小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

続、吉良吉田殺人事件

INDEX|2ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

信子が、準備のための仕事を終え、テレビのスイッチを捻った。何気なく流れるニュースを見て驚いた。
「!?ねえ、あなた。ちょっと来て。早く。大変よ!」
信子には珍しく取り乱した声を聞いた京太郎が、ゆっくりとやって来た。首に巻いた手拭いで汗を拭きながら、テレビの画面を覗き込んだ。
「どうした、一体。そんなに慌てて...」
「...あなた、ほら見て下さい!この間の...」
彼女の言うまま、テレビの画面を覗き込むと、
「あ!こいつはあの時の男じゃないか!列車の中の...!?」
昼の速報で、例の宮崎海岸のニュースを流していた。そして、その指名手配中の男の似顔絵として、あの列車で会った男とそっくりの、ベレー帽とうつむき加減の顔が映し出されていた。

「まさか...あの男が殺人犯だったとは...」
京太郎はいかにも驚いた様子で言った。
「私、道理で変だと思っていましたわ。何か様子がおかししかったですもの。」
信子が、女の第六感の鋭さを誇る様に言った。

「確かにそうだけど、まさか殺人を犯すようには思えなかった...」

京太郎はあの時の男の、落ち着かない、そしてややうつむき加減の様子を思い出していた。これまで、何十年という人生の経験の中で、様々な人と出会い、京太郎は大抵の場合、その人柄は出会った瞬間に分かる。そう自負していた。確かにあの男には、普通の人間に無い、影と暗さ、そしていわば野良犬の様な野性を感じたのも事実だった。しかし、それが即座に人に危害を加える、そのような人物にはとても思えなかった。

「あの男がね...」
さまざまに浮かぶ雑念を振り払おうともせず、京太郎は納得のいかないまま、再び画面に現れた似顔絵の様子を見詰めていた。
「あなた、気を付けて下さいよ。近頃危ないことばかりで、どんな人が居るのかわからないのですから。」
まるで子供をたしなめるように諭す妻の言葉に、頷くしかなかった。
「う、うん。分かった。」
「あなたまるで赤ん坊の様に人を信用してしまうのですから....」
「.....」

信子の言葉に頷きながらも、京太郎の心に様々な思いが浮かんできた。偶然に、出くわした見ず知らずの男...しかし、なぜかこの男に対する関心の芽が次第に彼の心に芽生え始めた。やがてその思いは京太郎の心を占領し始めた。

それから数日たって、いよいよ京太郎たちの新たなビジネスの開始の時がやって来た。ポリタンクの幾つかを荷台に積みこんでから、京太郎は運転席に乗り込んだ。
「おーい、お前も早く乗れ。」
「.....」
そう言う彼に、信子は押し黙ったままだった。
「...私、何だか今でも乗る気ではありませんわ...」
そう言う彼女を、助手席に引き寄せて、
「いいから早く乗りたまえ。これが俺たちの新しい旅立ちの日だ...」
そう言って、軽トラックのキイを捻った。ブロロロー、と威勢のいい音を立てエンジンが作動し始めた。備え付けたスピーカー用のスイッチを入れると、後部座席の後ろから、小気味よい調子で、
「温泉やー、いらんかねー 温かくて気持ちのいい温泉は、いらんかねー...」

少し間延びした、あらかじめ録音しておいた京太郎の声が響いた。京太郎は自ら納得したように微笑んだ。隣の信子はと言えば、ばつの悪い顔をしたまま、体を縮めるように座っている。京太郎はゆっくりと家の前から車を走らせた。真夏の太陽が、じりじりと暑さを増していた。

彼らの住む町と、郊外とを結ぶ幹線道路を向けると、車は北陸自動車道に入った。京太郎と妻信子を乗せた軽トラックは、軽快な走りで、一路下呂温泉へと向かっていた。

「温泉やー、温泉はいらんかねー、温かくて気持ちのいい温泉ー...」

時折スピーカーの具合を確かめるように音を鳴らすと、その度に、
「あなた、止めてください、こんな高速道路で。私、はずかしくって...」
隣の信子が言った。
「そ、そうか。分かった、悪かった...」
別段に、気に留めることもなく、京太郎は頷いた。

車が下呂インターに差し掛かり、速度を少し緩めて、左にカーブを捻った。無人の料金所を過ぎると、すでにそこはひなびた温泉地帯で、低い山々の広がる景色を背景に、多くの温泉宿の看板が立ち並んでいた。京太郎達は、インターを出てすぐ後のT字路を左に折れて、この間自分らが泊まった、小さな温泉街、美輝の湯、その温泉ステーシオンを目指した。

時計を見ると十時半を少し過ぎた所。我が家を出発してから二時間あまりで来たことになる。真夏の太陽は既にじりじりと辺りを焦がして、アスファルトの照り返しが眩しく瞳に刺した。
「思ったより、早く着いたね。それにしてもこの暑さはたまらないね。」

京太郎が、隣の信子にそう言った、その時だった!何という偶然だろう。車はこの間二人が歩いて降りてきた坂の辺りに差し掛かっていた。その、真夏の暑い日差しの中を一人の男が、だれも居ない、たった一人の道をとぼとぼと、暑さに打たれるように歩いていた。少し、前屈みになって、腰を曲げながら歩いている。頭にかむった、鼠色のベレー帽...紛れもない、あの時の列車の男!島田幸助に違いなかった。京太郎は彼の存在を確かにその目で捉えた。しかし、隣の信子が気付いたかどうか分からなかった。そっと、彼女の方を伺うと、どうやら何も知らない様子。京太郎はそのまま、男の存在をやり過ごすことにした。島田はもちろん顔にはサングラスをかけていた。通り行く人には、おそらくその姿は分からないだろう。京太郎は何気ない顔で車を走らせた。車はやがて、あの時の道の駅、温泉ステーシオンに着いた。

温泉を汲み終えて、ポリタンクに6つほども満たした時だった。登り坂の角から先ほどの男が近付いてきた。彼はもちろんこちらの様子に気付いていない。京太郎自身も知らないふりをしてやり過ごそうとした。その時、彼の後方から。勢いよく一台のトラックが下り坂を下りてきた。こちらの温泉ステーシオンは曲がり角の内側にあるため、トラックからその様子は見えない。その時、一匹の野良犬が、暑さにやられたのか、ふらふらと道を横切ろうとした。ちょうど、島田の前を通り過ぎようとしたところだった。島田の陰で犬の存在は運転手には見えていない。そのまま車は、勢いよく島田の横を通り過ぎた。あっという間のことだった!島田は後ろを振り向く間もなかった。

「..キャイン!!」
一瞬の間に、ふらりと道から出た野良犬は、車に撥ねられた。勢いよく走り去ったトラックはスピードを緩めることもしなかった....
犬は、島田の前方5メートルくらいまで飛ばされ、そのまま動かなくなった。島田はその時、一瞬、自分がこいつを救えなかったことに後悔した。ベレー帽を脱ぎ去り、慌てて野良犬の所に駆け寄ったが、もう虫の息で助かる見込みは無さそうだった。
島田はうつろな目で横たわる野良犬に近付いた。
「ちっ!ひでえことをしやがる...お前も運が悪い奴だな...」
島田の心にどうしようもない悲しみと憐みの気持が込み上げた。それは島田自身が自分の人生に重ね合わせたものだった。
「おめえも、俺とおんなじ...運の悪い奴だな...」
島田は再び頷いた。
作品名:続、吉良吉田殺人事件 作家名:Yo Kimura