入道雲と白い月2
――それ、巫女さんにも言っちゃった?
「・・・・・・うん。というか、左近さんに言ったのを、神様が聞いてたっていうか・・・・・・」
――怒った?
吉城はあくまで柔らかい、いつも雛が聞く通りの声を出している。それだけを聞いていると、兄が何を考えているのかはわからない。自分の失敗を話していることもあり、雛はびくびくしながらも正確に伝えようとした。
「怒っては、ないと思う。少なくとも私には何も言わなかったし、帰る時もまたおいでって言ってくれたし」
――そうか・・・・・・。それで、雛は申し訳ないから、二人を助けたいの?
「・・・・・・それもある、けど」
雛は少し黙る。確かに、兄の言うような理由もあるけれど、二人を――より正確に言うなら左近を――助けたいと思ったのは、失敗をする前からだ。
「お母さん、みたいだったから」
――え?
兄に、左近が見せた表情のことを話した。父が病気の時の母には、兄の方がよく接している。きっとわかってくれるだろうと思った。そして、実際吉城は話を聞いて、とても納得してくれたようだった。
――あー。なるほどね・・・・・・うん、雛の気持ちはわかる。
「でしょ? だからどうにかしてあげたいの」
――そうだね
呟くように言って、吉城は黙った。受話器越しでも、兄が何かを考えている気配が伝わってくる。期待しながらもただ待つだけでなく、雛も頭を働かせた。
「・・・・・・お祭りって、神様の力になるのかな?」
ぽつりと呟くと、兄は不思議そうないらえを返してくる。
「近所の人が言ってたんだけど、お祭りって神様を楽しませて、村を守ってもらうためにするんだって。それってつまり、神様の力になるってことじゃないのかなあって・・・・・・」
――お祭り・・・・・・。それはあるかもしれない。でも、昔とちがって今のお祭りって、儀式的なことあんまりしないみたいだしなあ。
「じゃあ、儀式的なことすれば力が戻るの?」
――いや、それは俺にはわからないよ
兄の声には笑いが混ざっていた。
――でも、全く関係ないってことはないんじゃないかな。巫女さんに聞いてみてさ、二人で出来る儀式的なことをやってみるのも一つの方法じゃないかと。
「う、ん・・・・・・そうかな?」
――少なくとも、ひとりで悶々と考えてるだけよりは、いいと思う。
その時、すとん、と何かが心の中にはまった気がした。雛の中にあったもやもやしたものが晴れたようで、すっきりした気分になる。
「そっか・・・・・・そうだね。うん、左近さんに言ってみる。次のお祭りで何かできるかもしれない」
――うまくいくといいね。応援してる。手伝えないのは残念だけど・・・・・・
「いいよ、そんなの。それよりありがとう。兄さんはいつも、すごいこと言うよね」
――それ、褒めてるの?
苦笑い混じりに返され、雛はきょとんと瞬く。
「けなしてるように聞こえたの? 違うよ。すごいねってことだよ」
――うん、うん。そうだろうね、ありがとう雛。
笑った声のままの兄に言われ、思わずむっと眉が寄る。
「バカにしてる?」
――してないって。ただ、すごいって言葉はよくない言い回しでも使うから、素直に受け取りにくいんだよ、俺たちは。だから耳慣れなくて、訊くと妙な気分になるだけ。
「・・・・・・ふーん」
納得行かないながらも、兄がからかっているわけではないということは何となく伝わってきた。雛は気を取り直す。
「それじゃあ、あした左近さんに聞いてみることにするね」
ありがとう、ともう一度言って話を終えようとすると、吉城が焦ったような声を上げる。
――あっ。ちょっと待って。その・・・・・・
「何? あ、おばあちゃんに代わる?」
――ううん。代わらなくていい。もう言うことは言ったから。そっちのことじゃなくて、巫女さんのことなんだけど・・・・・・
「左近さん?」
雛が耳をそばだてると、吉城は少し低めた声で言った。
――その人が神様と会えるようになったら、雛はどうするの?
「え?」
唐突とも思える問いに雛は戸惑う。そこまでは考えていなかった。二人が会えるようになればそれでお終い、という気がしていたためだ。
「どう、って・・・・・・」
考え考え、言葉を紡ぐ。
「だって、夏終わったら、わたし帰るし、どうにもしようがないんじゃないかなあ。二人とおしゃべりくらいはしたいけど、きっと二人もしゃべりたいことあるだろうし、お仕事だって忙しいだろうし・・・・・・」
――うん。うん、そうだよ
安心した、というように吉城が言った。雛は首をひねる。
「わたしが二人の邪魔をすると思った?」
――んー、いや、仕事の邪魔をするとは思ってないよ。ただ・・・・・・神と巫女ってきっと特殊な関係だから、雛には知られたくないこととかもあるんじゃないかな、と思って。それがわからなくて、深入りしすぎちゃったら困るな、ってことなんだよ。うん。
奥歯に物がはさまったかのように吉城は言う。口に出していること以外にも、何か伝えようとしていることがありそうなのだが、あいにく雛にその内容は解らない。
言いたいことがあるならば、兄妹なのだからはっきりしてほしいと思ったが、すぐに、言えない理由があるからこういう言い方になるのかもしれないな、と思い直す。
「――わかった。気をつけることにするね」
ひと通り考えて、雛はそう伝えることにした。兄が言いづらいと思うことならば、無理に聞いても理解できないか、雛が傷つくようなことなのかもしれない。これまでも、そういう理由で言葉を濁されたことが、何度かあったような気がする。
吉城のほっとしたような息が、受話器越しに聞こえた。
――うん、そうして。・・・・・・じゃあ、そろそろ切るね。雛も休みだからって夜更かししないで早く寝るんだよ。おばあさんとおじいさんに、よろしくお願いしますって言っといて。
「わかったよ。じゃあ、おやすみ、兄さん」
――おやすみ
あいさつを交わすと、雛は受話器を置いた。そしてそのまま玄関を眺め、明日のことに思いをはせる。早速、左近に祭りの手伝いを申し出るつもりだった。
「できることあればいいけど」
小さく呟いて踵を返す。祖父母の待つ居間へととって返す足取りは、軽やかなものだった。
朝は祖母と村の中心ともいえる商店街へと繰り出した。
そこは今、祭りの準備のためかにぎやかに飾り立てられて、雰囲気を醸し出している。荷物持ち兼散歩で出かけた雛は、祭りの雰囲気に否が応でも気分が高まった。
用事を終えてしまうと、すぐさま山用の出かける準備をし、台所で調理をしている祖母に声をかけた。
「行ってきます」
「おや、また行くのかい。忙しいねえ」
そう祖母はからかったが、笑顔で行ってらっしゃい、と送り出された。
何を作っているのか甘い匂いのする湯気とともに、雛は山へと向かう。
麓より涼しい山道を通って神社に行くと、左近は室内の片づけをしていた。
何かの書かれた紙やらそれをまとめたファイルやら、何に使うのかよくわからないが、神社の祭事に使う道具らしきものが、畳の上に広げられている。
「何してるの?」