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和尚さんの法話 『三世の因果』

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「因縁」

一般によく因縁という言葉を使われていますけれども、
私たちがよく聞くのは、先祖の因縁ということを聞き
ますね。

先祖の因縁ということは、どういうことを言ってるの
だろうと思いますと、結局昔の先祖が、例えば侍であ
って大勢人を殺したと、そういう先祖があるので私た
ちはこういう苦労をせんならんのだとか、そういうふ
うな解釈の仕方ですね。

兎に角先祖が悪かったから私たちが不幸になると。
ところが仏教はそうは言わないのです。
それは仏教の教えではないです。
先祖の因縁ではなくて、因縁というならば自分の因縁
なんです。

因縁ということからお話しをしないとなりませんが、
因・縁・果と三つあって、因縁といってるわけですが、
結局この三つを因縁というわけです。
因+縁=果になるのです。
だから因果とも言うわけですね。
因果なことにと、いうようなことを言いますね。
これは悪いほうのことをとってるわけなんですがね、
何の因果でこうなったんだと言いますね。

先祖じゃなくて自分ですよね。仏教はあくまで自分の
ことを、自分が迷い、自分が覚る。
この因というのは、一番根本の原因ですね。
自分が積んだ原因なんです。
善と悪と、これが問題なんですよね。

もうひとつ言えば無記というのがあるんですが、これ
は善でも悪でもない、ただ道を歩いている行動とか、
ご飯を食べている行動とか、人と話し合ってる行動、
その内容はともかくそういうことは無記といいます。

是は皆業ですね。善業、悪業、無記業。
無記業は善でも無し悪業でもない。問題は善業と悪業
なんです。
善因善果、悪因悪果といいますね。善い行いには善い
結果があり、悪い行いには悪い報いがある。

先祖が善い行いをして子孫が善い報いを受けるんじゃ
なくて、自分が善いことをして自分が善い報いを受け
る。
自分が悪いことして悪い報いを受ける。
あくまでも自分です。

そしてもうひとつ忘れてはいけないことは、仏教は三世と
いうことを認めるわけです。

三世というのは、過去世(前世)と、現世(生まれて死ぬ
まで)と、それから来世(未来)。

この過去世というのは無限なんですね。
何処まで行っても何処まで行っても尽きない、無限なんで
すね。過去は無限。
未来も無限なんですね。
現世が一番短いわけなんです。この一生ですからね。

私たちがこの世へ生まれてきてこれまでの人生を送ってき
て、やがて死ぬわけですが、生まれてくる前は、つまり過
去世の、生まれるすぐ前の過去世はどうだったかというと、
それは霊界に居ったんですね。あの世に居ったんです。

そのあの世の前はどうだったかというと、この世に居った
んですよ。この世に居ったということは、おぎゃあと生ま
れて死ぬまでの間。過去の現世ですね。

その過去の現世もまた生まれる前がありますから、やはり
あの世に居った。こうして過去へ過去へ遡って行くともう
無限なんですね。
生まれては死に、生まれては死に、そして今生まれてきて、
またやがて死ぬ。

死んだら何処へ行くかというと、また霊界へ行きますね。
過去がこの世と霊界を繰り返していたように、未来も死ん
であの世へ行って、またこの世へ生まれてきて、またあの
世へ行き、この世へ生まれる、こう繰り返しているわけで
す。
それを三世と。

過去は無数にあるけれども、過去を全部ひっくるめて過去
と。
未来も無数にあるけれども、ひっくるめて来世と。
そして現世と。
この三世の因果をいうわけですよ。この世のことだけとは
違うわけです。

我々がこの世へ生まれて善悪の行いを大なり小なりいろい
ろしてきましたね。
人を殺すというようなことをしないにしても、子供の頃に
人の物をとったとかしましたね。人を騙したということも
あるでしょう。
嘘をついたこともあるし、この世で善い事もしたが悪いこ
ともした。大なり小なり我々はあるわけですね。

その善い事悪い事というのは、悪い事を例えて言うならば、
人を殺すとか、物を盗るとかいうこと、それは身体を使わ
ないと出来ませんね。

そしてもう一つは、不倫。
仏教の言葉でいえば邪淫ですね。
一般には不倫といいますね。
これも身体を使わなければ出来ない。
それを身業といいます。身体でする業。

これだけが業じゃないです。口でする業、騙す。
それからおべっかを使う。
それから両舌というのもありますね。
あっちへ行って上手い事を言い、こっちで上手い事を言
う、あっちとこっちと言うことが違う。これは嘘をつく
というのとちょっと違うんですね。
これを両舌と言います。
二枚舌とよく言いますけど二枚舌というのは嘘というこ
とですが、これは嘘とまた違うわけです。
それから悪口。そういうことを仏教は説くのです、善い
ことも悪い事も。

口で言うだけなら罪にならんだろうと思うでしょうけど、
上手い事を言うて自分に利益を得るというようなことは、
みな業になるのです。
悪口雑言でも業になるのです。それを口業といいます。
そしてもう一つは心。
心の中で怨念を抱く。
手もかけないし、口でも言わないけども、心でいつも悪
意を持ってるとか、或いは憎悪を抱いている、怒りを持
つというような心ですね。
そういう心を持っているのを業といいます。
だから厳しいですよね。

ご存じの方もいると思いますが、我昔所造諸悪業という
懺悔文というお経が御座いますね。

あの中に、従身口意之所生(じゅうしんごいししょしょ
う)と、こういう文句がありますね、そして一切我今皆
懺悔(いっさいがこんかいさんげ)と。

身で行った業も口で行った業も、心で行った業も、其々
の所生に従って、一切を我懺悔し奉ると、身と口と心と
それに左右する業を懺悔すると、こういってお経の中に
もあるとおり、身と口と心だと。身だけじゃないという
ことですよね。
そういうことを考えると、業の犯していない者は誰も無
いということです。

それが「順現業」「順次業」「順後業」「順不定業」と、
四通りある。

この「順現業」というのは、この世でやってその報いが、
もうこの世で来る。死ぬまでに来る。自分にですよ。
仏教はあくまでも自分が主体ですから。
自分がやって、何時やったか忘れていても、やったことが
死ぬまでに報いを受ける。
悪いほうの霊でいいますと、それは病気というかたちで来
るか、大怪我というかたちで来るか、或いは財産上の大失
敗というようなかたちで来るか、何で来るのかそれは我々
凡夫には分かりませんがね。
兎に角、この世でやってこの世で報いを受けるのが、
順現業。

順次業というのは、この世でやって、霊界で報いを受ける。
つまり地獄へ落ちる。
あんな悪人が、すいすい上手い事いってるじゃないかと。
悪いことをしてもあんなに上手い事いくのなら真面目にや
ってるのが損じゃないかと。
そんな人がありますよね。

ところが、その人の行いが悪くて、この世でその報いがき
てないかもしれませんが、この人が死んでどうなったかと
いうと、例えば地獄へ落ちたしたら、次に報いがくる。
これはもう我々には分かりませんね。
其の人が死んでどうなったか分かりません。