和尚さんの法話 『死後の世界を認める』
きたが為に、なるほど弘法大師さんとご縁があったんだな
と、こういうことになったわけです。
だから弘法大師はあの世にいらっしゃるわけですね。
それから京都にも中村さんという檀家さんがありまして、
和尚さんが京都の寺へ初めて来まして、初めてその檀家さ
んへ参りに行った。
初めてということを言いたいのです。
そこの檀家さんの家のことを何も知らない。
その家でも弘法大師さんが出てきた。
これもまたきっと信仰してたに違いないと思ったんですね。
お勤めが済んで、奥さんに、弘法大師を信仰してますかと
聞いた。
いいえ。とこうおっしゃる。
そこのご主人が出てきて、初めて参りに来てくれたという
ので挨拶ですね。
奥さんが、和尚さんが今こう言いましたと主人に言ったら、
それは家の親父ですと。親父が信仰してましたと。
奥さんが来る前のことだから知らないわけです。
お父さんが死んでからお嫁に来てるんですね。
そのお父さんが信仰が深かった。弘法大師を信仰していた。
毎月二十一日に家の前に提灯を吊って、そして数珠を繰っ
てご詠歌を挙げたり。
これを毎月やっていたというのです。
親父が死んでしまったからそれを止めてしまったんだと。
然し今は止めてしまったけれども、弘法大師はその家にご
縁があるから、今は信仰していないけど、縁があるからそ
この家を護ってるんですね。
本人さんが信仰するよりは縁が薄くなるけれどもね。
それから檀家さんじゃないのですかれども、寺の在所の根
来さんというお婆さんなんですが、手が痛いというのです。
それでお医者さんへ行ったら、リュウマチだろうと。
長い事、治療に通うけど治らないんだと。
それで寺の在所に、針やお灸の先生をしている人がいまし
て、そこへも行ったんだと。
そこでもリュウマチだと言われた。
今は手首が痛いけど、そのうち臂も痛みがくるんじゃない
かという話しをしていたのを和尚さんの耳に入った。
「神さまの報せ」
それで和尚さんが、他の人の話が済んだので、その痛いと
いう手を見ましたら、ちょうど数珠を腕にかけたように、
白い蛇がくるくると手首に巻いてるのが見えたんですね。
これは、巳さんだと。巳さんの霊魂ですね。これは何か巳
さんのお諭しでも受けてるのと違うかなと思うて、お宅の
家に巳さんをお祀りしてるんですかと聞いてみたんですね。
しばらく考えていて、巳さんはお祀りしてないけど、若し
かして弟の山に、弟というのは農家をしているんですね。
その実家から根来さんという家へお嫁に言ってるんですね、
その腕が痛いという姉さんは。
その山にお祀りしてあるというのですね。
然し、あれは巳さんじゃなくてお稲荷さんだと思うのです
がと。こう言うのですね。
ところが和尚さんの寺へ来る人にも巳さんとお稲荷さんが
一緒になってる人がよくあるので、ひょっとするとこの人
も、巳さんだと思うているけどお稲荷さんかもしれないと。
兎に角、山にあるということです。
そこへはお参りをしてますかと聞いた。
当初はしてたけど、今は一向にしていません。
祀った当初は、山を護ってもらうためにお参りをしたと。
それはきっと、お参りに来なさいというお諭しだろうとい
うことです。
怒ってるのと違いますよ、皆さん、罰が当たるとよくいい
ますね。神さんや仏さんが罰当てると。
こういうふうなことはないです。
神仏は我々を助けて下さるのが仕事だから。
只、気をつかそうと思うと、親でも子を叩くことがありま
すよね。きつい言葉も言うてね。
それは憎いからと違いますね、気を付かそうと思うて場合
によっては叩く。
或いはきつい言葉も言うということがある。それなんです
よ。
怠けてるのに頭を撫でてたら、ちっとも気がつかん。
やはりぴしっといかんとね。
護ってもらおうと思うて山へ祀ったんだったら参りに来な
さいと。
来なければ不徳になるぞと。
山へ神さんを一人ほっといて、ね。不徳になるんだと。
誰かに来てもらわないと寂しいとか、物を供えて貰いたい
と、そんなことではないだと。
やはり参って敬意を表さないといかんということです。
そういうことを訴えてるんですよ。
その知らせだと思いますと言ったんですね。
だからお参りしなさいと。
そして翌月に来て、お婆さんに聞くと、いいえ治りません
というのです。
お参りはしましたかと聞きましたら、参りましたけど、一
遍だけ参りましたと。
いっぺんと言わず、何遍も参りなさいよ、お宅の山はそう
遠くないんだからと。
そして翌月に来たんですね。
治りましたかと聞くと、治りましたと。
そして四五日たって、その弟さんが来たんです。
治ったという話しを聞いたんでしょうね。
弟さんがみえたので、あの山に祀ってある神さんは、お姉
さんはお稲荷さんだと言ったけど、お稲荷さんですかと聞
いたら、いいえ、巳さんですと。
では何故、お姉さんはお稲荷さんだと言ったのでしょうか。
祠の前へキツネを置いてあるからだと言うのです。
何故キツネを置いたのかといいますと、祠が出来たとき、
知り合いの行者さんに来てもらって、巳さんを祀った。
そしてお性根を入れてもらって、そして祠の様子を見て、
ちょっと前が寂しいなというので、キツネを一対買うてき
て置きなさいと言われたんですね。
然しキツネはお稲荷さんでしょうと。
キツネがお稲荷さんじゃないんですが、あれはご眷屬なん
です。
そして巳さんが神さんじゃないんですよ、あれは弁天さん
の使いなんです。
キツネはお稲荷さんの使いなんです。
巳さんを祀って、キツネを置くというのはどうですかと行
者に聞くと、そんなものは構わない、覚ってるからそんな
ことは気にしないんだと。あれを一対置いたら格好がつく
からと。
行者の言うことだからと思うて、キツネを前へ置いてます
から、キツネを見たら皆はお稲荷さんだと思いますね。
それで姉はお稲荷さんだと思うてますけど、お祀りしたの
は巳さんですと。
だから腕に白い蛇がぐるぐると巻いてたというのは、それ
で合ってるわけです。
だから巳さんも、神さんは存在するということですね。
「法然上人の霊」
それから、和尚さんが京都の寺へ来た当時、夏の夕方に
近所の子供さんを連れてよく近くの知恩院さんへ散歩に
行ってたそうです。
知恩院さんへ上がっていって、お堂がありますから拝み
ますね。
その頃はまだ和尚さんは、知恩院のどのお堂に何をお祀
りしてあるのか知らなかったそうです。
一番大きなお堂の前で子供たちと一緒に手を合わせて拝
んだんですね。
そこには阿弥陀様がお祀りしてあると思っていたんです
ね。一番大きなお堂ですから。
和尚さんの常識では一番大きなお堂は、そこの本尊さん
なんです。
一般にもそうですね。
一番大きなお堂には本尊さんがお祀りしてますね。
それで、本堂だと思い込んでいたお堂ですから、阿弥陀
様のお姿を見せて頂けるはずなのにと思うのに、いつも
黒い衣を着た坊さんが現れるんですね。
それではてなと。
ここは阿弥陀様だと思うのにと。
阿弥陀様のお使いかなと思うたり、妄想かなと思うたり。
毎日行くわけではないけど、時々行くわけです。
作品名:和尚さんの法話 『死後の世界を認める』 作家名:みわ