Paff(仮)
だんだん靄が晴れていき、目の前に影が見えてきた。目を凝らして見ると、その影には長い首と、翼のようなものがあるのがわかった。
「・・・っ!」
ヒカリは息を呑んだ。言葉が出てこない。
やがて、完全に靄が晴れた。
そこにはドラゴンが立っていた。
頭を垂れて、恥ずかしそうにこちらを見ている。
「おかえり」
ヒカリはただ一言、そう言った。
ドラゴンは驚いたのか一度大きく目を見開き、次に目を細めて言った。
「・・・た、ただいま」
♪
気が付くと、僕は真っ暗で何もない空間にいた。頭痛はもうしない。辺りを見回しても、何もない。誰もいない。
すると目の前に、どこからともなく光の粒が無数に現れ、それらはやがて人の形を形成していった。
「やあ。気分はどうだい。こうして会うのは今回が初めてだね」
「・・・・・・」
僕が何も言わないでいると、人の形をしたそれは肩をすくめるような仕草をした。
「のっぺらぼうと話をするのは気分が悪いだろうから、ちょっと変えるよ」
そう言うと、それはパチンと指らしきものを鳴らした。すると足の方から色が這い上がるように、靴が現れ、ズボン、シャツ、そして顔が出来上がった。その顔は、僕がよく知っている顔だった。
「ふう。どうだい?なかなかハンサムに出来ただろう?」
僕と同じ顔になったそれは、薄ら笑いを浮かべながら言った。
「まさかこんなことになるとはね。どうやって入ったか知らないけど、おせっかいな奴らがいたもんだよ。君もそう思わない?誰にも裏切られることなく。自分のだけの世界で幸せにやってきたのに」
「・・・奴ら?」
「そうさ。あの女に、君の夢の中に侵入できる程の力量があるとは思えない。後ろ盾する奴がいるに決まってるさ」
「ここはどこ?」
そう尋ねると、それは大きな声でゲラゲラと笑った。
「ここはどこ、だって?さっきと同じさ。一歩たりとも動いちゃいない。まあ、少し風景は変わっちゃったけどさ」
「・・・・・・」
「あの女のせいで、辻褄が合わなくなっちゃったからさ。リセットさせてもらったよ。残念だったね。美少女のパンツを見て、キスして、一緒にご飯を食べて。ふふ。この次は一体どんな素敵なことが起こったんだろうねえ。せっかくのシナリオがパアだよ」
それは両手を上げて、残念そうに首を振った。
「・・・きみは誰?」
「さっきから質問ばかりだね。まあいいよ。ボクが誰かなんて、君が一番知っているじゃないか。忘れたなんて言わせないよ」
「・・・・・・」
僕が答えないでいると、それは大きくため息をついて続けた。
「ボクは君の魔法さ。あの時、君が君自身にかけた魔法。君の欲望の塊。いわば君自身さ。あの時から君の望む世界を作ってきた。君の一番の友達だよ」
「友達・・・」
「そうさ。ボクが一番君を知ってる。一番君を想ってる。ボクは君を裏切ることはしない。本当の友達は友達を裏切らない。そうだろ?」
そうだ。友達は友達を裏切らない。裏切られるのは怖い。
「ボクは君を絶対に裏切らない。ずっと君を守るし。今までそうしてきた。今回はちょっとイレギュラーがあったけど、大丈夫。記憶を消して、あの女のことなんてなかったことにするから」
あの女。朝倉さん、いや、高良ヒカリという女の子は僕を裏切るだろうか。あの目、あの声、あの指先の感触。それらを忘れてしまうのはなんだか惜しい気がした。
あの女の子は待ってると言った。向こうで待ってると。
あの女の子は僕を信じているのだろうか。そして僕が目覚めなければ、あの頃の僕のように傷つくのだろうか。それだけは、それだけはしちゃいけないことだと思う。
「・・・・・・」
「何を考えているんだい?さて、そろそろ次の夢が始まる時間だよ。ふふ。今度はどんな話がいいかなあ。今回失敗しちゃったから、また学園ラブコメにリベンジするってのもいいよね。君はどう思う?」
「・・・・・・」
「あのお姫様を助けに行く話は傑作だったよね。でもそういうのはもうマンネリかな。ああ、君は夢の記憶は毎回なくなるんだっけ?」
「・・・・・・」
「なんか言いなよ。今回は特別だ。君の希望を聞いてあげてもいいよ。さあ次の夢では何を望む?友か、恋人か、金か、愛か、名声か、崇拝か、希望か、絶望か、非日常か、日常か。なんでも手に入るぜ」
何でも手に入る。けどそれらは結局、偽物だ。夢の中の出来事でしかない。夢はいつか覚める。やまない雨はない。曇らない晴れもない。不変はあり得ないんだ。
「・・・なにもいらない」
「なんだって?」
「なにもいらないって言ったんだ。もう終わりにしよう。僕は変わりたいんだ」
それは驚いたように目を見開き、僕をまじまじと観察した。
「おいおい本当?あの女に当てられちゃったんじゃないの?よく考えなよ。外の世界には、君を傷つけるものがたくさんある。あの女だって、今に君を捨てるに決まっているさ」
「・・・・・・」
「やっぱり怖いんだろう?だったらほら、ボクに任せておきなって。君を一切傷つけない世界を作ってあげるよ」
それはひどく優しく語りかけてくる。そう。外の世界は怖い。また裏切られるかもしれないと思うと、体の奥の方がガクガクと震える。でもそれじゃいけないんだって、彼女は教えてくれた。彼女の笑顔を思い出すと、心の奥の方が暖かいもので満ちていくのがわかる。
「・・・必要ない」
そう強く言い放つと、それは怖気づいたような顔になり僕の肩をつかんで言った。
「なんでだよ。いままで君を守ってきたのはボクだよ?ボクは君の友達だ。君は友達を裏切るって言うのかい?」
「・・・・・・」
「できないよね?君にできるはずがないよ。君に裏切られたら、ボクはどうすればいいんだ」
彼を産み出してしまったのは、かつての僕の弱さだ。彼を振り払わない限り、僕は前に進めないだろう。僕は、彼を強く抱きしめた。
「い、いやだ、ボクを裏切らないで!」
僕の腕の中で、彼は逃れようともがく。僕は彼をさらに強く抱きしめた。そして、いままで僕を守ってくれた友人に、お礼を言った。
「いままでありがとう。君のことは、一生忘れない」
すると彼は力を抜き、眠るようにささやいた。
「ちぇ、全部あの女のせいだ。いいかい?また悲しいことがあったら、いつでもボクを呼んでくれていいぜ」
「そんなことはもうないよ」
僕は自分に言い聞かせるように言った。もう弱い自分とは決別するんだ。
「ふふ。そうなることを、祈ってるよ」
そう言うと、彼は消えていった。
暗い空間の中で、僕は一人になった。やがて暗闇の一点に光が差し込み、闇を呑みこんでいった。あまりのまぶしさに、僕は目を瞑る。
再び目を開けると、そこには白い靄が充満していた。僕は首を上げ、ゆっくりと立ち上がった。
やがて靄が晴れてくると、随分下のほうにある足元に人間が立っているのが見えた。僕は目を凝らす。
そして霧が晴れ、目の前にいるのが夢に見たあの女の子、高良ヒカリだということがわかった。