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和尚さんの法話 『三世の因果』

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私が貴方の子供を殺してるんなら、私の生まれても生ま
れてもその夫は皆毒蛇に殺されるでしょう。

「また夫婦の間に子供があるならば水に漂い、オオカミ
の恨むところとならん」
水におぼれて死ぬでしょう、オオカミに食われて死ぬよ
うな子供も生まれてくるでしょう。

「身は現に生き埋めとなり」
私自身は、土に生き埋めになるでしょう。

「また自らその子を食らう。父母は失火して死ぬ。何が為
に我を罵るや」
私がそんなことをしてるなら、私の来世はこんな目に遇い
ますよと。怖いのにどうしてそんなことをしますかと。
盗人猛々しいといいますね、自分がしておきながらそれを
隠すために、自分がほんとうにしているのならちゃんと罰
を受けるんですからと。
そんな罰は怖いのに、なんでそんなことをしますかと言う
わけですね。
ところが現にしてある。
そんなことをしてあるなら私は将来そんな目に遇うでしょ
うと。
その言ったことが全部返ってきたというわけです。
そのときの本妻というのが、今の私なんですと。前世でそ
ういう不徳を積んできてるわけです。
これが私の過去なんですと。こういう話しなんですね。

「其の罪、誰も替わる者無し」
私が言うたことを誰かが替わって受けてくれるということ
は無い。全て自分が受けるんです。
子孫が替わって受けることはない。全て自分です。
先祖の罪を子孫が受けるということは無い。
自分がやって自分が受けるんです。
貴方のような尊いお方がなんでそんな目に遇うのですかと
いう質問は、こういうことがあったから、その報いを受け
たんだというのが応えです。
その原因を語ってきたわけです。

「諸の比丘尼重ねて亦問うて曰く。亦何の善きこと有りて
如来を見て従い」
つまりそういう目に遇いながらも、お釈迦様に救われたの
かと。是は善い事ですねと。
そういう善い事は、亦どういうことがあったのかと。
仏門に逢えた、仏様に救われたと、こんな結構なことはご
ざいませんと、それはまたどういう原因が御座いますかと。

是も亦、前世のことになるわけですが、仏教はお釈迦様と
いう如来様が、後にも先にも、未来にも過去にも仏様が無
いと、如来様はお釈迦様お一人だと、こういうのではない
んです。
この歴史上ではお釈迦様はお一人だけど、時間は無限です
からね、その間に仏様が出てきて仏教を説く、仏教は滅び
る。
亦次の仏様が出てきて仏教を広める、亦滅びる。
亦仏様が出てきて仏教を広めて亦滅びると、こういうふう
に繰り返してきてるわけです。
このお釈迦様の仏教も、約三千年ですが、あと七千年です
かね、一万二千年しか続かないというのですお釈迦様の仏
教は。
お釈迦様がお亡くなりになって、正法千年、像法千年、末
法万年。

末法という時代が一万年ある、その一万年にもう既に入っ
てるわけですね、鎌倉時代頃からね。
そして何れその仏教は廃っていく。
廃っていくということは、もう仏教を信じる人がいないと
いうことなんですよ。
こういってはなんですが、業の深い人ばかり生まれてきて
仏教を信じない。
そしてまたずうっと時間が過ぎて、次に五十六億七千万年
たったときに弥勒菩薩という方がこの世へお出ましになっ
て、弥勒仏となって改めてまた仏教を広める。
然しその仏教も何れは廃る。
そしてまた次の仏様が出る。
と、こういうふうに無限の過去から、無限の未来へかけて
仏様が次から次から出てきては仏教を広める。そういう宗
教なんです仏教は。
そういう仏教をほっといて、なにを好んで他の宗教に入る
のか、何が不足で。
こんな立派な宗教があるのに。
それが縁が無いんですね。
仏縁が無いから仏教に縁が無いということなんです。

今の話しの続きですが、ずうっと過去に或る仏様が、この
世にお出ましになっていた。
そしてその仏様がお亡くなりになって、千年くらいたった
頃、或る阿羅漢がこの世に居られた。衆生済度のためにこ
の世に生まれてきた。

町へ出てきては衆生済度をしていた。其の時に、

「長者の妻有り之を見て喜び之を供養す」
或る立派な長者の家があってその妻が居った。
そこへ阿羅漢様が托鉢に来るのを何時も楽しみにしていた。
家の前を通るとそれを追いかけて行って、お供養すると、
そういうことを日々していたんですね。
そして或る時に、阿羅漢様が、お前は結構私に供養をして
くれると。
ところでお前、私に何か願い事でもないかと聞いたんです。
其の時に其の妻が、

「妻、時に之を聞きて即ち誓いを起こして曰く」
誓いを建ててこう言った。

「願わくは後世道を得るとかくのごとく有らしめん」
貴方のように成りたいと。
この世では無理でしょうけど、ずっと後にでも宜しい後生
に貴方様のような阿羅漢様に成らせて頂きたい、そのよう
に私を導いて頂きたいと、こう言って誓ったんですね。

その妻が私なんだと。
嘗て私は、仏様はもう亡くなっていたけれども阿羅漢様に
供養をして、そしてその阿羅漢様に指導をして頂いて、そ
の誓いどうりに私は何時も修行をしてきたと。
その功徳によって、今日お釈迦様に救われて、そして阿羅
漢に成れたんだと、こういう話しなんです。

是故に如来を見ることが出来て覚りを開いて阿羅漢道を達
することが出来た。
然しながら今日阿羅漢には成ったけれども、常時鉄針頂上
より入り足の下に出る。
つまりわたしは、一日一回、その時間がきたら、頭のてっ
ぺんから足の裏へ、焼火箸が頭から足の裏へ突き抜けてい
く、その痛みを感じているんだと。
実際に突き通すような苦しみですね。
これは大変な苦しみですよね。
これは何の報いかというと、生まれて間もない子供の頭へ
針を通すというその業が未だに残ってる。
それで私は一生、死ぬまでこの苦しみを味わっていかなけ
ればならないのですと。

こういう次第ですから、善い事もありましたけど悪いこと
もあったんだと、だから貴方がたは折角縁あって仏門に入
っただから、迷うてまた元へ戻るというようなことはやめ
なさいと、必ず仏道を志していったら未来には私のような
阿羅漢に成れるんだからと、こういうふうな諭しをするの
です。
そういうお経なんです。

これは、「賢愚経」というお経の一説で微妙比丘尼品です。

賢い人と愚かな人と。
この賢というのは、因果の道理を心得た人。
因果の道理を無視する人を愚者。
この両方をテーマにしたお経がいっぱい入ってあるのです。
この微妙比丘尼も愚かなこともしてるけど、阿羅漢様に供
養して自分も救われたいというのは善い事もしてるわけで
す。
そういうことをいっぱい集めたお経です。その中の一説。
品というのは、章という意味です。

そういうことで、仏教の根本思想は、因果の道理を認める
ということです。
これを信じなかったら、仏教はもうそこから進まない。
因果の道理を信じるということは第一課なんですよ。
而も三世の因果。この世だけじゃないということです。

「過去の因を知らんと欲せば現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」
こういう経文がございます。
分かりますよね、自分の前世で何をしてきたのか。