Paff(仮)
こうして思い出してみると眩暈がしてきた。マンガやアニメでしかないようなことがたて続きに起こるなんて、昨日の僕には想像もできなかった。
そんなことを思って自分のつま先を見ながら歩いていると、あっという間に下駄箱まで来てしまった。
「あっ」
前の方から驚いたような女の子の声がしたので、僕は顔を上げた。
「あ・・・」
なんとそこには、先に教室を出たはずの朝倉さんがいた。右手には大きな紙袋を持っている。そういえば、新しい教科書を受け取りに職員室に来るようにと、先生がホームルームで言っていたような気がする。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
朝倉さんは何も言わずに僕を睨んでくるばかりで、僕の方はまさかこのタイミングで朝倉さんと再会するとは思ってもいなかったので、言葉を失ってしまった。
「・・・い、今から帰り?」
「ふん」
ようやく絞り出した言葉は鼻であしらわれ、朝倉さんは僕の問いに答えず靴を履き替えはじめた。
(なんだよ)
僕は少しムッとしながらも、自分の靴に履き替えて校舎の外に出た。朝倉さんは僕より少し先を歩いている。僕たちは微妙な距離を保ちつつ、学校の正門を出た。
それからというもの、僕たちはその微妙な距離を保ったまま、同じ方向へと進み、同じ角をいくつも曲がって、同じ団地の敷地内に入って、同じ棟のエレベーターに乗って、同じ階で降り、それぞれの自宅の玄関に到着した。そしてそれぞれの玄関のドアノブを握った時、ようやく朝倉さんが口を開いた。
「なんであんたがここにいるのよ!」
「いや・・・だってここ僕の家だし」
なんと、朝倉さんが握っているドアノブの部屋は409号室。そして僕が握っているのは、410号室のドアノブだ。見事に、確実に、僕たちはお隣さん同士、ということだ。
「なんであんたの家が、よりにもよってここなの!」
「そ、そんなこと言われても・・・」
そんなの僕が聞きたいよ。そう言うと朝倉さんがさらに怒り出すのは目に見えていたので、それは声には出さないでおいた。朝倉さんも今の自分のセリフが理不尽だと分かったようで、少し言い淀んでから、
「・・・家が隣だからって、アンタと馴れ合うつもりなんか絶対にないんだからっ」
と言い放ち、鍵を開けて勢いよく自分の家の中へと消えて行った。
「・・・・・・」
一人廊下に取り残された僕は混乱の渦の中にいた。
「なんてこった・・・」
♪
我に帰って再び走り出した少年を追いかけながら聞いた仲介者の説明を要約すると、ここはドラゴンが自分自身にかけた魔法によって創られた、今まさにドラゴンが見ている夢の世界なのだそうだ。魔法の力がドラゴンにとって都合のいいストーリーを作り出し、夢としてドラゴンに見せている。ようするに現実逃避の究極形態だ。物語が終わるとまた新しい物語が作られ、何十年も前からこのドラゴンは『夢のような』物語の中で生き続けているのだ。そしてそのことが、さらに彼を現実世界から遠ざけている。
ヒカリが今いるのは、とある学校の教室だ。少年を追いかけてきたのだから、少年の通う学校で、少年が所属するクラスの教室なのだろう。
そこの生徒たちは教室の後ろの隅にいるヒカリには気づかず、仲良さげに朝の挨拶を交わしている。あの少年(パンツの覗き魔)も窓際の列の一番後ろの席に腰掛け、前席の男子生徒と談笑しているようだ。
ガララッと前の扉が開き、ジャージを着た若い感じの男性教師が入ってきた。この人が担任の先生なのだろう。
「みんな、おはよう。遅れてすまない」
先生はそう言うと、ちらりとドアの向こうを見た。外にいる人とアイコンタクトをとっているようだった。
「早速だけど、みんなに新しい仲間を紹介する。こんな時期だけど、親御さんの仕事の都合で今日からこの学校に通うことになった。おーい、入ってきてくれっ」
ザワザワと教室が騒がしくなる。ヒカリにはなんとなく、この次の展開が予想できた。
カツ、カツと靴音を響かせて教室に入ってきたのは、やっぱり偽ヒカリだった。
呆れているヒカリとは裏腹に、教室中の男子生徒からは「おぉ~」と小さく歓声が上がる。わ、わたしって、そんなに美人?とヒカリがそんなことを考えていると、仲介者が冷静に答える。
『いいえ、これは今回の夢のテーマが『謎の美少女転校生』という設定だから。転校生が誰であろうと、このシーンでは歓声が上がることになっているのよ』
「そ、そうなんだ・・・」
仲介者には悪気はないのだろうが、そうはっきり言われるとショックだった。ヒカリの両目にキラリと涙が光る。
「あーーっ!」
突如、そんな叫び声が響いた。その声の発信源は、この物語の主人公、すなわちドラゴン、もしくはパンツの覗き魔だ。立ち上がり、偽ヒカリを指差している。教室にいる全員が、何事かと少年に視線を送った。
教壇の真ん中まで来て自己紹介を始めようとしていた偽ヒカリも驚いたように少年を見つめ、ハッと何かに気づいたような顔をして、
「あーーーーーーーーっ!」
と叫んだ。
しばらく二人は見つめ合い、体をワナワナと震えさせていた。望んでもいなかった奇跡の再会に、お互い言葉が出ないようだ。クラス中が二人の様子を伺っている。
「えっと・・・」
教師がひどく困惑した様子で口を開いた。
「二人は、知り合いなのか?」
「あっ、い、いえ・・・」
偽ヒカリは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。少年も同じくらい顔を真っ赤にして、気まずそうに腰を下ろした。
「じ、じゃあ自己紹介を頼む」
「は、はいっ!」
教師の振りで元気を取り戻した偽ヒカリは、黒板に向かって何かを書き始めた。たぶん名前だろうから、最初の文字は『高良ヒカリ』の『高』だ。
しかし彼女が書いた一文字目は『朝』だった。偽ヒカリは自信満々に手を動かし続け、ついに書き終わった。偽ヒカリはこちらに振り返り、満面の笑顔で言った。
「朝倉ユイです。よろしくっ!」
偽ヒカリ、いや朝倉ユイはペコリと元気よくお辞儀をした。
「ちょっと待ってよ。わたし、『朝倉ユイ』なんて名前じゃないよ」
ヒカリはどこかにいるであろう仲介者に訊ねた。
『そうね。おそらくドラゴンの魔法は、あなたの記憶からあなたの名前を見つけ出すことができなかったのかもしれない。だから全く違う名前を作り出すしかなかったのね』
「ふうん・・・」
偽ヒカリ、もとい朝倉ユイが自己紹介を終えて担任に指示された席に向かって歩き出した。その席というのが、これまた在りがちな、あの少年の隣りである。
「あ、あの、朝倉さん。これからよろしく・・・」
少年は気まずそうに言った。イスを引いて着席しようとしていた朝倉ユイは驚いたように動きを止めて、少年を見つめた。というより、思いっきり睨んでいる。
「・・・・・・あは、はは」
鋭い彼女の視線に、少年の笑顔はどんどん引きつっていく。
「・・・フンッ」
ユイは鼻を鳴らし、ぷいっと首を振って着席した。彼はますます気まずそうに肩を縮ませた。