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和尚さんの法話 『 輪廻転生 』

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お経の上へは絶対に物を置かないほうがいい。
置くのなら物の上へお経を置くのはいいですね。
そんなことを一休さんがやったんですね。
お釈迦様が、皆が迷ってるということを知らない頃にお
釈迦さんが出てきて、皆は迷ってるんだぞと言うので、
よけいに迷ってきて、迷うとはいったいどういうことだ
ろうというようなことで、仏教を知らなければ、もっと
気楽に生けるものを、というようなことで、一休さんが、
「釈迦という悪戯者が世に出て多くの人を惑わせる哉」
と。歌としたら面白い歌ですがね。

たしかに仏教の教えというものを知ったがために、我々
の迷いが深くなったということが言えなくもない。
然しながら、この歌はいけませんね。勿体ない!
一休さんはあの世へ行って、お釈迦さんは何もおっしゃ
らないでしょうが、閻魔さんが承知しないでしょう。
と思いますね。
禅宗はそういうところがよくあるようですね。

現在でも聞いた話ですけど日本仏教会の会長にもなった
方が禅宗の方で、お客さんが来て対談するのですが、急
に窓を開けて、皆はなにをするのかと思ったら、窓から
おしっこをしたそうです。
便所へ行けばいいのに人の前で窓からしっこをした。
其れを見た人たちが、なんと偉い坊さんだな、あんなこ
とちょっと出来るものじゃないと。
そんな馬鹿な話はありませんね。
それは無作法というのでしょう。
だから日蓮上人はそういうことを言ってるんですよね。
天魔に見られてるんだと。

こういうふうにいい方へいい方へととってますが、いい
ことはいい方へとるのは宜しいのですが、間違ったこと
をいい方へとれば、何を学んだらいいのか分からなくな
ってきますね。
この三番の文は、やはり牛に生まれ変わるんだぞと言わ
れたんだと思いますね。

或る人がありまして、今でも生きていますけれども、その
人は和尚さんの寺に関係のある人だそうです。まあ、その
人はもうひとつというような人だそうで、良いことはいい
のですよ、人にも言えますからね。
親の自慢、先祖の自慢というのじゃなくて、たまたまそう
いう人が身近にいたから話にだしたわけだけど、こういう
ことだからあの世を信じて下さいという意味で話している
のですし、知ってる人のことを言うのも悪口じゃなくて、
和尚さんは宗教家ですから、現にこういう人があるのです
と、だから謹んで下さいという意味で言うのですから。

そういう意味でお話しをしますが、で、その人が、お寺の
行事で他所の寺からも手伝ってもらうことがあるそうで、
奉仕で来てくれる人もあるそうですが、お布施を出すこと
もある。
直接渡すこともあるけれども、檀家さんに頼むこともある
んですね。
ところがその檀家さんに渡したお布施が寺に渡っていない。
ときには半分になってる。
年中行事の大きい行事になると大勢手伝いが来て、賽銭の
数を皆で計算をしてくれるそうです。
それを帳面に何が幾らと書いてね。
そして袋の外へ幾らと金額も書いてある。
ところが向こうへそれを渡して書いてある金額と中の金額
が違ってるんですね。
或る時、催しの日に雨が降ったそうで、そしてその日が済
んで二三日たって、催しの買い物をした店の前を和尚さん
が通ったとき、その店の御主人が和尚さんを見るなり、あ
の坊さんも精進が悪いな、そりゃあ雨も降るわと。
和尚さんに当てつけのようなことを言ったんですね。

それではっと気が付いて、そして或る和尚さんは和尚さん
で催しの後でビールでも飲んでもらうそうですが、それで
ちょっと酔ってくると、和尚さんに、おっさん、あんたに
ちょっと言いたいことがあると。こう言うんですね。
酔いが回ってようだったので、明日でも聞かせてもらいま
すと言ったんですね。
手伝ってくれた寺の和尚さんに、ちょっとお伺いしますけ
ど、お布施はちゃんと入ってましたかと聞いたそうです。

するとちゃんと返事をしないから、これはおかしいなと思
ったんですね。
それで言いたいことがあると言った和尚さんがあったので、
その人に言わないといかんと思ってその和尚さんの所へ行
って、前から言いたいことがあると言っていたけどどんな
ことですかと聞いた。
それなら言いますけど、お布施の金額が書いてあるのと中
身が違いまっせと。

例えの金額ですが、表は五千円と書いてあるけど、中は三
千円でしたと。こう言ったんですね。
それが分かった和尚さんは、其の前に店の御主人が精進が
悪いと言っていたのは中の金額が違ってたんだなと思った
んですね。
そういうことが何年もずっと続いていたのが分かったんで
すね。
すると或る晩の夢に、其の人が来世に大変な不幸な境遇に
生まれている夢を見たそうです。
和尚さんはこの夢を見て、これはこのお金をごまかした報
いが来世にはこんな不幸な境遇になるんだなと思ったそう
です。
ばれなければいい、人が見てなければいいと思って抜き取
ったお金ですが、必ずその報いというのがあるということ
です。
時のよっては善い報い、悪い報いは直接本人に霊夢で知ら
されることはあるんですね。

この潙山という人は、お前は牛になるぞと。
何か至らんこと、或いは間違ったことが何かあったんじゃ
ないかと思いますね。有名な人なんでしょうけどね。
それを問うところではないと書いてるけど、それを問わな
いといけないと思いますね、この文の中で一番大事な処だ
と思いますね。
どうしてこういう人たちが、仏教を学びながら、どうして
こういうおかしなことを言うのか。
それというのは、仏教の無我とか空を、とり間違えてるん
ですね。
其れの意味を、次の4,5,6・・・へ出してきたわけで
す。


一、 信有って解無ければ無明を増長し、解有って信
無ければ邪見を増長す。
信というのは、これは信心ですね。
解というのは、これは学問です。
信心が有って、学問が無いという場合。そうすると本当の
仏教の意味というのは解りませんね。
変な言い方ですが、イワシの頭も信心からという言葉があ
りますね。イワシの頭を信心したってだめですよね。
信仰の対象が良かったらいいのですけれども、イワシの頭
だから具合が悪いんですよね。
これは信有って解が無いからそういうことになってくる。
解有って信無ければ邪見を増長す。
これは此処に出てくるのはそれに相当するような気がする
のですよ。
解有って信が無い。
だからどうしても自分の都合のいいように解釈してる。
それを「会通」(えつう)といいますね。自分に都合がい
いというのか、拡大解釈ですね。
全く違うことを言うわけではないのですが、それに関連し
た言い方をするんだけど、それが間違ってるんですね。

気にしないで読んだらそれでいいのかなと思ってしまうけ
ど、実際は違うということが多いのですよ。会通というこ
ともあるのかもしれませんけど、だいたい会通をせんなら
んというのもおかしいですね。
そのものずばりではいけないという、会通をせんならんと
いうのが其の人の本当の仏法を持っていないからだと言い
たいですね。

本当の仏法だと会通なんかすることはない。
本当のことが理解出来ないので、これはこういう意味だろ