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和尚さんの法話 『衆生仏を憶念すれば仏も亦衆生を憶念し給う』

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それでもう有り難い、弘法さんが守ってくれて
るんだと思って、道に立ち止まって手を合わせ
て拝んだそうです。
そして自分の家が近付いてきたら、或るところ
でその影は消えた。
家まで送ってきてくれたんですね。
この場合は影でしたが、若しも追いはぎが襲っ
てやろうとして何処かで見ていたとすると、影
ではなく姿を見せたと思うんです。
姿を見せることは出来るんですからね。
其の人には見せなくても、追いはぎには見せる
ことができる。
そういうことがあるんですよ。
影まで映して家まで送ってくれるというのは、
その人の信仰がかなり深いですね。
だから衆生仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶
念し給う。ですね。
弘法大師は、千年前に亡くなった歴史上の人物
ですから、霊魂ということになりますね。
やっぱりいらっしゃるということですね。
この方もそうですが、私も実際に弘法大師さん
を見てますから、神仏は存在するということで
す。

和尚さんが或る日に弘法大師の夢を見たそうで、
場所は寺の在所で昔のことですから田んぼがあ
った。
その田んぼは稲を刈ったあとの田んぼで、子供
が遊びますね。そういう場面だそうです。

子供が大勢その田んぼで遊んでいるのを和尚さ
んが遠くでそれを見ていたんですね。
すると子供たちが、おおい、弘法さんが来たぞ
うと言ってるんです。
それで和尚さんは、弘法さんが来たのかと、そ
れはお目にかからないといかんと。

子供の中へ走っていって、すると弘法さんが向こうから雲
水帽をかぶって、錫杖をついて、脚絆の姿で来るんだそう
です。
そして向かい合って、弘法さんでいらっしゃいますかと言
うと、雲水を上げて、先生、昨今の景気はどうですかとお
っしゃったそうです。

景気というのは、法の景気ですね。経済の景気ではない。
先生というのは、その頃和尚さんは大学で先生をしてまし
たからね。
そういわれて、感極まって何も言えなかったそうです。
そういう夢を見たそうです。

そういいますと、私も弘法大師にお会いしたときは感極ま
って、悲しくもないのに涙が溢れてきましたから。
その気持ちはよくわかります。
お地蔵さんの廻りには子供が大勢いますけど、弘法さんも
やっぱり子供を守ってくれているんだなと思いますね。


或る知り合いの方ですが、門徒さんでしたが和尚さんの知
り合いということで、参って欲しいというので毎月参って
いたそうです。

それでそのお宅の小さい子供さんが亡くなって、そして門
徒さんですから向こうの寺で葬式をされて、あとの中陰も
きっちりされた。

和尚さんは、その一日前に日を外して参ってたそうです。

その中陰中の幾日目のときに、そのお婆さんが和尚さんの
ところへ来て、子供はお地蔵さんにご縁があるといいます
ので、一度このお地蔵さんの前で。
お地蔵さんに拝んでやってほしいというのです。
それで地蔵堂で拝んだんです。

すると、お地蔵さんが出て来られて、それが和尚さんの寺
のお地蔵さんと違っていたそうです。
それでそのお地蔵さんの脇には子供がいっぱいうろうろし
ているんですね。
するとお地蔵さんは、袂からなにかを出して子供にあげて
るんです。

何をあげてるのかとじっと見てみますと、しるこの粉をき
んちゃくのような袋に入れたものをあげてるんですね。

それで和尚さんは、これはきっとこのお地蔵さんにこれを
供えたんだろうなと思ったんですね。
それでお勤めの後に、そのお婆さんに、何処かのお地蔵さ
んに、おしるこの包んだお菓子をお供えなさいましたかと
聞いたんですね。
そのお菓子は、何時かの日に近所の人が沢山呉れたのでお
地蔵さんにお供えしましたと。

そこのお爺さんが、いつも清水さんへ参ってたんです。
その清水さんの何処かにお地蔵さんがいっぱい集まってる
ところがあるそうで、沢山頂いたので、孫に供えてくれた
お菓子なのでそれをお地蔵さんに供えるというのは勿体な
いことだけれども、孫が病気のときから拝んでいたお地蔵
さんなので、寿命が無くて死んだけれども、そのお地蔵さ
んに供えてきたというのです。
そのお話しを聞いて、和尚さんはそれだなと納得したんで
すね。

和尚さんは一日前にお参りしているので、そのお菓子は次
の日に供えてるんですよね。
だから和尚さんが行った日には無いわけだから知らない。

次の日が本当の中陰ですから、その中陰の日に誰かがお供
えにといってたくさん呉れたんですね。
だから出てきたお地蔵さんは、清水さんのお地蔵さんだっ
たんですね。
そのお地蔵さんが、子供にあげてるんですね。

それから、話はいろいろになりますけれども、お地蔵さん
に食べ物だけじゃなくて、おもちゃをお供えしますね。

水子地蔵さんによく風車とかお供えすることがありますね。
あれはお地蔵さんに、この風車を子供に届けて下さいとい
う意味なんですよ。

お地蔵さんがおもちゃで遊ぶわけではないのです。
だからお供えしたおもちゃと同じものがあの世で現れるの
です。
そういう意味で、あのよだれかけもそうです。
お地蔵さんが、よだれを垂らすのと違いますからね。

あの世へ行った小さい子供がよだれを垂らすので、お地蔵
さんにお願いしてどうか子供に届けて下さいと言う意味で、
よだれかけをしてあるのです。
そういう気持ちでしないといけませんね。
そういうご慈悲をね、お地蔵さんがこうしてくれる、観音
さんがこうしてくれるということを知らなきゃいけません
ね。
何でお地蔵さんがよだれかけをしてるのかなと、思いなが
らやってるんじゃないかと思うのです。


浄土宗や時宗の本尊は阿弥陀様ですが、阿弥陀様によって
極楽へ往生させて頂くということです。

「衆生仏を憶念すれば仏も亦衆生を憶念し給う」というの
は、お経のなかの一説だったと思います。

兎に角、信心というものは、あの世があってのことですね。
お地蔵さんが存在する、観音さんが存在する、阿弥陀様が
存在する。そしてその方に救われましょうという形なんで
すね。
ところが我々の一般の方々は、この世のことが主ですわね。
仏教の建て前は、あの世が本来なんです。

あの世の救いが本来の救いなんです。
それが分からん者は、せめてこの世のことでも、というこ
となんです。
この世のことはいくら助けてもらっても命ある間だけのこ
とですよね。
病気で、どうぞ助けて欲しいというて治ったけれども、永
久に死なないのかというとそうではない。必ず死ぬんです。
この世のことは一時のことですね。
だからそれは本当の仏教の狙いじゃなくて、永遠に救うて
頂く。

皆さんは、あの世へ行きたくない、この世が結構だと思っ
ているんじゃないでしょうか。
死にたくない。死にたくないと。
あの世のほうがいいようですよ。だから阿弥陀様や観音様
はこの世へ出てきませんでしょ。
たまに出てくるけど、それは救いのため。

お釈迦様もこの世へ出てくることはないんですが、この世
へ仏教というものを広めて衆生を済度、救わんならんから
ということでお生まれになっていますけれども。
観音様やお地蔵様は最早この世へ出てきません。