。
「あっそうだ」
ヒカリはさっきから姿を見せない仲介者のことをすっかり忘れていた。洞窟に戻れば会えるだろうか。
「洞窟に戻って。君に会わせたい人がいるんだ」
「わ、わかった」
ドラゴンは翼をピンと伸ばし、旋回しながら洞窟のある大穴へ高度を下げていった。その間も、ドラゴンは気持ちよさそうに目を細めていた。
ドシン・・・
湿った地面を、ドラゴンの脚が踏みつける。
「よいっしょ」
ヒカリはドラゴンの背中から降り、洞窟の奥に向かって叫んだ。
「おーい、仲介者ぁー!中にいるんでしょ?出てきなよー」
「・・・」
返事がない。もう洞窟からいなくなってしまったのだろか。
「あれ?どこいったのかな?」
「ここにいるわよ」
「うわぁ!」
さっきまでいなかったはずの仲介者が、音もなくヒカリの隣に現れた。
「よかった・・・あなたが目覚めてくれて」
驚くヒカリをよそに、仲介者はドラゴンを見つめて言った。
「え・・・?き、君は・・・」
しかしドラゴンは困ったように視線を泳がせた。そうか、ドラゴンは仲介者と会ったことが無いんだ。寝ているときはもちろん、夢の世界の中でも彼女はヒカリを通して夢の世界を見ていたから。
「・・・・・・」
仲介者は口を開こうとしない。どうしたのだろうか。彼女らしくない。
「このコは仲介者。ずっと君の事を見守っていてくれていたんだよ」
何も言わない仲介者に代わって、ヒカリが彼女の紹介をした。
「・・・・・・」
仲介者は何も言わず、じっとドラゴンを見つめている。
「え?・・・あ・・・あの・・・」
ドラゴンは仲介者に見つめられて恥ずかしいのか、モゴモゴと言いたいことがちゃんと出てこないようだ。
「ほら、なんか言ったら?」
ヒカリが急かすとドラゴンはしばらく上を向いたり横を向いたりそわそわと長い首を動かしていたが、動きをやめて下を向くと、
「・・・あ・・・ありが・・・とう・・・」
消え入るような小さな声で言った。
すると、ずっと無表情だった仲介者の顔に、とてもとてもきれいな微笑が広がる。
「どういたしまして」
笑顔の彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれた。夕日を反射して、キラキラと光る。
そうか。
彼女はずっと、涙を堪えていたんだ。
♪
それから数週間が経ち、ヒカリは高校三年生になっていた。親友のマヤとはまた同じクラスになり、いつもと変わらない毎日を送っている。
こうも平凡な日常が続くと、ドラゴンや仲介者のことが全て夢だったように感じる。実際、夢のようなことばっかりだったが。
あの後、ドラゴンは仲介者と共に彼女の生みの親であるママとやらの元へ向かった。長い眠りで衰弱しきっていたドラゴンを、養生させるためだ。仲介者は「またすぐに会えるわ」と言っていたが、ずっと音沙汰無しである。もう用済みということなのだろうか。そんなことを思うと、ヒカリは少しブルーな気持ちになるのだった。
「どうしたのヒカリ?ため息なんてついて」
隣の席のマヤが尋ねてきた。
「え?わたし、ため息なんてついてた?」
「うん。かなり深―いため息だったよ。好きな男子のことでも考えてたの?」
「ち、違うよっ。べ、別に好きな男子なんていないし」
「ふーん。そうなんだぁ」
必死に否定したのが逆効果だったのか、マヤは顔をニヤニヤさせている。
なんでマヤはすぐそういう発想になるのかなぁ。とヒカリは言おうとしたが、ちょうど担任が教室に入ってきたので言えなかった。
きりーつ、きをつけ、れい。
教室の全員が、日直の号令にだらだらと従う。
「よーし。みんな揃ってるなぁ」