入道雲と白い月3
そして、雛と父兄が家に戻る日がやってきた。
雛の健康のため、というのも理由の一つだった長期滞在であったので、雛、吉城ともどもに夏休みの子供らしく日焼けで真っ黒――ということにはならなかった。
「まあ、日焼けしにくい体質ってのは解ってるんだけどさ・・・・・・」
帰りのバスを待つ間、荷物とともにバスの待合所にいた父が、子供たちを前に呆れたように呟く。兄妹して、来た時とほとんど変わらない肌色なのだ。あきれ顔で小さくため息をついていた。
ムッと、雛は言い返す。
「何よ。父さんだって真っ白じゃない。わたしたちよりずーっとさ」
「そうだよ。二人して白いのは、俺の遺伝だもん。――そういうところは母さんに似て欲しかったなあ」
「白いとだめなの? でもそんなの、わたしたちに言われても困るよ」
「まあ、まあ」
口をとがらせた雛と、それをなだめる気もなさそうに、気だるげに話す父の間に、吉城が入った。彼はまず、雛に言葉をかける。
「雛、父さんは心配して言ってるんだから、そんなに怒らないで。それに父さん、僕ら日焼けこそしてませんけど、この休み、十分満喫しましたよ」
「そうだよ。家にいるよりよく外で遊んだもん」
父に向きを変えた兄に加勢するように、その背から雛も言う。
父は一瞬きょとんとしたように瞬きをしたが、すぐにくすりと笑った。
「そうか。それなら別にいいかあ」
そして、少し考えるそぶりを見せる。
「父さんと母さんにも誘われてるし、来年は一家で来るかなあ。祭りも面白くなりそうだし」
「そうですね。僕も見てみたいです」
父兄は言い合うと、そろって雛を見る。
「ん?」
雛は意味がわからず、不思議そうな視線を返すのみだ。すると父がおかしそうに言う。
「だってほら雛、巫女さんと友達になったんだろう? なら次はいつもと違う祭りを見られそうじゃないか。今年も楽しんだんだろ?」
目を丸くして父を見ていた雛だったが、慌てて兄に視線を移す。吉城は小さく笑みを浮かべたまま、軽く頷いた。
「そう。僕が話したんだよ。母さんも知ってる。面白そうだねって言ってたよ」
「来年連れて行かないと、恨まれそうだな」
父は首をすくめ、おお怖、とささやいた。辺りをはばかるように見回す姿は滑稽で、兄妹はそろって小さく笑う。しかし妹はすぐに何かに気付いたかのように、表情を改める。
「わたしのこと話したの?」
「うん」
「・・・・・・どこまで?」
こともなげな兄を、探るように見上げた。
雛の特殊な感覚は、もちろん両親ともに承知している。昔はよく見聞きしたものをそのまま口にしていたからだが、成長とともに口にすることは減っていった。それは、見えなくなったからではなく、口にすることを憚っていたためである。兄に止められたせいもあったが「大人」というものは、そういう雛の言葉を受け入れてくれる者が少ない。そうと知ってから、何となく言いづらくなってしまったのである。
二人の反応をうかがっていた雛だったが、父はあっさりと言った。
「神様に会ったんでしょ? しかも儀式も手伝ったとか」
雛は顔を上げる。目を見開いて、まっすぐに父を見上げた。父は楽しげに笑っている。
「そんなん、めったにできることじゃないよ。すごいね雛。いい記念だ」
「――・・・・・・う、うん」
驚き、戸惑い、感動――その他よくわからない気持ちが一気に湧き上がって混ざり、雛は自分がどう思っているのか解らなくなった。仕方がないので、ただ父の言葉に頷く。
何でもないことのように言われ、拍子抜けするとともに、もの足りない気がしたことは確かだが、否定はされていない。ならどう取ればいいのかな、と雛は首をひねった。夢か現か解らない幻の人たちよりも、この父の方がわからない、と思う。
でも、そういえば――と、雛は先ほどさよならを言ってきた祖父母の家を思い出す。
帰宅する雛たちを玄関前まで笑顔で見送ってくれたのだが、この家自体も不思議なところと言えば、そうだったかもしれない。そもそも、狐の神様の話も、あの家で聞いたことなのだ。
ひょっとして、あの家や神社だけでなく、村全体が不思議な場所なのだろうか、ここは。
「あ、バス来たよ」
兄の声に、父が荷物を片手に立ち上がる。ぼんやり物思いにふけっていた雛も促されて木造りの長椅子から立ち上がった。生温かい空気と、土と草のにおいが体を包む。
家族はバスに乗り込んだ。ガラガラの車内を横切り、最後尾を荷物とともに占領する。年にしては小柄な雛は、バスのシートに一度でのりあがることができない。ドアが閉まり、バスが動き出したとなればなおさらだ。
父と兄が荷物を座席や網棚に乗せるのを尻目に、雛は座席に膝でのりあがった。するとちょうどバスの最後部の窓から、外の景色が見える。
「あっ」
声を上げ、膝座りのまま精一杯窓に近づくと、首をのばして外を見た。
停留所の傍ら、先ほどまで雛たちのいた場所のほど近くに、人が立っている。待っている間は誰もいなかったはずなのに、忽然と現れたような格好だ。
しかし雛は、それに驚いたわけではない。そこにいた人物自体に驚いたのだ。人影はふたつ。一人は見おぼえがありすぎる人で――
「左近さん!」
雛の声に、父と兄も、何事かと少女の視線を追う。
「へえ、あの人が例の・・・・・・見送りに来てくれたのかな?」
感心したように父が言うと、兄が頷いた。
「きっとそうでしょう。よかったね雛、来てもらえ――雛?」
二人のやり取りなど耳に入らず、雛は窓の外を凝視し続けている。兄の不思議そうな問いかけにも応えない。
左近の様子はいつもと違っていた。巫女の服装でも浴衣でもなく、白いワンピースを身につけている。長い黒髪はひだの大きな帽子で覆われ、束ねられていない。裾と髪が風で揺れる様は、まるでどこかのお嬢様のようだ。
けれど、雛が言葉を失うほど驚いたのは――もちろん左近の姿も驚くべきことだったが――そのせいではなかった。彼女とともにいる青年の姿が目に入ったためである。
(あの人・・・・・・昔の幻を見たときにいた――それに、お祭りの夜に見た姿も・・・・・・)
青年の赤茶色の髪は、肩に届くか届かないかで、男性にしては長い。遠目には女の人にも見えた。小柄で細身の男の人は、シャツとパンツを身につけているためか、確信をもって「幻の人」とは言い切れない。
けれど、だが、じっと眼を凝らして考える。あの金色にも見える茶色の目だけは、雛の記憶と重なった。あの人は狐の神様なんだ、と唐突に確信する。
バスの窓から見続ける雛と、見送る左近の目があった。彼女は楽しげに笑い、大きく手を振る。雛は不意を突かれて驚きつつも反射的に手を振り返す。すると、左近の隣の赤毛の男の人が、首を縦に振った。会釈をしたように見えた。
わたしにかな、と思っていると左近が男の人を小突いている。そして頭に手をのせ無理やり下へ下げさせた。体が腰から折れ曲がるほその勢いで、男の人は数歩よろける。
「え、何やってんのあの人たち」
同じやり取りを見た父が、呆れたように呟いた。
「雛、なんかあったの? 謝られてるみたいに見えるけど」
「ううん。なんにも」