Paff(仮)
「朝倉はこっちに越してきて間もないから、みんなで手助けしてあげてくれ」
教師は二人のやり取りには気づいていないようで、みんなにそう指示した。生徒たちは一斉に「は~い」と返事をした。
「それから、そこの男子!」
と、その教師はドラゴンの少年を指さした。
「は、はいっ」
急に自分を呼ばれた少年は、驚いて直立不動の姿勢をとった。
「朝倉はまだ教科書が揃っていないから、しばらくの間、お前が見せてあげてくれ。いいなっ?」
「は、はい!・・・・・・って、えぇ?」
ちょうどその時ホームルーム終了のチャイムが鳴り、彼の抗議を遮った。
「おっ、もうこんな時間か。一時限目は国語だ。教室の移動はないからな。さっそく頼むそっ」
教師はそう言うと、黒い出席簿を手に取り颯爽と教室を出て行った。
「ち、ちょっと、先生っ」
少年はまだ何かを言おうとしていたが、教師」の姿が見えなくなると同時に開始された「転校生にいろいろ質問しちゃおう!のコーナー」のざわめきにその声は呑み込まれてしまった。
みんな謎の美少女転校生(という設定)に興味津々な様子で、ユイが答えるすきも与えず質問を浴びせている。ユイの周りにいるのはほとんどが女子で、男子たちは遠くからその様子を羨ましそうに眺めているか、少年の周りに集まってユイとの関係性を問い詰めていた。
ユイは懸命に質問の一つ一つに答えようとしているが、答えを待たずして浴びせられる質問の数々と女子たちの勢いに押されて、またもや顔を真っ赤にしている。
「ねぇ朝倉さん、前に住んでいた所はどういう所なの?」
「え、えっと・・・」
「朝倉さんのお父さんって、どんなお仕事をしているの?」
「あ、あの・・・」
「好きなアイドルっている?」
「えっと・・・」
「そうだ放課後みんなで校舎の案内をしてあげようよ!」
「そうだね、そうしようっ!」
少年の方も男子たちに取り囲まれ、質問というより取り調べの真っ最中だ。
「おいテメェ、どういうことだ!」
「ど、どういうことって・・・?」
「お前にあんなかわいい知り合いがいたなんて!」
「べ、別に知り合いってわけでは・・・」
「どういう関係だ!紹介しろ!」
「もしやもうあんなことやこんなことを・・・」
「なにぃ?」
「この野郎っ。廊下出ろっ!」
ヒカリはそんな二人の様子を、少し離れた教室の隅から眺めていた。
「うーん」
『どうしたの?』
「なんだか、どこまでも在りがちな物語りだなぁって」
『そうね。この物語は確かに在りがちだわ。けれど、在りがちであれば在りがちなほど、現実の世界ではあり得ない。ドラゴンはこういう世界を望んでいるのかもしれないわね・・・』
そう言われてみれば、仲介者の言う通りかもしれない。「謎の美少女転校生」なんて設定、漫画とかアニメではよく聞くが実際にそんなことがあるかと言えば、全く無い。そう考えれば、現実の世界ってなんて平凡なのだろう。
「けど、やっぱりこんなの間違ってるよ。辛いことがあったから夢に逃げるなんて、そんなのただ弱いだけ。生き方を知らないだけじゃない」
ヒカリはだんだん腹が立ってきた。そうだ。どんなに辛いことがあっても、生きてさえいればそれをはね返すくらい楽しいことがあるかもしれない。それを自分から諦めてしまうなんて、ドラゴンは大馬鹿野郎だ。
『・・・そうね。あなたの言う通りかもしれないわ』
その声は、なんだか悲しそうに聞こえた。
「ごめん。ちょっと言い過ぎたかな」
『そんなことないわ。あなたがそう言ってくれて、うれしい。あなたはきっと彼を救ってくれるって、確信した』
「・・・なんだか照れるね」
ヒカリは目の前で繰り広げられる物語に目を向けた。
昼休みになると、なぜか二人は屋上で昼食を食べることになり、食事の後になぜかユイは不良に絡まれていた。
「ど、どうしよう。わたし、不良に囲まれちゃってる・・・」
『私たちにはどうすることもできないわね』
「はあ・・・」
やっぱり、見てるしかないのか。ああ。がんばれ、わたし。
そうヒカリがユイに向かって応援した瞬間、ユイはがんばった。ヒカリの想像以上に。なんと不良リーダーの股間を思いっきり蹴り上げたのだ。
「あちゃー・・・」
もう見ていられず、ヒカリは目を覆った。
『あなたって、豪快なのね』
仲介者が感心したように言った。
「い、いや、わたしあんなことしないから!変なこと言わないでよ」
ヒカリは慌てて否定した。あんな場面に出くわしたことないからわからないが。
『こんなこと言ってるうちに、二人ともどこかに行ってしまったわね』
「あっ」
屋上には、すでに誰もいなかった。いや、一人、不良リーダーが股間を押さえて崩れ落ちているだけだった。
「すぐ追いかけなきゃ」
ヒカリは走って屋上から校舎内に入ったが、時すでに遅し。あの二人も、二人を追いかけて行ったであろう不良たちの姿もなかった。
「・・・どうしよう」
『先に教室に戻っておきましょう。あの二人もすぐ戻ってくるはずよ』
「うーん。・・・そうだね」
絶対なにか起こるはず。ヒカリはそんな予感があったが、行く先が分からないと探しようもない。諦めて、仲介者の言葉に従うことにした。
♪
「あ、しまった」
2人分のロールキャベツを火にかけたコンソメスープの中に放り込んだところで、今日は母さんが出張で帰らないことを思い出した。
「どうしよう・・・」
もうご飯も2人分炊き上がっているし、サラダも大き目の器に盛り付けて食卓に置いてある。夕飯は僕が作ることになっているので、つい、いつものつもりで作ってしまった。半分は明日にとっておくにしても、僕は朝ごはんを食べない主義なので夜まで置いておくことになる。丸一日も経ったら悪くなってしまうだろう。
「そうだ」
朝倉さんを誘ってみたらどうだろうか。せっかく隣同士になったんだし。一人で食べるより、二人の方がおいしく感じるってもんだ。
「・・・よし」
善は急げ、だ。僕はサンダルを履いて、朝倉さんの家へと向かう。向かうと言っても、家を出て徒歩3歩なんだけれど。
「・・・・・・」
呼び鈴のボタンに指を伸ばしたところで、僕は重大なことに気付いた。
僕は今夜一人でも、朝倉さんもそうとは限らない。転校初日、お父さんやお母さんに話したいこと(間違っても僕のことは言わないと思うけど)が一杯あるだろう。そんなところに首を突っ込むなんて、僕にはできそうにない。
「・・・・・・」
でも、ロールキャベツを腐らせてしまうのはなんだか忍びない。今回はかなりの自信作なんだ。
「どうしよう」
そうだ。お裾分けということならいける。挨拶も兼ねて、これ以上ない自然なシチュエーションだ。よし、そうしよう。僕はボタンを押した。
ピンポーン
気の抜けるような音が、ひと気のない廊下に響き渡る。僕の鼓動が、今までにないくらい大きな音をたてているのがわかる。
「・・・・・・」
反応がない。もう一度押してみよう。