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和尚さんの法話 『死後の世界を認める』

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だから余計な話しを聞かされるということはないのです。

運命を気にして相談に来てるんだから、それだったら信仰
をしなさいというわけです。
ひいては悪いことをしない、善いことをしなさいというこ
とになってくるのです。だからそのままお説教ですね。
そういうことなので、相談を受けてるわけです。

そのときの相談の内容は忘れたそうですが、覚えてること
は、そのときのその女性の後ろに、一人の女性の霊が出て
きたそうです。
そしてその霊が、その人を守っていると感じたのです。
其の人を守ってる、そこの家を守ってる、非常に感謝して
いると。
そういうふうに受け取れるのですね、その霊を見ていると。
そして霊魂というのは、亡くなったあの世で歳をとらない。
三歳で死んだら、百年たっても三歳のままです。

だから死んだときの姿で出てきますから、その霊を見てる
とその霊の年齢が分かるのです。
顔も死んだときの顔で出てくる。
髪も真っ白で死んだ人は真っ白で出てくる。
特徴があると和尚さんも言い易いわけです。
その霊は非常に弱々しい感じて出てきた。
生きていたときに身体が弱かったんですね。
病弱だったような、弱々しい感じだったそうです。
色も真っ白でほっそりして。
心も優しいという感じで。

ところがそのお客さんを守ってるという感じなんですね。
これは何かがなければ、護ることもしませんし、感謝もし
ないですね。何かがある。
それで相談事が済んでから、貴方の側にこういう霊が出て
きていますと。
戦前のスターに似ていると、顔かたちや様子を言うと、そ
れは私の姉さんですと。
姉さんというのは、その人の兄さんのお嫁さんだったんで
す。
その義理の姉さんが、貴方に非常に守って、感謝してると
いうふうに受け取れるのですが、何か思い当たることはご
ざいますかと聞きましたら。
それだったら、こういうことでしょうか。私は兄と二人だ
けで、両親は死んでますと。
その兄さんがお嫁さんをもらったというのは、その人(霊)
ですね。
支那事変の頃ですね。
色が白くて弱々しいというのは、胸を病んでたんです。
それで男の子が一人ありまして、その兄さんが支那事変で
応召したんですね。
そして戦地に出て忽ち戦死した。
それで公報が入ってきます、戦死したと。

それまででも身体が弱くて寝たり起きたりの日が多かった
のが、その公報があって寝付いてしまって、結局、起きら
れずに死んでしまった。
その姉でございますと。
ところが子供が一人残されてるんですね。
そうすると当然、今来ているお客さんにかかってくるわけ
なんですけど、親戚の人が集まって相談するわけです。
妹にあたるそのお客さんはまだ娘さんですからね。
はじめは、この子が居るとお嫁にも行けないし、お婿さん
も来てくれないしと、随分悩んだし、親戚の人もいろいろ
心配もしてくれたけれども、結局、結論は私が面倒をみな
ければならないということになったんです。
結婚も出来ないので悩みましたが、今日となったらもう諦
めましたと。
その当時、円山公園で写真を撮って生計をたてていたそう
です。

だからその姉さんは、それをあの世から気になって気にな
ってしようがないですね。
自分の子供のために義理の妹が夜目にも行けず、苦労をし
てるんですからね。
気の毒だなあと。心の優しい人だったんですからね。

霊魂というものが有るならば、あの世から守るのが人情と
して当然ですね。
だからあの世のことは、我々人間社会の義理とか人情とか
常識を延長して考えていたら、同じ人間同士の考えと思っ
ていたら間違いないのです。

だから霊は、あの世から感謝してその人を守ってる。
和尚さんが思ったことと、これで話がぴたっと合うわけで
す。
姿形、身体が弱々しいとか、心が優しいとか。
なにかしら感謝している、守ってると思いますというと、
今の話しですね。
ということは、霊魂が有るということです。
霊魂が見える者には見えるんです。

それから和歌山の寺の檀家さんで、田中さんという方があ
りまして、その田中さんの家へ和尚さんが初めてお参りに
行った。月参りですね。
仏壇で、ご先祖の廻向をして拝んでいたら、弘法大師が現
れた。
弘法大師も、勿体ない話しですけれども霊魂ですよね。
歴史上の人物ですから。
そういうふうに弘法大師が出てくるということは、其のお
家も浄土門であるのに弘法大師が出てきたんです。
ということは、和尚さんが妄想してるのでなかったら、そ
のお家の誰かが弘法大師を信仰してるに違いないのです。
護ってるということです。

弘法大師とか、或いはお地蔵さんとか、観音さんとかお不
動さんとか、そういう方が出て来られた場合は、信仰して
るから護ってると、それに尽きるんですね。
だから誰か信仰してるのかなと思って、お勤めが済んでか
ら、お宅は弘法大師さんを信心なさってますかと聞きまし
たら、信仰はしていないというのです。

ご主人も奥さんも信仰していないという。
それなら先代さんはどうでしたかと。
父も母もそんなことはなかったと思いますと。信仰の無い
人でしたと。
仏壇の何処かに、弘法大師の掛け軸か、木像さんが腰かけ
へ座っているお姿が御座いますね、そういう木像さんとか
御座いませんかと。そういうのがあれば信仰してあったと
いうことになってくるのですからね。
ところが、そういうのは見た事が無いと。

毎月お参りに来るので、それまでにいっぺん探して見ます
ということになった。
そして翌月、行ったけどありませんとなあと、こう言うこ
とです。

それから毎月毎月参ってるけど、いっこうに分からず、結
局そのままになってしまった。
そうしまして、そこの家の男の子が二人居りまして、その
長男が幾つになったときだったのか、その家に蔵があるん
ですね、物置になっている。

子供というのは皆大きくなると自分の部屋を欲しがるもの
ですね。その蔵を自分の部屋にしたいといいだしたんです。
それで蔵の中の物を出してみましたら、そこに古い箪笥が
見つかったんですね。
その上の戸棚を開けると、そこに弘法大師が座ってるお姿
の木像が見つかったのです。


「弘法大師の霊」


それで主人も奥さんも、こんなの今まで見た事が無いとい
うのです。
然しながら、これは自分の家の蔵ですから、そして自分の
家の箪笥があって、その中へ入ってあるのだから、この弘
法大師の木像さんは家の弘法さんだなと。

これは我々は知らなかったけど、昔、信仰してあった人が
居たのか。
お父さんのもう一つ前か、その前か分からんけれども、兎
に角その木像さんのお姿もぼろぼろなんですね。

それで和尚さんに、有りましたと、言ってきた。
和尚さんが見えたと言ってから何年もたってからです。

木像のお姿も腰かけも、それを綺麗に彩色なさって別のと
ころへ祀ってるんです。
そして和尚さんが参りに行ったら、いつもそこの前で般若
心経を挙げるそうです。
そういうことがあったから、和尚さんが見たことが合って
るんですよね。
これがなかったら、分からずじまいですけど、木像が出て