Paff(仮)
(しまった)
せめて、教室に帰る時間をずらした方がよかった。しかし時すでに遅し。クラスメイト全員が席についているのは次の授業の準備なんかではなく、他でもなく僕たちを待ち構えていたからなんだろう。いつもだったら2回目の授業開始のチャイムが鳴ってようやく席につき始めるのに。
別に何もなかった(訳じゃないけど)のだからわざと別々に教室へ帰る必要もないけど、この話題好きのクラスメイトたちの想像をかきたてるには「昼休みが終わって一緒に教室に戻る男女」というシチュエーションは美味しすぎるエサなのだった。
今日が転校初日の朝倉さんにはわからないかもしれないけど、半年以上一緒に過ごしてきた僕にはわかる。絶対このクラスメイトたちの脳内では、〝そういうこと〟になっているに違いないのだ。
この異変にやっぱり気づいていない朝倉さんは、この沈黙を意に介さず自分の席へと向かう。しかたなく僕もそれに従って自分の席に着き、前の席の友人に声をかけてみた。
「な、なあマサムネ・・・」
するとマサムネは勢いよく立ち上がると、すごい形相で僕を見下ろして言った。
「貴様など知らんっ。俺が気を利かせてやったのをいいことにつけ上がりおって、貴様などもう友人でもないわ!」
「・・・え?」
マサムネは目を充血させ、涙を堪える震えた声で叫んだ。
「貴様こんな時間まで何をしていたっ・・・こんな時間まで・・・どこで何をしてたんだあぁぁぁぁーーーっ」
そう叫び、マサムネは口元を押さえながら教室から走り去って行った。
「ち、ちょっと、マサムネーーーっ」
僕が呆気にとられていると、マサムネの狂態を見たクラスメイトが、一斉にざわつき始めた。あちこちから「やっぱり・・・」とか「あの2人って・・・」といった声が聞こえてくる。そして今まで喋ったこともないような男子からは「よくやった!」「お前は男だ」と肩を叩かれた。
「ち、ちがうっ。みんな誤解し過ぎだよ!」
僕が必死にこの変な状況を終わらせようと大声で言ったけど誰も聞いておらず、肩を叩いた男子には「まあまあ、みなまで言うな」と諭すように言われる始末。
「は、ははは・・・」
僕はもう笑うしかなかった。噂を解くどころか、その噂にさらなる脚色が加わってしまったようだ。みんな、昼休みの間にどれだけ盛り上がったんだよ。
朝倉さんはというと、顔を真っ赤にして俯いている。僕にはわかる。あれ、絶対怒ってるよ。
♪
「痛たたたたぁ・・・」
とあるひと気の無い道路のど真ん中で、ヒカリはおしりをさすりながら身悶えていた。
光に包まれている間続いていた浮遊感が光とともに消え、ヒカリは硬い地面に放り出されたのだった。放り出されたといっても、腰くらいの高さなのでお尻を強打しただけで済んだけど。
「うぅ・・・最近こんなのばっかり・・・」
痛みが和らいでいたので立ち上がり、ヒカリは辺りを見渡す。なんでもない、よくある住宅街の十字路のど真ん中だった。太陽がまだ低い空にあるから、おそらく朝だろう。
「・・・ここどこ?」
『彼の夢の中よ』
頭の中で、仲介者の声が響く。二回目なので、あまり驚かなかった。
『彼の魔法が作り出した、彼だけの世界。ここでは、彼にとって都合のいいストーリーが繰り広げられているの』
ふーん、とヒカリはもう一度辺りを見渡す。
「なんか、ごく普通の町並みだねぇ」
とても魔法が作り出したとは思えない、現実の世界と少しも変わらない風景が広がっている。
『・・・だけど、これは偽りの世界よ』
彼女の声はどこまでも冷たく、鋭くヒカリの中で響いた。
「わ、わかってるけど、なんだか拍子抜けしちゃうなぁって思っただけ。で、私はこれから何をすればいいの?」
仲介者が怒っているように思えたヒカリは、話を変えようと急いでそう言った。
『まずは、見てるだけでいいわ』
「見てるだけ?」
『そう。見てるだけ。ほら、前を見て』
「えっ?」
ヒカリは顔を上げた。あまり広くない道路の先から、女の子が一人、こちらに向かって走ってくる。見知らぬ学校の制服を着ているその女の子は・・・。
「わ、わたしぃ?」
なんとその女の子は、他でもない、高良ヒカリ本人だった。
『そう、あなた。けれど違う。あなたの姿を借りているモノ。次は右を見て』
彼女の言っている事が理解できなかったけど、考えてもキリがなさそうなのでヒカリはその声に従って顔を右に向けた。
「あっ」
男の子が走ってくる。男の子といってもヒカリと同い年くらい。これまた見慣れない制服を着ている。男の子も急いでいるようで、全力疾走だ。
『彼はこの物語の主人公。つまり、ドラゴン自身よ。ドラゴンだった時の記憶はまったくない。彼の魔法が《もし自分が高校生だったら》という設定で物語を作り、彼に夢として見せているの。今はちょうど始まった頃ね』
「あれがドラゴン?っていうか、設定とかあるんだ・・・。しかも《もし高校生だったら》って、なんか、生々しい・・・」
ヒカリは少し引いた。
『以前までのドラゴンだったら、高校生なんてものは知らなかったはず。昨日あなたがドラゴンの涙に触れたとき、ドラゴンの魔法はあなたの記憶の一部を吸収した。そのとき初めて高校生というものを知り、今回の夢の題材にされたのね』
「そ、そうだったの?」
『だからこの物語のヒロインである彼女の姿に、あなたが参考にされたというわけ』
「な、なるほど」
『彼の夢の中で繰り広げられる物語が完結すると、新しい物語が作られ、彼にとって都合のいいストーリーが展開される。その度に彼は物語の主人公として、『夢のような』夢を本当の世界だと信じて見続けている。この物語は、32,371回目よ』
「げっ。そんなに?」
(現実逃避もほどほどにしろっつうの)ヒカリは心の中で罵倒したが、そこまでさせる彼の心の傷の深さのことを考えると、口には出せなかった。
向かってくる二人はとても急いでいるようで、交差点の手前を一時停止して安全を確認する気はないらしい。というか、交差点のど真ん中にいるヒカリにも気づいてないようだ。
「あの二人に私は見えてないの?」
ヒカリはどこにいるかもわからない仲介者に訊ねた。
『そうよ。あなたの姿はこの世界の誰からも見られることはないし、あなたが発する音も聞こえない。あなたも、この世界のあらゆる物体に触ることはできないわ』
「ふーん」
そうこう話しているうちに、走ってくる二人はどんどん近づいている。二人とも減速すらする気配はない。お互い、曲がり角から人間が出てくるとは考えてもいないらしい。このままだと、正面衝突である。いくら違う体だといっても、ヒカリは自分と同じ顔をした女の子が見知らぬ男子と正面衝突する光景は見たくなかった。
もちろん、ヒカリのそんな願いは叶わなかった。
どっしーん!
そんな効果音が聞こえるほど、それはそれは見事な衝突だった。「あーあ・・・」ヒカリの口からそんな声が出る。
「「痛ったたた」」
二人が痛そうなうめき声をあげる。
「ちょっと!どこ見て走ってんのよ!」