真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』
例えばこんな奇っ怪な日常
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雪が降っている。降りしきるその一粒一粒が結晶の形をしていて、いくら見ても俺を飽きさせることはない。絶え間なく降り続く雪は、全く融けずに着ていたベージュのコートを白く染め上げる。俺がそれらを手で払うと、それらはまるで花びらのように辺りを風に舞って落ちていった。
俺は息を吐く。真っ白な煙が現れては消えていく。今度はそれを掌に吹きかける。手袋を忘れてすっかり真っ赤になった手を温かい温度が包む。しかしそれも一瞬だ。十二月の外気の中で手袋をつけずに過ごすのは些か厳しいようだ。だから俺は両手をコートのポケットの中にしまい込んだ。
電車を待っている人がいる。この寒空の下、みんなが一様に身体を縮こませている。駅は周りの道路よりも一段高くなっている石の床と、ガラスでできた簡素な屋根が取り付けてあるだけだ。駅の端から端まではバス一台分くらいの長さしかない。そんな小さな駅で子供からお年寄りまで多種多様な人々が市電、いわゆるチンチン電車を待っているのだ。その列の中に俺も加わる。そしてみんなと同じように寒さに縮こまる。
右手から電車がやって来る。俺はそれに乗り込んだ。平日のこの時間にしてはなかなかの混み具合だ。流石にこの寒さで外を歩くのはみんな億劫なのだろう。それは俺とて同じだった。学校から家までの距離は正直たいしたことはない。歩けば十五分程度で着いてしまう。だけど今日の俺はそんな気力すらなかった。家に続くあの坂道を登るためにもできるだけ無駄な浪費は避けたかった。
二駅目で俺は降りる。ほんの五分程度の電車旅であった。俺は車道をそそくさと横切ると、自宅がある山の方を見つめた。観幌山はここ観(み)幌(ほろ)市(し)の中でもそれなりに標高の高い山だ。上から眺める夜景はまさに絶景だ。その観幌山に行く途中にある丘の上に現在の俺の自宅がある。麓からは急勾配になっており、登るのはそれなりに辛い。初めてこの坂を見た時は思わず憂鬱になってしまったものである。
俺は一度大きく溜息をつくと、諦めたように足を一歩ずつ踏み出す。坂の途中には他にも何軒も家々が立ち並んでいる。俺はこんな寒空の下、家の付近で世間話をしている大人たちには一切目もくれず黙々と坂を登っていく。雪が降り積もっているせいで足が何度もとられそうになったが、俺はなんとか踏ん張って堪えた。
数分後、ようやく俺の目が自宅を捉える。しかし俺は決して安堵したりはしない。なぜなら、俺にとってこの家は決して馴染みの深いものではないからだ。まだ暮らし始めて一週間も経っていないこの家を我が家と呼ぶのはかなり抵抗があった。
俺は家の前に立って改めて自宅を眺める。とにかくデカイという感想しか出てこない。まるで明治期の洋館のような豪勢な佇まいに、やたらと大きい門。俺にとって何もかもがケタ違いだった。俺は家の門を開けようとする。しかしそれをある人物が遮った。
「よう、秀、であってるよな……? お前に言われてたあれ、持ってきてやったぜ。この寒空の中な。あとついでにいいものも持ってきてやったぞ。ちょっとは感謝しろよ」
俺は声の主に振り返って言う。
「おお、宏也。わざわざサンキューな。ホント助かるぜ」
俺はいつも通りの感じで切り返す。しかし宏也はどことなく複雑そうな顔をしている。
「この前会った時もそうだが、やっぱり慣れないなその見てくれは……。そんな美少女の外見で、そんな言葉づかいされたら違和感しかねえよ」
宏也は相変わらず苦笑いしている。それはそうだろうな。これまで十年近く仲良くしていた親友が、突然女の姿で現れたら誰だって動転するだろう。それでもこいつは心が広い方だ。俺のことを結構あっさり信じてくれたんだからな。
「慣れねえのはお互い様だ。俺だってどうしていいのか分かんねえんだからな。それよりもこっちのもありがとうな。ちゃんとつまみも入ってるなんて、流石宏也だな」
そう言うと俺は宏也から大きめの鞄とコンビニの袋を受け取った。コンビニの袋の中には見慣れた銀色の缶と、それによく合うつまみが入っていた。俺はそれを誰にも見つからないようにそそくさと学校の鞄の中にしまい込んだ。
「別にそっちの金はいらないから、てめえの身体を貸してくれよ。女の部分がどうなっているのか、俺は凄く興味がある」
宏也の顔が一転して変態チックになる。俺は思いっきりやつの頭を叩きながら言った。
「馬鹿かおめえは。男なんぞにこの神聖な身体を汚されてたまるかってんだ。金ならやるからさっさとどっかいけよ」
俺はシッシと追い払うように手を振る。そして鞄から財布を取り出し、千円札を一枚抜き出した。
