入道雲と白い月2
それからの数日は、あっという間に過ぎた。
雛はその間じゅう、左近に言われるがまま物を取ったり片づけたり掃除をしたりと忙しく働いた。
いったい何をするつもりなのかは、手伝っていても見当がつかなかったが、幸い左近が作業中にゆっくりと説明をしてくれた。
「神を称える方法はいくつかある。雛が言っていた儀式ってやつだな。それは、祀る神や地域によって色々ある。が、よくあるのは舞の奉納だ。ここらでもやってるよな」
木の台を乾いた布で磨きながら、雛が頷くと、左近は器用に片目をつぶって見せる。
つまり左近は舞をするつもりということらしい。今雛がしているのは、舞台で使う道具の手入れ、ということのようだ。
「どこでやるの? お祭り会場では、もう別の人のやる舞があるって聞いてるよ」
「そりゃそうだ。別にそこに割り込むつもりはないよ。私はこの場所でやるんだ。神社の敷地内でやるのが正式だからな。けど、祭りは祭りで舞っても問題はないからな」
「ふうん・・・・・・」
すらすらと話す左近に、雛は不思議な気分を感じた。
「なんか慣れてるね」
「ん?」
「前にもこういうの、したことがあるの? この間は、よく知らないって言ってたよね?」
首をかしげて目を見上げると、左近は少し気まずそうに笑っていた。ゆっくりと、視線を手元の紙の束に向けることで雛から目をそらし、そのまま呟くように言った。
「この神社の祭りは、全然知らないさ。この村に来てから、舞ったり祭事をしたことは一度もない。・・・・・・だから、あの方は人になれなくなってしまったのかもな。・・・・・・時代のせいばかりではなく」
小さな笑みを浮かべながら、左近は手元の紙を丁寧にそろえる。
「――わたしが知っているのは、ここへ来る前に知った祭事だ。と言っても私が催したわけじゃない。当時は巫女じゃなかったしな。眺めて、それで覚えただけだ。だから本職から見たら、今の私は相当おかしなやり方をしてるかもな」
「そうなんだ・・・・・・」
相槌を打って、雛は何となく自分の手元を見る。何に使うのかさっぱりわからない古ぼけた木の台だったが、先ほどより丁寧に、布をかけ始めた。
左近はただ笑って、その様子を見ていた。
そんな様子で祭りの日まで二人は忙しい日々を送った。
雛には家での手伝いもあった。とはいえ、家でのことは日常生活の延長のようなもので、目新しいことと言えば、浴衣を体に合わせられたことくらいだ。
その浴衣を身につけての祭りの当日は、朝からなにやかんやと忙しく、神社へは行かなかった。特に約束していたわけではなかったので、雛は左近の祭事がいつどこで始まるのかを知らず、少々不安な気持ちでいた。けれど同時に、祭りに行けばなんとかなる、という思いもあった。
前の晩、雛は祖母からこんな話を聞かされていた。
「この村の神様はね、昔は人間だったらしい。この村の住民じゃなくて、遠い昔に戦いに負けて、ここへ逃げてきた人だって話だ」
興奮から寝付けずにいる孫娘の枕元で、そんな話を始めた祖母は、それこそ本当に、幼子を寝かしつけるような気分だったのかもしれない。おとぎ話のような語りを、上掛けを軽くゆっくりと叩きながら紡ぎだす。
「けがをしたその人は、結局逃げきれずにつかまって、死んでしまったけれど、彼と一緒にいた姫様が、その人をこっそり弔った。負けた側の人だから、大っぴらに墓を建てるわけにもいかないから――勝った人が怒るからね――それをかわいそうに思った村人が、神社の中にこっそり遺品を入れて、弔わせてあげたらしい。姫様はそれはそれは喜んで、末永く村を守ると言い残して亡くなった。それから、遺品のおさめられた神社では、彼の人を神、姫様をその伴として、祀るようになったらしい」
「じゃあ、神様は二人いるの?」
雛の問いに、祖母は首を振る。
「姫さんがそうしてほしくないと言ったので、あくまでその神様のお伴ということになってるらしいよ。それに、神社にはもともと祀ってた神様もいたから、横入りするようで嫌だったんじゃないかな」
「ふうん・・・・・・」
「そういう元人間の神様だから、きっと人が楽しむことは、楽しんでくれるだろうね。だから雛も、いっぱい楽しんできな。そのためには、もうちゃんと寝なさいな」
そんなやり取りを交わしていたのである。
祖母は今、祭り用の食事の支度で忙しそうだ。この機会に近くの人がそれぞれの家で宴会をすることになっているらしく、昼過ぎから人がたくさん出入りしており、夕方にはいつも以上の人数で食卓を囲んでいた。
雛は祭りに行きたかったので、夕食を早々に切り上げると、お酒の入り始めた近所の人を背に家を出る。もちろん祖母が着せてくれた浴衣を身につけて。
「雛ちゃん、ひとりで大丈夫かい?」
出掛けに祖父がかけてくれてた言葉にも、笑顔で応じる。
「平気。人はいっぱいいるし、向こうで待ってる人もいるから」
左近が祭り会場にいるかどうかは解らないが、そんな気がしたのでそう言い置き、雛は会場へと向かった。
祖母のお下がりであろう青い浴衣とそれに合わせた巾着を持ち、雛は村の道を歩く。向かう先は、辺りに出てきている人の流れに乗れば、すぐにわかった。
これだけは合うものがなかったため、サンダル履きの足で、雛は提灯の明かりの中へと紛れていった。
ざわざわと人の声があたりに満ちている。提灯の淡い光と、屋台のライトの明かりが辺りを照らして昼間のように明るい。周りを見れば、浴衣を着ている人もいれば、普通の服の人もいた。ただ、雛くらいの子供は、浴衣を着ている子ばかりのように見える。この辺りにも子供がいたのかと、首をかしげていた。
これまで見たことはなかったので、その子供は別の地区の人か、雛のように祖父母の家に来ている県外の人かもしれない。
ふわふわとした気持ちであたりを見回しながら、雛は歩く。人のざわめきのほかに、かすかに御銚子のような音も聞こえてくる。ここでも神楽をやると言っていたことを思い出した。
(どこでやるんだろう・・・・・・)
ふらふらと、音のもとと思われる場所を探して歩く。神楽を見てみたいと思ったのは何となくだったが、そこに左近がいるかもしれないという期待もあった。
本当に雛が左近を見つけたいのならば、まっすぐに神社へ行くべきなのだ。いつから神社の神楽が始まるのかを知らないので、冷静に考えればすぐその答えに辿り着いたことだろう。しかし今は、祭りに意識が向いており、左近を探すことは二の次だった。
音を目指して歩く雛の耳に、鋭い大人の声が届いたのは、その時だった。
ざわっ、とあたりの人から声があがる。雛も思わず足を止めた。
「どうしたんだ?」
「今の、吉田のおじさんの声、だよね・・・・・・?」
ざわめきの中からそうささやく声が聞こえる。おそらく言っているのは村人なのだろう。その他にも、ささやきあったり足を止めたりとまではせず、何事かと首をかしげている人がいる。彼らは別の地域から来た人なのだろう。雛には見覚えのない人が多く、すぐにその場を歩き去ってしまう。