小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

和尚さんの法話 『誤認されている仏教の教え』

INDEX|4ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

その前で拝みもしないで、でんと構えてると、具合が悪い
ですね。
その前に住んでる人は、信仰があればいいんです。
信仰があって、気が付いたら毎日拝んでる。
出かけるときも帰ったときも頭を下げて拝む。こういうふ
うにやってる人だったらいいんです。
ところが、頭も下げない。信心も無いという人は、そうい
うことをしがちなんですね。
そういう人は、年々刻々に不徳を積んでるわけです。
つまり功徳を減らしているわけです。
だから栄えないということになる。そういう意味なんです。

特に商売をしてたら、その商売を良心的になさらないと、
神仏の前でごまかしてると、他のところでやるよりマイナ
スが大きい。そういうことなんです。
和尚さんの和歌山の寺の石段の下に、お地蔵さんがあるん
ですが、その前に家があるのですが、和尚さんが子供の時
分からその家は失敗ばっかりして出ていくそうです。

そして、今パン屋が出来てるんですが、そのパン屋が来た
ときに、和尚さんが言ったんです。
この家の真正面にお地蔵さんがある。前の人も失敗してこ
の家を出ましたやろと。その家の人は、その失敗したこと
を知ってるんですね。
そして今言ったような話をしたわけです。
特に食べ物商売だから、よく信仰なさらんとあきませんよ
と。
するとその人はよく信仰をなさるんですね。
そしてお地蔵さんの廻りの掃除も言わなくてもするそうで
す。
花や線香まで無くなったら入れてる。
すると、そのパン屋は栄えてます。
このパン屋は私も行ったことがありますが、どんどん栄え
てます。
商売用の大きな車がだんだん増えていくんですよ。
そういうことで、信仰があればいいのですが、信仰が無い
とね。
真正面にありますから、遠くの人よりも拝む機会が多くな
ってきますしね。
是は今の話しと同じなんですね、仏壇の上とか、本堂の屋
根を踏んで歩くとか。


それから、以前に犬が一匹、寺へ迷いこんできたそうです。
其の犬は、首輪もしていないし、まだ子供の犬だったそう
です。
これは捨て犬だろうなと思ったので、そのまま寺で飼うこ
とにしたんです。
それにオスだったので、オスなら増えないだろうと。
其の時分に和尚さんは、南禅寺へ滝を受けに行ってたそう
ですが、その犬を自転車へ乗って犬を引っ張っていって、
山の中へ入ると犬を放してやったんですね。
犬は畜生ですから、所構わずおしっこをしますね。
滝へ上がっていく道のそこここにお地蔵さんとか、石の仏
さんがあるんですが、そこへおしっこをするんです。
始めのうちは、子犬だから座ってやってたけど、だんだん
大人になってくると、片足をあげておしっこしますね。

和尚さんはそれを見て、畜生だから。畜生だからお許しに
なるだろうと。
自分がしてるのと違う。犬がしてるのだからと。
お地蔵さんも分かってますやろと。


「不徳」

そうしてしばらくそうしてたんですが、そのうちに和尚さ
んの内股のところへ大きなよう(できもの)が出来たんで
す。ざくろのようになったそうです。
自転車へ乗っても擦れるし、座っても痛い。
始めはそれを気が付かなかった。
ところが、或る時、はっと気が付いたというのか、気を付
かせてくれたのか。
犬のおしっこだなと思った。
犬が足をあげておしっこをかけると、ちょうどでき物のと
ころになる。
犬は畜生だけど、お前は人間じゃないか。
何故、犬を監督しないんだと。
犬だからというて見逃してたらいかんと。監督不行き届き
だと。
お前はそんな失礼なことを何故させるんだというて、業を
受けたなと思ったんですね。
それからはもう、犬を放さないで紐を付けて、滝を受けて
る間もくくってたそうです。

そういうことはお経にもありまして、そういうことだから、
こうなってと。
今も昔も同じだということをそのお経を読んだときに思っ
たそうです。
阿弥陀経の中に出てきます、賓頭盧という方がいらっしゃ
いますね。
十六羅漢。羅漢さんに五百羅漢とか、従離苦羅漢とかがあ
るのですが、その従離苦羅漢様の、一番の大将なんですね。

賓頭盧波羅陀という方です。
阿弥陀経の中に出てきますね、千二百五十人大阿羅漢と。
阿羅漢というのは、もう三界の輪廻を断ち切ってしまった
方を阿羅漢というのですね。
その方が千二百五十人居ったと。
其の中に、賓頭盧さんというお方がいらっしゃった。
その賓頭盧さんのお経があって、それが、賓頭盧さんはイ
ンドの或る国の、国王に仕えている大臣の息子さんだった
んですね。
ところがお釈迦さんのお弟子さんになって、阿羅漢という
覚りを開かれた。
というので、その国王が、その当時のインドは、阿難であ
ろうが舎利弗であろうが信者が大勢付いてますね。
で、その国王は、自分の家来の息子が阿羅漢になってるの
で、賓頭盧さんに御供養したり説教を聞いていたりし、帰
依してたというのか習慣的になてったんですね。
それで出向いて行くわけです。
ところが賓頭盧さんは一向に出て来ない。奥の方へでんと
構えてる。
王は出向いて行かんならんわけです。


「五逆罪」

それを習慣的にやってたわけですが、家来のなかに不心得
者が居って、王に、賓頭盧というのは、王様の家来の息子
じゃありませんかと。
その家来の息子のところに王がお行きになるのに、奥でで
んと構えて出てきもしない。けしからんじゃありませんか
と。
今は阿羅漢かもしれないが、家来の息子じゃありませんか。
王の前へきてひれ伏すでべじゃありませんかと。
王様の方が前へいってひれ伏しているじゃありませんか。
なんて不見識なと、こういうふうなことを言ったんでしょ
うね。
するとその王さんはあまり賢くなかったのか、なるほどそ
うだなと。
よし、今度行って、あいつが出て来なければ首をはねる。
と殺意を持ったんですね。
そうすると賓頭盧さんは阿羅漢ですから、超能力、神通力
がありますから、殺意を持って来るということを見抜いて
るんですね。
だから次に来たとき、迎えに出た。
すると王様は、今日は何故に迎えに出たのか。
こう聞いたら、まずは、貴方の為ですと。王の為に迎えに
い出たと。
では何故、いままでは私の為に迎えに出なかったのか。
それも王の為だと。
迎えに出るのも私為。迎えに出ないのも私の為とはどうい
うことか。
貴方は今まで、なんの邪心も無く説教を聞きに来、そして
供養をしに来た。
ところが貴方は今日は殺意を持って来たでしょう。
私が迎えに出なかったら、私を殺すという気持ちで来られ
たでしょう。
そのとうりじゃ。
だから私は迎えに出たんですと。
ということは、若し貴方が私を殺すと、無間地獄に落ちる。
地獄の中の一番きついところですね。
これは以前にもお話しをしましたが、五逆罪を作ることに
なる。
五逆罪のなかに、阿羅漢を殺す。
この五つの罪を犯すと、もう絶対に救われないという罪で
す。
父を殺す。
母を殺す。
阿羅漢を殺す。
仏心出血。仏様を殺すことは出来ないので、身体に傷をつ
け血を出すという罪。
そして仏教教団を破壊する。
この五つの罪を、五逆罪といいます。
之を犯したらもう永久に救われないというほどの罪です。