Paff(仮)
「雨が降りそうだったから、早く家を出たんだ。結局降られちゃったけど」
会うのは二回目ということもあり、昨日より頭の整理ができていたヒカリはそれほど緊張することなく気軽に話しかけることができた。
「あめ・・・?」
「そう、雨。空から降ってくる水滴のこと。君、雨って知らないの?」
コクリ、仲介者は頷く。
「私が生まれた場所は雲のずっと上にあるから、地上のことはよくわからないの・・・」
「そうなんだ・・・」
ヒカリはなんと言っていいかわからず、黙ってしまう。仲介者も、視線をドラゴンに移してなにも喋らない。出口のほうから雨が降る音が聞こえてくる。本格的に降り始めたようだ。ヒカリはうつむき、次の言葉を探しながらその音に耳を澄ましていた。
「そろそろね・・・」
「へっ?」
仲介者が急に話すので、ヒカリはまぬけな声を出してしまった。そろそろ?なにが?
「あなたはこれから、彼の中に入り、夢の中の彼に出会うの。その世界は彼の魔法が作り出した偽りのもの。決して真実ではないわ。これだけは覚えておいて」
「えっ?入るって・・・?」
「詳しくは『中』で説明するわ」
「ちょ、ちょっと待って!」
せめて心の準備するだけの時間が欲しい。しかし仲介者はヒカリの言葉を無視するように、人差し指をヒカリに向けた。
「始めるわ・・・」
そういうと同時に、ヒカリの足が地面から離れた。
「っ?うわぁっ!」
たちまちヒカリは光に包まれ、キュウンとビー玉くらいの大きさに凝縮された。仲介者の人差し指の動きに合わせて光の玉はドラゴンの額に導かれ、ゆっくりとドラゴンの中に入っていった。
♪
耳をつんざくような大きな音をたてて、掃除用具入れは倒れた。直前に僕が軌道をずらしたので下敷きになることはなかったけど、そのせいで受け身をとることができず、頭をもろに床にぶつけてしまった。あまりに痛さに息が詰まる。
痛みが引いてくると、体の上に重たい何かが乗っかっていることに気付いた。そして息ができないのは痛みのせいではないことにも。
「・・・・・・!」
恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに朝倉さんの顔が広がっていた。彼女の目は驚きに見開かれていて、そこには同じように驚いたような僕の顔が映し出されていた。今の状況を理解するには長い時間は必要なく、だけど理解をすればするほど頭の中が真っ白になっていく。
うまく呼吸ができないのは、何かが、僕の口を塞いでいるからだ。そして僕の口も、何かを塞いでいる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
お互いに言葉が出ず(というか出せず)、見詰め合いそのままの体勢でフリーズしてしまっていた。空き教室の時計のカチコチという音が、やけに大きく耳に届く。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
僕たちを混乱の淵から救い出したのは、昼休み終了5分前を告げるチャイムだった。朝倉さんは飛び上がるように立ち上がって、手の甲で自分の唇を押さえた。
「あ、あの・・・その・・・」
僕も上体を起こして彼女に謝罪しなくてはと言葉を探したけど、混乱のせいかなかなか見つからない。いつまでたっても「あの」とか「その」しか出てこない。
「・・・・・・」
彼女は口を押さえたままゆっくりと教室の扉まで後さずり、何も言わずに出て行ってしまった。僕は殴られることは確実だと覚悟していたので拍子抜けてしまい、ぼんやりと空き教室を出ていく朝倉さんを見ていた。
(思ってたより柔らかいんだな)
ふとそんなことを思ってしまい、すぐに頭を振ってかき消した。なんだかすごく失礼なことだと思ったから。
「あ、そうだ」
朝倉さんは教室までの道のりを知っているだろうか?僕はすぐに走り出し、朝倉さんを追いかけた。
「待って、朝倉さん」
朝倉さんは空き教室を出てすぐの廊下を歩いていて、僕は走りながら彼女の背中に呼びかけた。彼女は一度肩を振るわせただけで返事はなく、スタスタと歩を進めるだけだ。
「・・・・・・・」
僕は彼女の少し後ろを歩き、後ろから様子をうかがった。表情はわからなかったけど、怒っているわけではさそうだった。
「あの、朝倉さん・・・」
朝倉さんはただ黙々と歩くだけで、僕のことをいないかのように無視する。僕は意を決した。
「朝倉さんっ」
彼女の手を掴み、無理やり立ち止まらせた。驚いたように振り返った彼女の顔を見て、僕は息を呑んだ。
「・・・!」
朝倉さんの目尻には、涙が今にも溢れそうに浮かんでいたのだった。
「朝倉さん・・・」
「---っ」
僕が言葉を失っていると、朝倉さんも自分が泣きそうだということに気付いたようで、急いで僕が掴んでいない方の手で涙をぬぐいながら言った。
「な、なによ」
「えーっと」
な、なに言おうとしたんだっけ?朝倉さんが泣いていることに驚いて忘れてしまった。というか何を話そうかなんてまだ決めていなかったんだ。僕が言葉を探している間、朝倉さんの表情はどんどん怪訝そうになっていく。
「えーと・・・教室に戻るんだったら次の曲がり角を右だよ」
ようやく見つけた話題は、そんなどうでもいいことだった。別に次の曲がり角じゃなきゃ絶対に教室に戻れないわけじゃないのに。
朝倉さんは一瞬拍子抜けた顔になり、すぐに視線を外して「わ、わかってるわよ」と不機嫌そうに言い、ぼくの手を振り払って再び歩き出した。
教室まであと少しというところの廊下で、僕はこれだけは言っておこうと思っていたことを言うために、再び朝倉さんを呼び止めた。
「あ、朝倉さん!」
大声で呼んだので、さすがに朝倉さんは立ち止まって振り返ってくれた。すれ違う生徒たちが、何事かと視線を送りながらすれ違って行く。
「さっきはゴメン!なんて言ったら許してくれるかわかんないけど、とにかく、ゴメン!」
そういいながら深々と、頭を下げる。人目なんか気にしていられない。これから一生、朝倉さんのパシリでも奴隷でもする覚悟だった。自分の足を見ながら、朝倉さんの返事を待った。
「・・・なに言ってるの?」
「へ・・・?」
そんな彼女の答えは想像だにしていなかった。顔を上げると、朝倉さんは本当に僕が何を言っているのかわからないというような表情をしていた。
「だ、だから、空き教室でのことを謝ろうと思って・・・」
「空き教室?何のこと?わたし達は屋上でお昼を食べただけじゃない。空き教室になんて行ってないし、別になにも起こらなかった。そうでしょ?」
そう言う朝倉さんの顔は赤く、一向に視線を合わそうとしない。なるほど、そういう事にしておいてくれるってことか。朝倉さんからそういう提案をしてくれるのは、非常にありがたいことだった。
「いい?だから教室に戻っても変なこと口走るんじゃないわよ」
僕を指で指しながら、朝倉さんが念を押してくる。僕はその勢いに押されて、ただ頷くしかなかった。
やっと教室に到着しガラガラと教室の扉を開けると、すでに次の授業の準備が整っているクラスメイト達の視線が、僕と朝倉さんに向けられる。僕は自分の犯したミスに気づいた。