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和尚さんの法話 『三世の因果』

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「微妙比丘尼」

分かりませんが、お経には順次業とある。
善悪共にですよ。
あんな悪人がどうして上手い事いくのか、それは前世の
行いが善かったんですね。
それが今きてるわけですが、今やってることは次に来る。

それから、次が順後業。この世でやってこの世で報いを
受けず、次の世(あの世)でも受けず、またこの世へ生
まれ変わってきた、その時に報いを受ける。
それが順後業。

次が順不定業。
何時来るか分からない。
すぐに来る人もあれば、ずうっと未来に来る人があるか
ら、これはもう何時来るか分からない。

ところが何時か必ず来る。
この四通りあるわけです。
これを心得ておきませんと、あんな人がなんであんな悪
いことをしてるのに上手くいくのか。
あんな善い人がなんであんな不幸な一生を送らんならん
のかと。
それだけを見ると、神も仏もあるものかと、この世だけ
しか見ていないと、なにが善因善我だというような気持
ちになりかねない。
前世があり来世がありと、現世で来ない報いは必ずあの
世で来る。
あの世で来なければ次の世で来る。
必ず来る、それは逃れられない。業というものは、どん
なところへ行っても逃れられないというようなお経が今
までも何遍もご紹介をしていますが、また紹介すること
もあると思います。そういうお経はいくらもある。
犯した業は、何処へいっても追いかけてくる。

たとえ山奥の洞窟の中へ逃げこんでも、虚空の上へ上が
っても、海底の底へ逃れても必ず業は追いかけてくる。
それほど極端に説かれています。
自業自得なんですよ。先祖の因縁じゃない、自業自得。
これが仏教の原則です。
自分の業を自分が得るんです。
以上が仏教の因果因縁のざっとしたお話しです。
そういうお経がたくさんあるわけです。

お釈迦様の教団には、男性の比丘と、比丘尼という女性
の教団があったわけなんです。
比丘は男ですね。比丘尼は尼さんのこと。
この比丘尼の中に、微妙比丘尼という人が居たんですね。
非常に綺麗な尼さんだそうです。

其の方のお話しなんですが。
お釈迦さまが、一番根拠にして居られたのが、舎衛国とい
う国ですね。
インドという国は一つですが、その中に舎衛国とかマガダ
国とか、日本の県と一緒でね昔は紀伊の国、大和の国とい
うように国と言いましたね。

そしてそこにはそれぞれの大名が居ましたね、日本は。
このインドも昔は舎衛国、マガダ国とたくさん国があって
それぞれに王様が居ったんですね。日本でいう大名ですね。
そのお釈迦様のご在世の頃の話しなんですね。

舎衛国は祇園精舎のある国ですから、そこに波斯匿王(ハ
シノクオウ)という王様が居て、仏教に帰依した人ですが
、この王様も太子に瑠璃太子という綺麗な名前の太子です
が、この王様が亡くなって、瑠璃太子があとを継ぐという
ことになってくるのですが、この太子は名前は綺麗ですけ
れども悪逆無道な王様だったんです。

例えば、どういうことをしたのかというと、象にお酒を飲
ませて暴れさせるんです。
そしてその象を市中へ追いやるんです。
そうすれば老人や子供が皆踏みつぶされたり、鼻で飛ばさ
れたり、或いは小さい家を壊されたり、そういうことをし
て遊んで楽しんだというような王だったんです。
そういうことを毎日毎日やられるものだから、無常観を抱
いてこの世が嫌になるんですね。
もう生きていても面白くないというような気持ちになりま
してね、そういう人は皆、尼さんになったり男の人は比丘
になりと、仏教教団に入ってくるわけです。

ところが立派な家の奥さんでも、嫌になって仏教教団に入
ってきた人が多くあった。
仏教教団というのは、そう難行苦行をするような難しいこ
とはないけれども、やはり一定の教団の仕来たりというの
がありますからね。
朝は何時に起きて、夜寝るまでにはいろいろ修行がありま
すからね。
在家の生活に慣れた人は、いきなり仏教教団に入ってきた
らやはり辛いわけです。
それで心が乱れてくるわけですね。
折角この仏教教団に入ったけれども、こんなに辛いのだっ
たらもう家へ帰ろうかと、行ったり来たり行ったり来たり
と心が迷うわけです。

そのへんのところをお経にはこう説いてあります。

「格の如く我聞く、一時仏舎衛国の祇樹給孤独園にましま
して」
お釈迦さまが、舎衛国の祇園精舎にお住まいになっている。

「波斯匿王、奉拝の後」
波斯匿王が亡くなって後、瑠璃太子が後を継ぐ。
「太子、悪逆無道なり」
人間の道をちっともわきまえない。
「酔象を駆逐して」
酔わせた象を鞭で叩いて街中へ追いやるんですね。
「人民を踏み殺し、あえて数うべからず」
無数の人を殺してる。
「時に諸の貴生の婦女」
いい家庭の奥さん連中が。
「格の如きを見て心の中に嘆き俗を楽しまず」
もう人生が嫌になってきたんですね。世間が嫌になった。
「即ち共に出家して比丘、比丘尼となる」

そういうことで、仏教教団に入ってきましたけれども、今
言いましたように入ったからといってすぐに仏道に真っす
ぐ進むということが出来なかったんですね。
心がいろいろと迷う。

そこで、自分たちだけで考えてたってだめなんだと、仏教
団に早くから入って、そして修行をたくさん積んだ先輩方
がいるんだから、そういう方々に意見を聞きましょうとい
うので、何人かが連れ添って、或る先輩の比丘尼さんのと
ころへ訪ねていったんですね。

ところが最初行ったその比丘さんというのが、あまり心の
宜しくない。
お釈迦様のお膝元に居りながら心の邪な、つまりその教団
に入って居りますと、日々の行いは辛いけど、兎に角食べ
ることと着ることには苦労しないんです。
生活のその為に入ってきてるような人なんですね。
だから勿論、いい家の奥さんじゃなかったわけです。

在家に居てたら生活に困る、貧乏で貧乏で、毎日毎日働い
て、教団の中へ入ったら、することは辛いけれども食べる
ことと着ることは心配は要らない。

そういう心掛けの人なんですね、最初訪ねていった先輩の
比丘尼という人は、チュウラナンダという尼さんですね、
そこへたまたま行って、私たちは仏門に入らさせて頂きま
したけれども、どうしても心が統一出来なくて迷うており
ます。

どうぞひとつご意見を聞かせて頂きたい。こう言ったんで
すが、ところがこの人は賢い人じゃなかった、この先輩は
ね。
貴方がたは何を困ってこんな苦しい生活をしてるんですか、
在家に居ったら何もしなくていいのにと。昔は上女中、下
女中と、日本にもありましたね。そういう家の人たちなん
です。だから何もすることが要らん。

私こそは在家に居ったら、縁の下で寝たり、食事も三日も
四日も食べることができなかったりするから、こうして仏
門に入ってきたけれども、貴方がたは家に居ったら何も心
配することが要らんじゃないかと。
何を好んでこんな苦しい生活へ入ってくるんですか。
私だったら代わってあげたいと。そんなふうなことを言っ
たんですね。早く家へお帰りなさいと。

そう言われて、これは思いもよらないことを言うものだと。
それで一人の行けんじゃいかんからというので、次に訪ね