「冗談だっての、まったく。それよりもお前、そんな恰好になっちまったのに、中身全然変わってないの?」
宏也は札を受け取ると、自身の財布から五百円玉を取りだしそれを俺に渡した。
「これが不幸なことに何も変わらない。相変わらず女の子は大好きだし、男にはこれっぽっちも興味が湧かない。逆にお前みたいな男は身体が拒否反応を示して余計に近づきたくなくなっちまったよ」
「ホント、不思議なこともあるもんだな。それにしても、お前がいきなりそんな恰好でやって来た時はビックリしたぞ。俺にはそんな美少女の友達なんていませんって言ったら、お前俺の秘密をいきなり語りだすんだもんな。そりゃ信じざるを得ないっていうの……」
宏也はまたしても苦笑いをして言った。この三井宏也とは小学校以来の親友で、同時にオタ仲間でもある。大学では学部は違えど、しょっちゅうお互いの家を行き来してオタク談議に花を咲かせたものだ。まあ今はそれすらも叶わなくなってしまっているが。
そんなことをあれこれと考えていると、宏也が辺りに響くくらいに大きいくしゃみをした。
「おいおい、寒いんだからもう帰った方がいいぞ。呼び出した俺が言うのもなんだが……」
「ああ、そうさせてもらうよ。また何か困ったことがあったら言ってくれ。それなりに力にはなってやるからさ」
そう言うと宏也はさっさと走り去ってしまった。俺はあいつがいなくなっていく方をぼうっと眺めた後、ようやく自宅の門を押し開け中へと入っていった。
「秋穂お嬢様、お帰りなさいませ」
「ああ、うん、ただいま」
帰って来るなりメイドの原さんが俺に挨拶をしてくれたので、一応挨拶を返しておく。そして俺はそのまま二階の自室を目指した。サッとした身のこなしで部屋の中に駆け込むと、ドアの前にへたり込むように座った。今日は何かと疲れた。なにせ一ノ瀬秋穂として初めて高校に登校したのだからな。
俺は電気をつけると部屋を見回した。見事に殺風景な部屋だった。壁紙こそ綺麗なグリーンだが、それ以外はベッドと勉強机がある以外何もなかった。女子高生にありがちな、可愛らしいぬいぐるみも、アイドルのポスターもなかった。そして俺にとっては必須であるはずのパソコンもなかった。他のものはともかくパソコンがないのは俺にとって死活問題だった。
俺は宏也から預かった鞄を開ける。その中には今の俺にとって最も大事なものが入っていた。
「待ってました」
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雪が降っている。降りしきるその一粒一粒が結晶の形をしていて、いくら見ても俺を飽きさせることはない。絶え間なく降り続く雪は、全く融けずに着ていたベージュのコートを白く染め上げる。俺がそれらを手で払うと、それらはまるで花びらのように辺りを風に舞って落ちていった。
俺は息を吐く。真っ白な煙が現れては消えていく。今度はそれを掌に吹きかける。手袋を忘れてすっかり真っ赤になった手を温かい温度が包む。しかしそれも一瞬だ。十二月の外気の中で手袋をつけずに過ごすのは些か厳しいようだ。だから俺は両手をコートのポケットの中にしまい込んだ。
電車を待っている人がいる。この寒空の下、みんなが一様に身体を縮こませている。駅は周りの道路よりも一段高くなっている石の床と、ガラスでできた簡素な屋根が取り付けてあるだけだ。駅の端から端まではバス一台分くらいの長さしかない。そんな小さな駅で子供からお年寄りまで多種多様な人々が市電、いわゆるチンチン電車を待っているのだ。その列の中に俺も加わる。そしてみんなと同じように寒さに縮こまる。
右手から電車がやって来る。俺はそれに乗り込んだ。平日のこの時間にしてはなかなかの混み具合だ。流石にこの寒さで外を歩くのはみんな億劫なのだろう。それは俺とて同じだった。学校から家までの距離は正直たいしたことはない。歩けば十五分程度で着いてしまう。だけど今日の俺はそんな気力すらなかった。家に続くあの坂道を登るためにもできるだけ無駄な浪費は避けたかった。
二駅目で俺は降りる。ほんの五分程度の電車旅であった。俺は車道をそそくさと横切ると、自宅がある山の方を見つめた。観幌山はここ観(み)幌(ほろ)市(し)の中でもそれなりに標高の高い山だ。上から眺める夜景はまさに絶景だ。その観幌山に行く途中にある丘の上に現在の俺の自宅がある。麓からは急勾配になっており、登るのはそれなりに辛い。初めてこの坂を見た時は思わず憂鬱になってしまったものである。
俺は一度大きく溜息をつくと、諦めたように足を一歩ずつ踏み出す。坂の途中には他にも何軒も家々が立ち並んでいる。俺はこんな寒空の下、家の付近で世間話をしている大人たちには一切目もくれず黙々と坂を登っていく。雪が降り積もっているせいで足が何度もとられそうになったが、俺はなんとか踏ん張って堪えた。
