怠慢探偵(1/4)
そこからはあっという間の出来事だった。名前は失念したが、今日暇なのが自分しかいなかったために一人で番をすることになったという不運な三年生の先輩は「何か大学創立当時からあるらしいけど今は何の内容もないサークル」ということと、「三年生は少し忙しいからこの先適当にこの教室使って好きに遊んでいいよ」ということ、「あ、一応署名だけよろしく」の三点を告げ、教室を去って行った。……と思った矢先、再び姿を現して数種類の駄菓子を俺たちに放り投げ、「僕からの入部記念」と言い残すと今度こそ姿を俺たちの前に見せなくなった。
期待、失望、喜び、様々な感情が脳内にはびこる前にただただ戸惑いの表情を浮かべる俺たち。何が何だか分からないまま俺たちは伝統あるサークルを乗っ取る形になってしまったのだ。
そして時は今、十月に戻る。
「あーくそ、マイナス五千かよ」
「はっはー。ざまあっ」
「いいから早く回せよ」
最初の戸惑い、ついでに田中のサークルに対する情熱もすっかりと消え失せ、先輩のお言葉に甘えて怠惰な遊びに享受していた日々。夏休みに入り活動は休止していたが、新学期初日ということで久しぶりに教室の棚に積みっぱなしの人生ゲームに興じていた。
教室には誰も使わないことをいいことにトランプやら将棋盤やら、様々なボードゲームが置かれている。時には普段行動を共にする岡田と田中以外の友人……すなわち部外者も来たりする。
人生ゲームのマップ上で政治家になったはずが気が付けばジャングルを彷徨っている俺のコマに顔をしかめながらルーレットを回す田中の不運を願う。そんなしょうもない時間を過ごしているときに事件は舞い込んだ。
今思えば俺の迷走するコマはこれからの俺の奔走っぷりを予知していたのかもしれない
「探偵サークルの皆さんですかっ!?」
突如ドアを開けて叫び声に近い問いかけと共に入り込んできたのは女子生徒だった。
茶髪のショートボブの良く似合う活発そうな顔つき。しかし今はその顔が不安に染まっている様子だった。
突然の来訪者に三人そろって面喰うことしか出来ず、四人の間に間抜けな沈黙が漂う。
来訪者である女子生徒もあまりにも唐突すぎたと自分で気づいたのか、バツの悪そうな顔を一瞬浮かべて改めて切り出し始めた。
「ごめんなさい、私、二年の夏目加奈っていいます。実は家の猫がいなくなって、捜索を頼みたくて!でもこれからバイトがあって時間無くて……ああもう!明日のこの時間必ず来ます!よろしくです!」
「え……あ、ちょっ」
嵐が平穏な探偵サークルを襲った。息つく間もなく言いたいことだけを言って去って行った夏目加奈という女子生徒……というより先輩は、とりあえず何のキャリアも実力もない俺たちに淡い期待を抱いているということは間違いなさそうだ。
時間にして一分未満。平穏無事な生活を堪能していた俺たちに一種の天罰かどうかは知らないが、厄介事が舞い降りてしまったのであった。
「頼む!」
「嫌。面倒くさい」
翌日の講義と講義の合間の休み時間。俺は一人の同級生に頭を下げていた。平凡な日常に生じた珍しい出来事に退屈を持て余した同級生たちが何事かとざわつき始める。
「……もう。あなたのせいだからね」
「ぐ、すまん」
周囲の視線を鬱陶しそうに一瞥した後、鋭い視線で俺を睨みつけるこの女子生徒は「氷室雪乃(ひむろせつの)」。岡田と同じく小学生以来の幼馴染的存在である。もっとも氷室とは小学生の時に一、二回中学時代は0回。
高校時代の最後の二年間。計三、四年程度しか同じクラスになったことはない上に、そこまで仲が良かったわけでもない。高校三年の時は同じ委員会に所属していたような気もするが。
講義室の照明を浴びても少しも茶色が除くことのない純粋な黒髪。前髪は眉のあたりで切りそろえており、後ろは腰に届きそうなくらいの長さ。すらりとした鼻。身長は平均的で、服装は薄緑のシャツの上に黒のテーラードジャケット。下は薄桃色の膝丈プリーツスカート。顔立ちは美人といっても差し支えないが、いかんせんその大きい細いの問題ではなく、三白眼ともいえる鋭い目つきが台無しにしている。名前の通り冷たい印象を目元だけで与える女だ。まぁ実際冷たい性格ではあるが。
何故この衆目の中俺が彼女に頭を下げているかというと、実はこの氷室が探偵サークルのもう一人の部員であるから。である。
あの日呆然とする俺たちが教室に残ってこれからの活動に不安を抱いていると、この氷室が部室に入り込んできた。どうやら物好きな入部希望者の一人だったらしく、署名まではしたが俺たちに活動内容を説明されるとあきれ返ったようにため息をつき(気持ちは分かるが)その後活動に参加することは二度となかった。
しかし今回の非常事態。ましてや相談者が女ということもあり、同性である氷室の力が必要だと判断した俺たち三人は、もめにもめた後、一番氷室と話したことのある俺が増援希望係に抜擢されたのであった。
しかし俺も引き下がるわけにはいかない。必死で頼み込むこと五分。いい加減周囲の反応にも辟易したのか、ジュース一本で手打ちとなった。この状況を打破できるなら安いものである。
そして放課後、埃っぽい教室を簡単に掃除したのち、相談者と俺たちとで対面になれるように机を配置して固唾をのんで待つこと数分。夏目先輩は現れた。……お供を三人引き連れて。
「おい加奈。絶対無駄だってー。俺たちだけでやろうぜ」
先頭をきる夏目先輩の次に続いて入ってきたのは白のシャツにジレベスト。ミディアムショートの茶髪と最近の大学生らしい風貌をしたイケメン男。俺たちに聞こえる大きさの声で夏目先輩に失礼なことを呼びかけている。
「まぁまぁユーイチ。探偵だぜ探偵?おもしろそーじゃねーか」
イケメン男をたしなむように笑い飛ばす男。イケメン男もそこそこの高身長であるのだが、この男はさらに身長も高く体つきも大きい。巨漢と一言にしていえばうちの田中も当てはまるが、贅肉で構成された田中とは違い主に筋肉で構成されているなんともたくましい男だ。黒の短髪がゴツゴツとした顔立ちによく似合っている。
「二人とも、うるさい」
最後に男二人を静かに一括しながら入ってきたのは夏目先輩より少し暗めに茶色に染めた髪に軽くパーマを当てた女。
表情には少し影があるようだが、低めの身長と大きな目から小動物のような可愛らしさを放っている。
三人の名前は、イケメン男が「冬木雄一」筋肉男が「秋元浩太」小動物系先輩が「春野玲奈」というらしく、夏目先輩を合わせた仲良し四人グループらしい。
一人を不安に感じた夏目先輩が連れてきたようであったが、それは俺たちの大きな誤算であった。正直状況によっては氷室をけしかけて夏目先輩の頼みを断ろうと考えていた俺たちであったが、冬木先輩に秋元先輩。この気性の荒そうな二人の先輩を見ると、とても協力しませんとはいえそうになかった。
「……お待ちしておりました」
引きつった笑顔のまま出迎える俺。どうしてこうなった。
「えーと、まとめますね」
話しを聞くこと三十分。メモ帳に雑然と書かれたキーワードを参考にたどたどしく状況整理を開始することになった。冷や汗が止まらない。