入道雲と白い月2
おっかなびっくり雛は縁側から声をかけた。神社内部のものにうかつに触ってはいけないような気がしたためと、先日のニート発言の気まずさがあいまって、そこから先には進みづらかった。
たすきがけをして、はたきやらほうきやらを持った左近は、振り返るとにっこりと笑う。
「整理さ。こないだ雛に言われて、そういえばお祭りに使う品もあったなと思い出したから、出してみてるんだ」
「そうなんだ・・・・・・」
雛は少しほっとした。左近が以前と変わらずに話しかけてくれたことが嬉しかったのだ。
兄には「怒っていないと思う」とは言ったものの、失礼なことをした自覚はあるので、不安はあったのだ。けれど今その不安は、左近の笑顔でずいぶんと薄れた。雛は笑顔を返す。
「手伝おっか? 触っても平気?」
「お、ああ、ありがとな。触っても平気だから入ってきな。そんな端っこにいないで」
手招きされ、雛は小走りに室内にあがった。なるべくものを動かさないように心がけて。
雛が近づくと、左近はその顔をじっと見たのち、ふたたび笑う。
「よかった。もう来ないかと思ってた」
「え?」
「昨日の帰り、しょげているように見えたから」
雛は眼を見開いた。
手近にあるものを箱に入れ、戸棚にしまいながら、左近は言葉を続ける。
「はじめは、神だの何だのと突然言ったのに戸惑ってるのかと思ったが、どっちかっていうと『狐さん』が逃げちまったことを気にしてんのかな、と気づいてね。だとしたら、雛はもうここには来たくなくなったかもなあ、と思った。そうすると、話ができる人がいなくなる。それは寂しいなあ、とも思ってたんだ、実は」
ますます雛は眼を開く。
「寂しい、の? 左近さんが」
「ああ、そうさ。こんな山の中までわざわざ来て、おしゃべりをしてってくれる人材は貴重なんだ。村の人は、用もなくここまで来ないしな。私もあんまり下に降りる機会はないし」
「・・・・・・そうだったんだ」
呟くと、左近は少し困ったような顔をした。
「昔――それこそ先代の人がいた時代は、ここも村ともっと交流があったんだろうけどな。時代が変わって、人は神から離れてしまった。引きとめるなり、新しい交流法を探すなりすればよかったんだろうが、あいにくやる人がいなかった」
「引っ越しちゃったんだよね」
軽く頷いて、左近は座布団を引っ張り出してくる。床にあった品は片付けられ、二人が座るだけの場所は確保された。ただ机や棚に置かれた紙類はそのままだった。
雛に座るよう勧め、左近も腰を下ろす。一つ気を抜くような息を吐いた。
「ひと休み?」
「ああ。朝からずっとしてたからな」
ばたばたと手で顔に風を送る左近を、そうっと雛は見上げる。今日も蒸し暑く、外ではセミが大合唱をしていた。あまり光が入らないため、外よりは涼しい室内でも、左近は汗をかいている。
「・・・・・・お祭りのもの、あった?」
訊くと、左近は一瞬きょとんとしたのち、にやりと笑った。
「それを探して、ひっかきまわしてたんだよ。まあ、成果はぼちぼちと言ったところだが」
「――あのね、わたし考えたんだけど、聞いてくれる? 狐さんの力を強くする方法」
「 ほう」
左近の返事の前にあった、ほんの少しの間を気にしつつ、雛は続ける。
「ご近所さんがね、お祭りは神様に楽しんでもらうためにするもだって言ってた。だから、お祭りをちゃんとすれば、力が戻るんじゃないかな、と思って」
「かもしれないな」
「でも、今のお祭りは、あんまり儀式的なことしないじゃない? だから、それをしてみたらどうかなって・・・・・・」
「そうだな・・・・・・実は私も、それは考えた。でも、今までのお祭りでも、あの人は狐のままだった」
「だめ、だったの・・・・・・?」
不安気に言う雛に、左近はゆっくりと語りかけてくる。
「その時はな。・・・・・・でも今回は、何か起こるかもしれない。少なくとも、これまでのようにただ待ってるだけってのは、やめようと思ってる」
くすり、と彼女は雛に笑みを向けた。その笑みはどこか冗談めかしていたが、晴れ晴れとしたもので、自然と雛の不安な気持ちもほぐれる。
「じゃあ、じゃあさ、わたしも手伝うよ! 神様見たいし、神様が話せるようになれば、左近さんもひとりじゃなくなる!」
「そうだな」
学校の授業のように手を上げ、身を乗り出した雛に、左近は一瞬目を瞬くと、軽く笑って頷いた。
「なら早速、手伝ってもらおうか。祭りまで時間がないし、やることはたくさんあるからな」
「うん、がんばる」
こぶしを握りしめ、雛は大きく頷いた。