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リンドウノミチヤ
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KYRIE Ⅲ  ~儚く美しい聖なる時代~

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 サダルメリクは動揺した。この、突然現れた男は武器を携帯している風ではないが自分より一回り大きくしかも俊敏な身体つきだ。サダルメリクはじわりと、後方の壁際に立て掛けた猟銃袋に枯れ枝の様な細い手を伸ばす。

「榛統也・・・一体何故ここにいる?公爵を殺しておいて随分と大胆だな」

「いや、ルイを殺したのは貴方だ、メリク」

 統也はポケットに手を入れサダルメリクは一瞬後ずさった。 しかし骨ばった大きな手の中にあったのは小さな青い輝きだった。サダルメリクは息をのんだ。

「星だ。メリク・・・いや、サダルメリクが貴方の本名なのか?水瓶座の星のひとつと同じ名前なんだろ?
 ルイは死ぬ直前までこの指輪を見ていた。最初は何の事か分からなかったけど指輪の刻印と公爵邸に刻まれている紋章が同じだと気付いたんだ。それが水瓶座だと知るには少し時間がかかったよ。俺は星座の名前なんて疎かったからな」

 それは公爵家の当主が最初の大戦の前に作らせた指輪で、台座の宝石には公爵家の紋章である星座の沈み彫りが施されていた。今では希少なカシミールサファイアだが勿論統也は知る由もない。
 全く、あんなに粗雑に扱いやがって、豚に真珠とはこの事だ。サダルメリクは忌々しげに統也と、彼の掌の指輪を睨んだ。

「俺を尾けて来たのか?」

「貴方が今朝バックパックひとつでオフィスの駐車場を出てからずっとな」

「悠長なことだな。国中の警察に追われる身だろうに」

「そうも言ってられない。公爵は死ぬ間際、自分を刺した犯人が次は公爵夫人を狙うだろうと言ったんだ。数週間前、俺は貴方がカフェで中東系の奴等と言葉を交わすのを見ていた。堅気とは思えない連中だった」

 サダルメリクは思わずしげしげと目の前の東洋人を見た。どうやらこの坊やは呆れる程俺の近くに張り付いて監視を続けていたらしい。

「あの女に、公爵夫人に言ったのか」

「ああ、しかし彼女は俺に、これ以上自分に関わらず去るように告げた。その直後俺は警察に追われる羽目になったから姿をくらまさなくてはならなくなったけどな。だがそれも終わりだ。さっき、貴方がこの小屋に入るのを確認した後で公爵邸に連絡を入れた。使用人達は酷く動揺して、俺が誘拐犯かと問い詰めてきた・・・答えろ、彼女は今何処にいる?」

 統也の声は静かに凄みを帯びていた。サダルメリクは沈黙したまま狡猾に考えを巡らせた。一体この坊やは俺の素性を、もしくは公爵との確執を知っているのか?いや、恐らく違うだろう。この男は所詮、公爵家のしがらみとは無縁な部外者だ。僅かな幸運と獣じみた感覚で偶然ここに辿り着いたに過ぎない。しかし、その幸運もここまでだ。サダルメリクは背中越しに更に手を伸ばした。

「お前は随分と公爵に気に入られていたよな。女房を寝取られたと知っていたら流石のルイも寛容ではいられなかっただろうに。この、雪の女王の番犬が!」

 サダルメリクは椅子を蹴った。猟銃袋を引っ付かんで隣の厨房に飛び込みドアの鍵をかける。ドアは凄まじい音を立てて蹴破られた。サダルメリクは銃を構える。蝋人形のごとき痩身だが抜け目の無い男と手負いの獣じみた男が大型の調理テーブル数メートルの距離を挟んで一瞬対峙した。サダルメリクの銃の命中精度は高く目の前の丸腰の統也の不利は明らかだった。サダルメリクが引金をひく直前、統也は調理テーブルの縁を掴み押し倒した。
 サダルメリクは辛うじて避けた。大きな音と共にひっくり返った調理テーブルをあっという間に乗り越え統也はサダルメリクの腕を掴み斜めにねじり倒した。狂気に近い悲鳴が狩猟小屋の天井に響く。
 猟銃を奪い取った統也はサダルメリクに向けて構えた。今迄人を撃った経験はない。統也は唾を飲み込み僅かに動作を止めた。サダルメリクが悪鬼の形相で壁にかけていた解体用ナイフを手に飛びかかって来た。最早逡巡の余地すらなかった。

 統也は己の血が沸騰する感覚のまま銃を構え直し、彼にとって生涯最初で最後の選択をした。迫り来る男に意識を集中させ引金をひいた。