小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

和尚さんの法話 『死後の世界を認める』

INDEX|5ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

行ったら拝む。拝んだら黒い衣の同じ坊さんが現れる。

そして何年かたって、あそこは阿弥陀様が祀ってるんじ
ゃない、法然上人を祀ってるんですということを聞かさ
れたんですね。
では阿弥陀様は何処へ祀ってあるのかというと、その脇
の少し小さいお堂に阿弥陀様がお祀りしてある。一般と
逆ですね。
そうするとあの黒い衣を着た坊さんというのは、法然上
人だったんだと。こういうことです。
だからそれが本当ですね。知恩院の大きいお堂は法然上
人がお祀りしてますからね。和尚さんが見たとおりです
ね。
だから法然上人の霊魂ですね。弘法大師と同じように霊
魂ですね。鎌倉時代に生まれた実在の人物ですから、法
然上人も霊魂ですね。
だから霊魂はあるということです。

皆さん方の、先祖も生まれ変わって来てなければ、あの
世にいらっしゃるわけです。
そういうことで、霊魂があるというのは間違いがないで
す。
つまり我々が死んでもあの世が在るということです。
現在では科学が証明して、我々は、ああそうかいなと思
うわけですが、あの世だけは、経験者が少ないですから、
たまにそういう人があっても、はてなと思う。
然しながら、一つや二つなら偶然ということもあります
よ、ところが何十、何百と経験が重なってきたら、これ
はもう認めなければいかんと思うんですよね。

例えば見たもの、或いは霊視というもの。
霊視ですが、先祖が迷うているから、百万円よこせとい
う宗教家がいるそうですが、お金を要求する人は信用で
きないですね。
志ならまだ宜しいのですが、何十万、何百万と決めて、
そしてよこせという宗教家はどうも信頼出来ないですね。
布施という意味は、志という意味なんですよ。
ですからこれだけの値打だと思うものを出したらいいん
ですよ。
それを相手側から幾らだと決めるのがおかしい。
昔は坊さんは独身でしたからね、生活というのは妻帯と
違いますからね。独身者だったら食べるのに困れば食べ
させて下さいと托鉢でもするでしょうけど、妻帯だとそ
うはいかない。
だから昔の坊さんは気楽だったと思いますね。
現在になってきますといろんな事情があって、まずは家
族。家族があると養わなくてはいけない。
こうなってきますと、志だけではいけなくなる。

そういう面も考えなくてはいけないと思うのだけれども、
どうもお布施が幾らというのは如何なものかと思うので
す。
お金お金という宗教家はどうかと思いますね。


「棺桶を蓋を開ける霊」

話が少し反れてしまいましたが、兎に角、霊魂は有るんだ
ということを申したいわけなんです。
そうでなければ信心が起こらないんですよ。
在るということと、信心ということは別なんです。
親があって、親と別居してるとしますと、その親が生きて
るということを疑わないですね。
若し、その辺が大火事になって行方不明になっったらわか
らないけれども、そうじゃなく、平和な生活だったら、毎
日顔は見ていないけれども、親は生きてるということは、
信じるんじゃなくて認めてるわけですね。
何か事件が起これば信じなきゃならんという気持ちになる
けど、何もなければ親は安泰に居るだろうなということで
すね。
その親が在るということは、例えば極楽に、阿弥陀様がい
らっしゃるということと同じでなければいかんわけです。

今は阿弥陀様と別居してるけど、何れ同居するんだと、こ
ういうことです。
親は在るということを認めるということと、孝行というこ
とはちょっと違いますね。孝行は親にこうしてああしてと、
することが孝行で、親が在ると、全く忘れているよりも在
ると思うほうがいいには違いないけれども、在るというだ
けではそれは孝行ではない。

それと同じことで、極楽は在りますよ、阿弥陀様も在ると
いうことを認めますと、だからそれが信仰かというとそう
じゃないということです。
もうひとつ、それを土台にしてもう一つ上の信心ですね。
在るのか無いのか分からないような阿弥陀様では帰依する
ことは出来ません。
在るということに決まってある。そんなものは問題外、と
いうような信仰にならないと、その上に信心というのが芽
生えないということです。
そういう意味合いで、霊魂は在るんですよということを言
ってるわけです。
今までのお話しのなかで、和尚さんは阿弥陀様を見たと言
っていますし、地獄の鬼も見たと言ってます。
そしてこの世のこととあの世のことは、義理人情の常識を
延長して考えたら間違いがないと先ほども言いましたが、
もうひとつこういう話が御座います。

和尚さんは、民生委員をされていたことがあるそうです。
その民生委員にかかっていた人が亡くなりますと、これだ
けの費用で頼みますと言われるそうですが、それはお互い
それで承知して何も言わない。それだけの費用で済むから、
民生委員の坊さんに頼みにくるわけです。

その亡くなった人は、和尚さんの係の人ではなかったそう
ですが、和尚さんが寺だということで言ってきたんですね。
亡くなりましたので拝んで欲しいと。
病院で亡くなって、そして病院でお勤めをするわけです。
その頃は、丸い桶だったそうです。
そして係の人が、和尚さん、ここは病院でございまして、
他に患者さんもありますので、小さい声でお願いしますと。

そして他に誰もいなくなって、和尚さん一人になってお経
を挙げたわけです。
棺桶の前にいますと、髪を垂らした初老のお婆さんの霊が
出てきて、御棺の蓋をこじ開けようとするんです。
こっちの蓋を持って持ちあげようとするけど開かない。
またそっちへ行って開けようと、蓋を持ちあげるけど開か
ない。御棺の蓋を開けようとして廻りを廻ってるんです。
これは何か曰くがあるに違いないと思ったんですね。

霊の顔や姿を見ていると、なにか恨んでいるような気がす
る。
和尚さんは、小さい声でお経を読みながら、あんたは誰だ
と聞いたんです。
すると私は本妻ですと。
本妻だというのだったら、この棺の中の人は、恨んでると
いうふうだから何かそういう経緯があるわけでしょ。
それでお勤めが済んでから、看護婦さんじゃないけど、入
院患者のお世話をする人があって、そういう人を役所から
付けてるんですね。其の人に、この亡くなった人は、生き
てるときに、夜分にうなされませんでしたかと聞いたんで
すね。
死んでからでも、これだけ恨まれてるんだから、きっとう
なされたに違いないと思ったんですね。

それで、夜分は安眠なさってましたかと聞いた。
お世話のおばさんは、それが和尚さん、気持ち悪い気持ち
が悪い。
ひーっと、悲鳴をあげるんですよと。
それがもう寒気がするような気持ちの悪い声で。
それを聞いて、ああやはり襲われてたんだなと思った。

親戚の人にお話しを伺ってみますと、二号さんでした。
そういうことをしていたら本妻さんは皆、あの世へいった
ら恨むと、そうとは限りません。其の人の性格によって違
いますから。
なかにはよく出来た奥さんもいるしね、あの難しい主人を
よくまあ長い事お世話をしてくれましたと、ご苦労さんで
ございましたと、嫌味じゃなくてね、そう言える人もある
はずです。