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和尚さんの法話 『仏説無常経』

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それから口の業。悪口、両舌、綺語、妄語と四つあります
ね。
それから貪瞋痴と、これを三業といいます。
身口意の三業。
その三業に鞭打って、つまり心を清め、口を慎み、身を慎
んで悪いことをしないようにということですね。
そして善いことを行いなさい、功徳を積みなさいと。

「眷属皆捨てて去り 財貨は他の取るに任す」
死んでしまったら、持ってた財産をあの世へ持っていける
わけではない。
皆あとに残ってる人のものになる。

「但だ自らの善根を持ちて 険道の資糧に充つ」
剣道というのは、ただ頼りになるのは自分が生きてたとき
に行った善根の功徳、これだけなんだと、役立つのはそれ
だけなんだということですね。
険道というのは、険しい道というわけで、地獄、餓鬼、畜
生。三悪道のことをいうのです。

「譬えば路傍の木の如し 暫し息えども久しく停らず」
インドの暑いときに道を歩いていると道端に大きな木が生
えていて、葉がいっぱい茂ってるんですね、そしてその影
に入って汗をぬぐう。
そうするとその木に涼をとるために、あっちからもこっち
からも集まってくる。
然しながらその人達はそこに永久に住むんじゃない、一汗
癒えたら、また自分の家へ行く人もあれば商いに行く人も
あるわけですから散り散りばらばらに散っていく。
一時だけ木の下へ集まるだけだということです。
それを我々の人生を例えているわけです。
今は家族は円満にこうして一緒に暮らしているけど、その
うちにぽつりぽつりと一人、一人死んでいくわけです。

「車馬及び妻児 久からずして皆是の如し」
妻子もそうだし車馬というのはこの世では財産ですわね。
車、或いは馬。そういうものも一時のものですね。

「譬えば群宿する鳥の如し 夕に集まりて旦に隨いて飛ぶ」
旦というのは、明日という意味です。
これも路傍の木の如しをもう一遍、違ったかたちで例えて
るんですね。
夕方になったら鳥が木に集まって一晩泊まる。
そして明け方になったらまた散り散りばらばらにそれぞれ
のところへ飛んでいってしまうという姿。
これはよく見ますね、夕方になると街路樹にスズメがいっ
ぱい集まって、ちゅんちゅんと賑やかに鳴いてますね。
そして朝になったら、皆何処かへ飛んでいってしまう。
この情景をいってるんですね。
それは今我々は家族を構成しているけれども、無常の風が
きたならば、その誘われた者から、ちりちりばらばらと死
んでいかなければならない、別れていかなきゃならいとい
うことをいってるんですね。
「生者必滅 会者定離」という言葉がその後へ続きますね。
生まれた者は必ず滅し、会う者は定んで離れることが決定
してるという意味ですね。
離れるのを決定しているということです。
これもお経の文句です。偈の半分の文句です。

「死して親知に去別し 乖離すること亦是の如し」
自分が死んでいく場合はそうですね、あとの人を残して死
んでいくということですね。自分が先に死んでいく。
ところが自分が残って、家族が先に死んでいく場合もある
わけです。
そういう死に方はいろいろで、それは例えば、路傍の木の
如し、或いは木に集う鳥の如しと、それと同じだというこ
とですね。

「唯、仏、菩薩有り 是れ真の帰杖の所なり」
仏様や菩薩様方。つまり指導者ですね、その方々は死んで
行くときの良き指導者になり、死んでいくときの頼りにな
る人たちだといってるわけですね。

「是の故に諸人に勤む 真実の法を諦聴(たいちょう)し 
共に無常の処を捨て 当さに不死の門に入るべし」
三界六道を捨てて、人間界だけじゃなくて、というのはこ
の世の人間界のことだけじゃなくて、あの世の天上界もそ
うなんですよ。
この世に人間として生まれて、此の世を大事にせなあかん
と思っているかもしれないけど、死んであの世へいったら
このお経と全く同じですから。

「当さに不死の門に入るべし」とは、つまり生死解脱をし
て、早い話が早く生死を解脱して阿羅漢に成りなさいとい
うことです。
とにかく三界を出なさいと、極楽へいけなくても、とにか
く三界を出なさいということです。
そしたらもう輪廻というのは断ち切れますから死なない。
生まれてくるから死ぬんですから、生まれてこなかったら
死なない。

お経の文句に、「即証無生身」とありますが、これも偈品
の一説ですね。
証というのは、諦見しなさい、獲得しなさいという意味で
すね。
無生身。生まれて来ない身。
だから仏教は、生まれてきたらもう仕方が無いけど、今度
生まれてきたら生まれてこない身にならないといかんとい
うことです。
我々はもう生まれてきたから死ぬだけですが、死が終りか
というと、ひょっとしたら死んでまた生まれてくるかもし
れない。
だから無生身を獲得しなさいということです。
生まれてこない位に到達した人を、「無生法忍」といいま
す。
だから仏教は生まれてこないということを尊ぶんですね。
生まれてこなければ死なないんだから。生まれてきたら必
ず死ぬ。
死というのは最大の苦だと仏教では説くのです。
そうですよね、死ぬのは誰も楽しいことはないですね、然
しながら如何に人間界が楽しいと思っても、必ず最後は死
ななきゃならない。
そういう説き方が、本当の仏教だと思います。

「仏法は甘露の如く 熱を除きて清涼を得しむ」
甘露というのはよく分かりませんけど、あの世の身も心も
爽やかにする露ということなんでしょう。まあ、あの世の
飲み物。
これもよく例えの言葉として出てくるのですが。
熱というのは、煩悩のことですね。
煩悩という熱が無くなれば涼しくなって気持ちよくなると、
煩悩が無くなれば安楽になるということですね。

「一心に応さに善聴し 能く諸の煩悩を滅すべし」
煩悩を滅したら無常に誘われることはない。
これは小乗のお経ですから。
これは漢詩ですね、中国の人が仏教の影響を受けたのか受
けないのか、こういう無常ということを詩によく読んでま
すね、これが印象に残ったもので書き取ったものなんです
ね。


「法華経の一説」

『一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 應作如是観』
これはお経です。(華厳経)
(いっさいういほう) 一切有為法と言うのは諸行のこ
とですね。
諸行は無常なりというようなことです。
生じたり滅したりするものですね。
(むげんほうえいのごとし) 夢か幻か、泡か影か、そ
んなものだと。

(つゆのごとくでんのごとく)
(まさにかくのごとくかんなるべし)
一切は露のようなものだ、影のようなものだ、幻のよう
なものだ、電光のようなものだと、こういうふうに考え
なさいと、自分の命をそのように思いなさいと、そうい
うお経なんです。
お経の一説です。これも無常を説いてるんですね。

『今年花落顔色更改 明年花開復誰在 已見松柏摧為 
薪更聞桑田変成海』

今年花が咲いて、そして花が落ちてと、我々は見えなく
ても衰えていくと、若いときから変化してるという歌
ですね。
一年たって春がきてまた花が咲いて、すると我々は見