和尚さんの法話 『三世の因果』
それでその女性は綺麗な人ですから、連れて行かれるんで
すね。
その野盗の親方の嫁さんにされてしまうんです。
それも自分の運命だと思うて、因縁に任せて生活をしてい
るわけです。
時々そういうふうに裕福な家を襲って強盗に入りますね、
ところが大きな屋敷には用心棒があるわけです。家が大き
ければ大きいほどその用心棒の数は多いですね。
そして襲った家の用心棒と戦いになるわけですが、そして
たまたま野盗の頭領が弓で射殺されるんです。
そうしますと、当時のインドの風習として、日本でも昔あ
ったようですが、夫婦があって主人が死ぬと、妻も一緒に
生き埋めにされてしまうんです。
そういう風習があったようです。
それがあまりにも酷いというので、生きた人間を埋めない
で人形を作って人形を仮に入れる。ハニワというのがそう
ですね。
インドでもやはり当初は生きた人を入れたんです。
頭領が死んだんだから、おまえも生き埋めだといって子分
たちに入れられた。
それでもうこれで最後かと、それこそ自分は前世で何をし
てきたのかと、なんと私は不幸な人間なんだと、半分諦め
ていた。
そうしますと、野犬があるわけですが、それがお墓を暴き
にくる。
そうすると土が緩んだんですね。
それで様子をみて逃げるんです。
もう自分は生きてるものは何もない、死んでもいいんだけ
ど、然しながら、お釈迦様はどんな哀れな人間でも救うて
下さるらしいと。
自分のような哀れな者でも救うて下さるだろうかというの
で、仏教教団を訪ねていくんですね。
ところが土の中へ埋められて着てるものもぼろぼろですわ
ね。
ほとんど着物を着たといえないような姿をしていた。
そういう姿でお釈迦様を訪ねていったんですね。
そのときのことをお経にこう書いてあります。
「我、時に形現れて」
女性ですから着物を着てなきゃならんけど、ぼろぼろにな
ってしまて身体が現れたんですね。
「自ら覆う無し」
着たとはいえないような状態ですね。
「即ち地に座し、手で以って乳を覆う」
お釈迦様が向こうから来るのが見えたんですね。
それであまり恥ずかしいから胸を隠してうずくまってしま
った。
「仏、阿難に告げ給う、彼の女人に衣を以て覆え」
阿難という弟子がありますね。
お釈迦様の従兄弟ですけど、その阿難に、衣を持っていっ
てあの女人に着せてあげなさいと。
「我時に衣を得て、即ち世尊の御足の元に伏し拝み、つ
ぶさに罪悪を述べる」
つまり自分の罪を懺悔するんですね。
私はこんな目に遇うのはきっと深い罪がございますから
でしょうと懺悔する。
「願わくば哀れなる我に道を成すを許し給え」
そうぞ導いて頂きたいと。
「仏、阿難に告げ給う、この女人を率いキョウドンミに
伏し介抱受けしめん」
比丘尼の長老のキョウドンミという方が居るんですね。
そこへ連れていって、そして受戒をさせよと。つまりは
っきり仏門に入れなさいと、阿難に告げるんですね。
そして初めて尼さんになるわけです。
そこでいろいろと教えを聞いて、修行をして。
この人は阿羅漢になったほどの人だから、よほどの罪があ
るからこういう業を受けたけれども、然しそれはそれとし
て、前世の功徳もあるわけです。
良いこともあれば悪いこともあるのが人間ですからね。
お釈迦様でも始めから仏さんじゃないんですから。
地獄へ落ちたようなこともしたと説いてありますから。
悪いことをして現に地獄へ落ちていたと。そういうことも
あると。
だから強(あなが)ち悪い人間を蔑(さげす)んではいか
んというお諭しもありますね。
皆地獄に落ちてるんだと。それはもうお釈迦様でも落ちた
とおっしゃってるんだから、況や我々も必ず落ちてたでし
ょうね。
ようよう今、人間になって上がってきたけれども、私も地
獄に落ちてたんだから、お前たちも地獄に落ちてたんだぞ
と。
だから現に地獄に落ちてる人間。
或いは地獄に落ちていく人間を無暗に蔑んではいかんと。
むしろそういう人たちのほうが哀れなんだと。
そういうふうにお諭しになるお経もあります。
その話しを聞かされて、訪ねていった新入りの比丘尼さん
たちが、それはなんと貴方のような尊い方が、何でそんな
不幸な目に遇いますのかと。
誰でも疑問に思うことですね。
既に阿羅漢ですから、大勢の人たちに敬われるような比丘
尼になってますからね。
それで過去世の話しになるわけです。
「微妙、応えて曰く汝静かに聞け」
ずっと前世にこういうことがあったと、その話しを語って
くる。
「一人の長者有り、財富無数にして子息あることなし」
ずうっと前世の話しで、或る長者の家庭があって、財富は
無数だというのだから大変な長者ですね。
ところがその夫婦の間には子供が無かった。
そこでその主人が、もう一人の女性を作るんですね。
たまたまその第二の婦人に子供が出来た。
そうすると子供が出来ますと、どうしても子供を縁として
元の奥さんよりも新しい婦人の方へ心が行くわけです。
本妻さんはそれがまた妬ましい。
「一人の男子が生まれ、夫妻慶長し、是を見て厭(いと)
うこと無し」
子供とその母親と主人ですね。その三人がいつも和気あい
あいと仲良くやってる。
昔のインドだったらそれが当たり前だったのでしょうが、
だんだん妬ましくなってくる。
このままだと財産は皆この子供と第二夫人のものになって
しまう。
歳からいうと自分が先に死ぬし、自分が死んだらそうなっ
てしまうだろう、というそういう気持ちが起こってくる。
「今此の子、若し長大せば門戸を得すべし」
長大というのは、子供が大きく成長するということ。
門戸は家屋敷き。それが全部子供のものになる。
「全財の諸物悉く所持すべし」
全地全畑から家屋敷き、ありとあらゆるもの全て子供の
ものになる。
「我悪戯に労苦して財産を釋終し自在に得ず」
その財産を作ってきたのは自分ではないか、主人もさる
ことながら自分たちが一所懸命にこの財産を貯めてきた
んだと。
その苦労がいったい何になるんだと、そういう気持ちが
起こるんですね。
「妬心即ち生じ、遂に殺すに如かずと思う」
妬心とは嫉妬の心のことですね。
嫉妬心が起こってきて子供を殺さないといかんと、そう
いう殺意を抱くんですね。
「即ち鉄針を取り、子の身上に刺し歿し」
針を子供の頭の中へ埋め込んでしまうんですね。
外から分からないようにしてしまう。
すると子供は泣いて泣いて衰弱してきて、何か分からん
ままにその子供は死ぬんですね。
そしてその子供の母親が、
「是たいふ我が子を妬み殺せり」
これはきっと本妻さんが私の子供を殺したに違いないと、
母親の感で察するんですね。
「汝は是無情なり我が子を恨み殺せり」
貴方はなんと情の無い人間だと、それでも貴方は人間で
すか、私も子供を殺したんでしょうと、こう言うて罵(
ののし)るんですね。
するとその本妻さんが、
「其の時、呪い誓って曰く、若し汝の子を我殺さば」
若し私が、貴方の言うように、貴方の子供を私が殺した
というのが本当ならですね。
「我が世世の夫をして毒蛇のために殺すこととならん」
作品名:和尚さんの法話 『三世の因果』 作家名:みわ