和尚さんの法話 『衆生仏を憶念すれば仏も亦衆生を憶念し給う』
然し、あれは巳さんじゃなくてお稲荷さんだと
思いますと。
お稲荷さんと巳さんと一緒に思う人があります
から、所でそこへはお参りなさいますかと。
全くお参りはしていませんと。
その山も草ぼうぼうで、かき分けて行かんなら
んほどぼうぼうですと。
それはいけませんよと。
やっぱり山を守って貰おうと思うて神さんを祀
ったんだから、お参りしないといけませんと。
参りに来なさいというお知らせであろうと思う、
リュウマチと違うと思いますと。
お参りしなさいと言ったんですね。
毎月法話の会がありますから、翌月また来て、
またその話しになった。
どうですか治りませんかと。
治りませんと。
お参りはしましたかと。
参りました。
どのくらい参りましたか。
一遍参りました。
一遍だけじゃね。
一遍と言わず、再々参りなさいと。
運動にもなりますがな。
そしてまた翌月来た。
そしたら治りましたと。
それっきり治ってしまったそうです。
それから、その弟さんが寺へ来たそうです。
姉がお世話になりましたと。
それで和尚さんは、あれはお稲荷さんだと聞き
ましたが、あれはお稲荷さんですかと。
すると弟さんは、いいえあれはお稲荷さんと違
います、巳さんですと。
お姉さんはお稲荷さんだと言ったけど、弟さん
は巳さんですと言った。
やっぱり和尚さんが見たとうり巳さんだったん
ですね。
では何故その姉さんがお稲荷さんだと言うたのか。
其の山へ初めて巳さんを祀ったとき、神さんの行
者さんに来てもらってそこでお勤めをして、お魂
を入れたんです。
そのときにその行者さんがお社を見て、ちょっと
前の方が寂しいので、お稲荷さんのキツネの置物
を置きなさいと言ったんです。
それはおかしいのと違いますか、巳さんを祀って
るのにお稲荷さんを前へ置くのですかと。
すると行者は、神さんはそんなことは拘らないか
らいいんだと。
行者の言うことだからそれで間違いないんだと思
って、キツネを買ってきて置いたんですね。
だから知らない人が見たらお稲荷さんだと思いま
すよね。
だから姉もあれはお稲荷さんだと思ってるんで
すが、あれは巳さんなんですと。
やっぱり巳さんだったんだなということです。
これも和尚さんが見たことと実際が合ってます
から病が治ったんですね。
これも同じことで、神さんは参りに来なさいと
呼んでるんですね。
その弟さんは和尚さんのところへ来ませんから、
姉さんについていたら和尚さんが見ると。
そこまで考えてるんですね。
次は神さんのことじゃなくて先祖のことですが。
これは和尚さんは誰かに聞いた話ですが、或る
禅宗の坊さんが、神経痛になったんですね。
神経痛ですが、それは神経痛ではないんですが、
神経痛のような痛みがきた。
それが不思議なことに、その人は、午後一時な
ら午後一時になると痛みがきて、そして一時間
か二時間痛み、そして時間が過ぎるとすっと痛
みが消える。
それでもう治ったかなと思ったら、あくる日の
一時になったら痛む。
そして治って、あくる日の一時になったら痛ん
で、また消える。
おかしいなと思いますね。
こういうおかしいなというのが問題なんですね。
その禅宗の坊さんというのはそういうのをおか
しいとは信じないのですが、その坊さんは信じ
ていたらしいのです。
そして或る行者さんのところへ訪ねていって、
お伺いをしたんです。
そしたら、そこの家の先祖のお墓が移転しかか
ってると。
その先祖は、いまの墓の場所が気に入ってると
いうのです。
移転しないようにして欲しいんだということを、
その行者さんが言うたというのです。
そしてその坊さんは、その先祖は遠い先祖だと。
もっと近い親戚があるんだと。
自分は遠い先祖なんだと。
何故近いところへ行かないんだというと、近い
先祖は信仰が無いから気が付かないから。
坊さんは遠い先祖になるけれども、その坊さん
に憑いていたらきっと分かってくれるからと、
そう言ったというのです。
その墓は九州にあるというのですよ。
だったら九州にも親戚はあるはずですね。
だけども分かってくれるところへ憑くのです。
それで九州へ連絡をすると、その寺の墓のところ
に都市計画が起こってるんですね。その墓地も都
市計画に入ってるわけです。
その一部を移転せんならんことになってきたんです。
それでその先祖の墓が、親戚にも連絡をとって、
移転しなくても済むのだったらそうしてもらい
たいのだと。
そうして話し合いをして移転しなくてすむよう
になった。
するとその病もすっと治ってしまったんです。
これは先祖が知らせたんですね。
そういうことがあるわけなんです。
先祖は神さんや仏さんとは違うけれども、先祖
は先祖であの世へ行ったら、ああして欲しいこ
うして欲しいということがいろいろあるわけで
すね。
また或るお客さんが訪ねて来られて、その方は
志賀の農家のおばさんで、終戦後は食べる物が
無くて皆困ったそうですが、そこは農家ですか
ら、京都へ闇米を売りに来て、そして生計の足
しにしていた人だそうです。
何かのことで和尚さんに相談に来たそうですが、
その相談のことは忘れたそうで、いろいろ話を
して信仰の話しになった。
そしてそのおばさんの言いだしたことが、駅か
ら在所まで一里か一里半くらいの距離があるそ
うで、京都へ米を売りにきてついでにいろいろ
買い物もしますね。
そして帰るときに終のバスに乗り遅れると家ま
で歩くことになるわけです。
そうなると、お金は持ってるし女やし、終戦後
というのは危ないときですからね、着物でもは
ぎ取られたという時代ですから。
だから何時もバスへ乗り遅れたらいかんと何時
も注意をしていたんだけど、或る日のことに乗
り遅れてしまった。
駅で寝ていても危ないし、仕方が無いけど歩い
て帰るしかないわけです。
そのおばさんは弘法大師を信仰しているので、
南無大師遍照金剛と称えながら歩いた。
その夜は月夜の晩で、後ろから影が映ってるん
ですね。
そしてひょっと、影を見ると、自分の影の横に
もう一つ影がある。
その瞬間、これはもう強盗が来たと思ったそう
です。
ところが声もかけない手もかけてこない。
それであれっと思って、後ろを見ると誰も居な
い。
そしてまた前を見直すと影がある。
よくこういう話を聞いたことがあるかと思うの
ですが、タクシーが客を乗せて、ルームミラー
で客を見ると、映っていない。
後ろを向いて見ると乗ってるんです。
鏡に映らないんですね。
それで或るところで降ろしてほしいというので
降ろして、或る家へ入っていったが、何時まで
たっても戻ってこない。
お金を貰っていないからその家へ行って聞いて
みると、そんな人は来ませんという。
こういうような話しはよく聞きますね。
この場合もそんな話ですね。
後ろを向いても影も姿もない。
ところが前には影がある。
だんだんその影が近付いてきて、よく見ると衣
を着てるんです。
すぐに弘法大師さんだなと思ったそうです。
その影が、自分の影より薄かったそうです。
自分の影は濃く映ってるけど、その影は薄く映
っていた。
作品名:和尚さんの法話 『衆生仏を憶念すれば仏も亦衆生を憶念し給う』 作家名:みわ