数分後、ようやく俺の目が自宅を捉える。しかし俺は決して安堵したりはしない。なぜなら、俺にとってこの家は決して馴染みの深いものではないからだ。まだ暮らし始めて一週間も経っていないこの家を我が家と呼ぶのはかなり抵抗があった。
俺は家の前に立って改めて自宅を眺める。とにかくデカイという感想しか出てこない。まるで明治期の洋館のような豪勢な佇まいに、やたらと大きい門。俺にとって何もかもがケタ違いだった。俺は家の門を開けようとする。しかしそれをある人物が遮った。
「よう、秀、であってるよな……? お前に言われてたあれ、持ってきてやったぜ。この寒空の中な。あとついでにいいものも持ってきてやったぞ。ちょっとは感謝しろよ」
俺は声の主に振り返って言う。
「おお、宏也。わざわざサンキューな。ホント助かるぜ」
俺はいつも通りの感じで切り返す。しかし宏也はどことなく複雑そうな顔をしている。
「この前会った時もそうだが、やっぱり慣れないなその見てくれは……。そんな美少女の外見で、そんな言葉づかいされたら違和感しかねえよ」
宏也は相変わらず苦笑いしている。それはそうだろうな。これまで十年近く仲良くしていた親友が、突然女の姿で現れたら誰だって動転するだろう。それでもこいつは心が広い方だ。俺のことを結構あっさり信じてくれたんだからな。
「慣れねえのはお互い様だ。俺だってどうしていいのか分かんねえんだからな。それよりもこっちのもありがとうな。ちゃんとつまみも入ってるなんて、流石宏也だな」
そう言うと俺は宏也から大きめの鞄とコンビニの袋を受け取った。コンビニの袋の中には見慣れた銀色の缶と、それによく合うつまみが入っていた。俺はそれを誰にも見つからないようにそそくさと学校の鞄の中にしまい込んだ。
「別にそっちの金はいらないから、てめえの身体を貸してくれよ。女の部分がどうなっているのか、俺は凄く興味がある」
宏也の顔が一転して変態チックになる。俺は思いっきりやつの頭を叩きながら言った。
「馬鹿かおめえは。男なんぞにこの神聖な身体を汚されてたまるかってんだ。金ならやるからさっさとどっかいけよ」
俺はシッシと追い払うように手を振る。そして鞄から財布を取り出し、千円札を一枚抜き出した。
「冗談だっての、まったく。それよりもお前、そんな恰好になっちまったのに、中身全然変わってないの?」
宏也は札を受け取ると、自身の財布から五百円玉を取りだしそれを俺に渡した。
「これが不幸なことに何も変わらない。相変わらず女の子は大好きだし、男にはこれっぽっちも興味が湧かない。逆にお前みたいな男は身体が拒否反応を示して余計に近づきたくなくなっちまったよ」
「ホント、不思議なこともあるもんだな。それにしても、お前がいきなりそんな恰好でやって来た時はビックリしたぞ。俺にはそんな美少女の友達なんていませんって言ったら、お前俺の秘密をいきなり語りだすんだもんな。そりゃ信じざるを得ないっていうの……」
宏也はまたしても苦笑いをして言った。この三井宏也とは小学校以来の親友で、同時にオタ仲間でもある。大学では学部は違えど、しょっちゅうお互いの家を行き来してオタク談議に花を咲かせたものだ。まあ今はそれすらも叶わなくなってしまっているが。
そんなことをあれこれと考えていると、宏也が辺りに響くくらいに大きいくしゃみをした。
「おいおい、寒いんだからもう帰った方がいいぞ。呼び出した俺が言うのもなんだが……」
「ああ、そうさせてもらうよ。また何か困ったことがあったら言ってくれ。それなりに力にはなってやるからさ」
そう言うと宏也はさっさと走り去ってしまった。俺はあいつがいなくなっていく方をぼうっと眺めた後、ようやく自宅の門を押し開け中へと入っていった。
「秋穂お嬢様、お帰りなさいませ」
「ああ、うん、ただいま」
帰って来るなりメイドの原さんが俺に挨拶をしてくれたので、一応挨拶を返しておく。そして俺はそのまま二階の自室を目指した。サッとした身のこなしで部屋の中に駆け込むと、ドアの前にへたり込むように座った。今日は何かと疲れた。なにせ一ノ瀬秋穂として初めて高校に登校したのだからな。
俺は電気をつけると部屋を見回した。見事に殺風景な部屋だった。壁紙こそ綺麗なグリーンだが、それ以外はベッドと勉強机がある以外何もなかった。女子高生にありがちな、可愛らしいぬいぐるみも、アイドルのポスターもなかった。そして俺にとっては必須であるはずのパソコンもなかった。他のものはともかくパソコンがないのは俺にとって死活問題だった。
俺は宏也から預かった鞄を開ける。その中には今の俺にとって最も大事なものが入っていた。
「待ってました」
作品名:真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』 作家名:遠坂遥