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和尚さんの法話 『衆生仏を憶念すれば仏も亦衆生を憶念し給う』

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そういうふうに我々が信仰を持っていれば必ず
見守ってくれるんです。


和尚さんの経験では、初めて行くお宅で拝んで
いると、弘法大師が出てきたり仏様や神様が出
る場合もあるそうです。

そういうお宅は必ず信仰があるか、先祖に信仰
があった人がいるかだということだそうで、見
守っているということです。

お勤めが済んで、奥さんがお茶を出してくれた
とき、お宅は弘法さんを信仰してるんですかと
お聞きしますと、奥さんはいいえとおっしゃる。
そこへご主人が来たので、和尚さんが今こう言
いましたと。
すると御主人は、それは家の親父だと。

奥さんはその親父さんが死んでから来てるんで
すね、だから知らない。
自分は信仰は無いけど、親父は信仰が深かったと

特に弘法大師さんを信仰していたと。

近所の人を集めて大師講というのを作って、自
分が施主になっていたんだと。
毎月二十一日に家へ必ず集まって、ご詠歌を挙
げたりお数珠を繰ったりしていたと。表へ提灯
まで吊って。

ところが親父が死んでから自分は信仰がないの
で止めてしまったんだと。

今の人は信仰はしてないけど、先代が信仰して
いたので、その家はやはり弘法さんと縁がある
んですね。

信仰していた当人よりは、信仰していない子孫
のほうが守りが薄くなりますが、これはもう仕
方がないですね。
心が深ければ深いほど、憶念が深ければ深いほ
ど仏様の憶念も深くなる。

なんでそんな差別をするのかと言いたいでしょ
うけど、仏様は私一人を相手にしているのと違
いますからね。日本だけじゃありませんよね。

信仰している人はこの地球上の人が皆信仰して
いれば皆を守っているはずです。

そうなってくると、信仰の深い人をまず第一と、
こうなるのと違いますか。
一番深い人を一番最初にね。二番目に深い人を
二番目にとね。こうしないと平等になりません
わね。

誰を先に救うかといいますと、一番深い人を先
に救ってあげないとね。
それが平等ですわね。

そうでなければ深い人も浅い人も皆救うとなる
と、それは悪平等ですよね。
ですから深ければ深いだけのことはあるという
ことです。浅ければ浅いだけのことと、こうな
ってくるわけですよ。
だからそこの家のご主人は信仰が無いけれども、
先代が深かったので未だにその家を守られてい
る。
一旦仏様と縁がありますと、なかなか縁を切り
ませんね。
縁無き衆生は度し難しというお経がありますけ
れども、縁が無くなってしまったら救えない。

我々を救うのが仏様方の仕事ですわね。
これは考えてみますと勿体ない話ですよね。
神仏様は何をしているのかといいましたら、我
々を救うことばかりですよ。

我々だったら野球や相撲を見るとか、他にもい
ろいろ趣味がありますよね、ところが神さん仏
さんというとそんな趣味はなくて我々を救うこ
とばっかり考えているわけです。
これは勿体ないことですよね。そう思うのです。


これも同じような話しですけれども、和尚さん
の檀家さんで、もう亡くなられたのですが、そ
のお婆さんが体中に蕁麻疹のようなものがいっ
ぱい出てきたそうで、痒くて痒くてしょうがな
い。

勿論お医者さんへいって治療をするのですけれ
ども、どんなにしても治らないんですね。

そして或る日のことに和尚さんの寺を訪ねてき
て、ご祈祷をして下さいということでね。

たまたま和尚さんが居たのですぐにご祈祷をし
たんです。
そしたらお稲荷さんが出てきたんです。


「神様の守護」

そのお稲荷さんが出てきてすぐに和尚さんは思い
だしたんですが、このお婆さんの山には確かお稲
荷さんが祀ってあったなと思いだしたんですね。

それまでそのことは忘れていたそうですが、その
山を守って頂くためにお稲荷さんを祀ってあるん
です。
それは知っていたそうですが、ご祈祷するときは
そんなことは全く忘れていた。

ご祈祷してるときにお稲荷さんが出てきたので、
ああ、これはこの人の山のお稲荷さんだなと思っ
た。
ところがそのお稲荷さんは何故出てきたのか。

祀ってあるから出てきたのですけれども、これは
きっと最近お参りをしていないのではないかと。

山を守ってもらうために祀ってあるんだけれども、
最近参って無いのだろうと。
これは出てきたということは、参れというご催促
であろうと。
その知らせで湿疹が出てるんだろうと。
だからお医者へ行ったって治りません。

お前は守ってほしいと祀ったのに何故参らんのか
というて罰をあててるんと違うんです。
催促をしてるんです。何故参らんのだとね。

神さんも仏さんの延長で、我々を守ってくれるん
ですからね。
守護してやろうと思うてるんですよ。

ところが全く参りに来なければ、他のところへ先
に行かんならん。
折角山へ祀ったのに、ほったらかしではいけませ
んわね。
信仰の深い所へ行かんなりませんからね。

守ってやりたいけれども、参りに来なければ守っ
てやれないではないかと。
分からんかという知らせなんです。
怒ってるのと違います。

そう思うて聞いたんです。お宅さんの山にお稲荷
さんが御座いますね。
今そのお稲荷さんが出てきましたと。
最近、お参りなさってないのと違いますかと。
ここのところ長いこと参っておりませんと。
ああ、やっぱりそうかと。
それでね、参りなさいよと。
山を守ってもらおうと思うて祀ったのに、ひとつ
も参らない。それじゃいかんのだと。
縁が切れていく、薄くなっていくと。
だから参りに来なさいというお知らせだと思いま
すと。
お稲荷さんだから、キツネ寿司をね、お稲荷さん
というのはキツネではない。


キツネがお稲荷さんじゃないんです。
当分の間、キツネ寿司を持っていってお供えを
して拝みなさいと。
そう致しますと言って帰った。

そうして言われたとうりにしたら湿疹が綺麗に
治った。

だから和尚さんが見たこと、思うたことはその
とうりだったということですね。
だから神さん仏さんは罰はあてたりはしません
けど、愛の鞭は打つことはあります。
それとは別に、罰というのは業ですね。

業は、これはまた別です。

これは神さん仏さんは別になる、自業自得です。
自分がしたことが自分に来るんです。
神仏は関係無いです。
自分が招いてるんです、その罪をね。
それを分けて考えないといけませんね。

それと同じような話しで、これは檀家さんじゃ
ないんですが、毎月の法話を聞きに寺へ来てた
お婆さんなんですが、

お話しが済んで、質問に答えてたんですね。
その話しが、最近手が痛くてとおっしゃる。
お医者へ行くとリュウマチという。
これも長いこと治療してるけど治らない。
針屋さんへ行って針をしてもらうけど、それで
もなかなか治らない。
和尚さんがそのお婆さんの手を見ると、白い蛇
が巻き付いてるのが見えるんですね。

巳さんの霊ですね。
これはリュウマチじゃないと。
これは神さんのご催促だなと。
それでお宅に巳さんのご信心をしてますかと聞
いた。祀ってますかと。

家の弟の山にありますと。実家の里ですね。
みかん山があってそこに祀ってますと。