和尚さんの法話 『仏教の説く道徳』
田とか畑というのはいろんなものが育ちますわね、それでその福田という言葉は特に、他に尽くすとか、施しをするとか、困った人を助けるとか、そういうことをすると皆功徳というものが得られるのです。
それが何時どんな形で実吹くかそれはちょっと分からんのですがね、とにかく功徳が得られるんです。
お経にそう書いてるんだから信じるといいですね。
普通は八福田というんですがね、八通りあると。
一、は仏様。
二、は聖人。
聖人というと、阿羅漢のことを言うわけですが、聖人という言葉を簡単に使いますけれども、本当は悟りを開いたような人を聖人というのです。
三、は和尚。
四、は阿闍梨。
この和尚と阿闍梨は同じですね。
宗派によって阿闍梨と言ったり和尚と言いますね。
真言とか、天台は阿闍梨と言う言葉を使いますが同じですね。
一応一人前のお坊さんのことを言う。
そして、弟子を指導の出来る認められた者が、阿闍梨であり、和尚なんです。
五、は僧僧というのは、一般の僧ですね。
まあ言えば、一人前ではないけれども、修行中の僧。
六、は父。
七、は母。
八、は病人。
これを八福田と言うのです。
この何方に尽くしても皆、功徳になるというのです。
その中でも特に病人を世話することが一番優れてるんだというのです。
七、
「世尊、諸の比丘に告げ給わく、比丘よ、病める人は、一には食物を選べ、二には時に随いて食せしめ、」
看病をするときにということ。
「三には薬に親しましめ、」
薬に親しむようにする、薬を飲むようにさせる。
「四には愁(しゅう)、喜び瞋りをば思う勿れ。」
病人さんが、あんまり難しいことを言うもんですから腹が立って怒ると。
元気なときはこんなんじゃなかったのにと、えらいことになったと言うて辛い顔や泣くなと。
泣く暇があったら看病しなさいという意味ですね。
「五には看病人に向かいて従順なるべし。又看病の人は、一には薬を分別せよ、」
この薬が適当であるのかどうか、この薬が効くのかなと、考えて間違っていないかと、分別する。
「二には怠(おこた)る事無く、」
看病することをほっとくな、怠けるなということでしょうね。
「先に起き後に臥(ふ)し、精進して怠る勿れ。三には睡りを少なくせよ。」
眠っている間に死んでしまうということがありますからね。
朝起きたら死んでたとか聞きますからね。
「四には法に順いて供養し、飲食を貪ること勿れ。」
法に従うというのは、適切なということですね。
食べる物とか、飲む物をあげるという意味ですね。
そして病人さんの食べ物や飲み物を食べるなという意味ですね。
これで印象に残ってることがあるんですが、死んでから生き返ってくる臨死体験の書物に出てた、本当の話があるんですよ。
病院でね、死んだということになったんですわ。
それで、見舞いの品がいっぱい、果物とかなにかね、枕元に置いてあるわけです。
そこに看護婦さんが入ってきて、この人は死んだんだと医者が診断してるんだから、この人は死んだんだということですね。
それで、病室には誰も居ないからその見舞いの品のバナナを一つ食べるんですね。
すると、この霊魂がね、上から見てるんです。
死んでなかったんです。
肉体は死んでるけど、霊魂はふうっと浮いて天井のところに居るんですね。
それで、看護婦さんがバナナを食べてるのを上から見てるんです。
ところが死んだはずの人が後になって、息も止まってたけど、元に戻って生き返るんです。
意識も戻ってね。
それで、そのことを言うたら看護婦さんがびっくりしてしまったそうです。
恐縮してしまったという話です。
そういう臨死体験を書いた本でしたが、これはおおいにあることですね。
そういうこともあるので、病人さんの物を食べたり飲んだりするなと、いうことですね。
病人さんに大事な物なんだからと。
そういうことを言うているわけです。
「五には病人の為に法を説くべし。病める人と護れる人と、共に之に違する時は病癒え難し。」
病人さんを看護する人と、病んでる本人さんの心掛けというのでしょうか、それがあるわけですわね。
お釈迦さんは病人さんを甘やかせとはおっしゃってないわけです。
病人は病気になったらこういう気持ちにならないかんと、無理をあんまり言うなと、そういうお経もあるんですよ。
一所懸命やってるんだから、それを腹を立てたりしないで、病人は病人で、間違ったことを言うたり、看病人も同じで、よくないことはするなと言ってるわけですね。
病人は間違うてるし、看護人も間違うてると、そういうことでは病気も癒えないということですね。
そういうお経です。
― 雑一阿含経 ― (ぞういつあごんきょう)
八、
「若し貧しくして物無くば応さに種々の方便もて至心に看病し治療すべく努むべし。」
物を持っていってあげるにも、物が無い。
そのときは、せめて病人さんの世話をするということですね。
「又、財有る者に勤めて種々の薬を和合せしめ病を看、病の所在を窺(うかが)い、その病所に髄いて治療を加うべし。」
お金のあるところへ行って、こういう病人さんがありますので、どうか助けてあげてくれませんかと言って、援助をしてもらう。
病人のためにね。これは一般の人に説いてるお経ですね。
「病を治療する時、善く方便を知りて不浄に處すと雖(いえど)も厭心(おんしん)を生ずる事勿れ。」
おしっこや、うんこをたれても汚がったり、嫌がったりするなと。
それは仏様だと思ってしなさいということですね。
世話をすると、とにかく大きな功徳になるということです。
今はそういう世話をする仕事がありますね、そういう人はお金を戴きますわね。
お金は戴くけれども、同じようにお金を戴いて仕事をするにも、仏様が見て冥加の良い仕事と、冥加の悪い仕事があると。
そういう仕事は非常に冥加の良い仕事ですね。
「病い増す時、退く時良く是を知り、また、是の如きの食、薬は能く病苦を除く事を知り、病者若し病を増すの食、薬を求めなば応さに方便して論し語るべし。」
これは昔のことに、お医者さんが少ないですから、一般の人でも堪能な人であれば、その気があれば、ちょっとでも病人さんに世話をするという時代だったんですよね。
― 善 生 経 ―
九、
「病者、看病の人の言を用いず、看病の人病者の意に違うは共罪有り。」
病人さんの言うことを聞かないで、勝手なことばかりする。
私は看病してあげてるんだから、私の言うことを聞きなさいと言うて自分のことばっかり言う人。
病人さんは病人さんで、無理なこと言う。
これは共にいかんということですね。
そうは言っても現実は、病人さんにばかりかかってられませんわね、仕事もあるしね。
だからどうしてもおろそかになりますね。
そうすると病人さんは、ほったらかしにしてと、言うしね。
そういうような気持ちが起こるんじゃないかなと思いますがね。
作品名:和尚さんの法話 『仏教の説く道徳』 作家名:みわ